古沢嘉通
水曜の朝午前3時。
きみは湿式複写機の青白い光に疲れた目をしばたたかせ、感光液のせいでつるつるになった指先をもどかしく思いながら、まだ湿っている紙を1枚1枚定規を使ってていねいにおりたたみつづけている。
きみは16歳。
夜中のこんな時間に、こんなことをしているような立場じゃない。あすは、いや、きょうは期末試験の初日。高校に入って落ち続けている成績にすこしははどめをかけておかないと、こうした道楽も続けられなくなってしまう───なにせ、敵はきみの資金源でもあるからだ。あと1時間、そうしたら寝よう。2、3時間でも睡眠を取ったほうが、頭の芯が妙に疲れている徹夜明けのあの状態よりはましだろう。
指を動かしながら、きみはふと思う───数ヶ月前の熱い日曜の午後、はじめて〈集会〉というものに顔を出し、いきなり「───氏」と年長者に呼ばれてどぎまぎしながら、手渡された汚いガリ刷りの〈会誌〉なるものをパラパラめくりつつ、固有名詞の飛び交う彼らの会話をわからぬなりに聞いて4時間もねばった神戸の茶店で背中まで伸びた長髪をかきあげかきあげ、「ほうっ、ようやくラスが訳されたか」とシニカルに笑った米村という大学生をなんとなくカッコイイなんて思わなければ、こんなことはやっていないんじゃないだろうか、と。そいつに触発されて、きみがいま作ろうとしている〈ファンジン〉には、きみが生まれてはじめて買った〈ペーパバック〉───前の日曜日の〈集会〉で岡本という大学生が一瞥、「それは英国版だから、ホントの〈バランタイン〉の〈アダルトファンタジー〉じゃありませんね」といったやつだ───に載っていた一番短い作品、正味36行の詩を日本語にしたものが載っている。きみの最初の〈ホンヤク〉だ。
ためいきとともに、きみが20冊あまりの〈ファンジン〉を作り終えたとき、朝ご飯を告げる母親の声が聞こえる。
きみは席につき箸を取る。まだ熱いみそ汁の香りがきみを包む。最初の一口が寝ぼけて動きの緩慢な舌を刺激し、やけどしそうになる。ゆっくりとやらなければならない。きみはなにもかもはじめからやらなければならない。きみはまだ気づいていない。これから数々のすぐれた書き手の作品を、まぬけた日本語に変えていくことを。
〈完〉
そういえば、編者が高校生のころ、友人と神戸の丸善でムアコック(メイフラワー版)の原書をひっくりかえしていると、うしろから「これがコルムのシリーズで……」とかなんとか解説をしたあげく、「このごろは読む人が増えてこまる」と捨てセリフを残して、去っていったにいちゃんがいた。マニアきどりの高校生には、なかなか衝撃的なひとことだった。考えてみると、あのにいちゃんは安田さんだったような気がする。世の中狭いもんだ。
KSFAで、以前の職を投げうって翻訳家になったのは、古沢嘉通で2人目(1人目は安田均さん)である。人生を狂わせる原点がこの年だった。彼の高校生時代のファンジンには、デビュー前の大原まり子も寄稿している。