ベストSFイヤーがあるからにはワーストイヤーもあるはずだ。いい悪いは相対的なものだ。筆者の性格からいって、いやなことほどよく覚えているから、ワーストイヤーをはっきりさせれば、それとの比較でベストもはっきりすると思う。
私にとってのワーストSFイヤーは1981年である。ともかく最悪の年であった。
個人的には、1月に第1回日本SF大賞をいただいて、ひょっとしたら生涯最良の年かなという気もしたのだが、その後の5年間はいやなことの連続だった。
具体的には、1981年4月にはじまった、東京地裁昭56(ワ)4210号→引続き東京高裁昭61(ネ)814号の「出版差止等請求事件」通称「太陽風交点事件」である。これがどんなに事件であったかについては関係者が生きているうちに何かのかたちでまとめたいので、小刻みに書くことはしないつもりだ。怨念と客観視できる心境のバランスを考えると、そろそろ掛かるべき時期なのだが……。タイトルだけは8年前から決まっている。「宇宙法廷」である。
個人的には最悪の年だったが、この年から日本のSFの状況はまことにつまらない方向に動いていく。要するに日本SFの基盤にあった共通の志が失われた年である。私は、直接この事件が関連しているとは考えていないが、SFA誌のアンケートでは、横田順彌氏と山田正紀氏が悪影響ありの意見を表明している、と読める。
この原稿のために裁判の資料を再読した。日記をもとに私が書いた経過説明書で、原稿用紙に換算すれば70枚くらいになる。裁判の経過ではなく、出版にいたるまでの経過説明だから、むしろ「最悪の年」にいたる背景が思い出される。その前年あたりから何か苛立っていた気配が漂っている。
一例をあげれば(本当にほんの一例だが)──「冷たい方程式解答集」というアンソロジーへの拙作の収録をお断わりした経過がある。裁判の争点に何の関係もないと思うが、早川は、私が拒否したので出版企画が流れたと主張している。この一件は「宇宙法廷」のなかに「方程式問答」の一章を当てる予定。したがって詳しくは書かないが方程式という文字さえタイトルに入れればストレートなSFと扱われるという、変な流行が嫌やだったのも理由のひとつ。
この件に象徴されるように、この頃からSFの衣を被った中身スカスカのテンプラみたいな作品が量産されはじめた。私は過去のSF遺産の食いつぶしと感じる。……このあたり、具体的な名前をあげるのは、やはりまずいだろうな。また、読まずに悪口をいうはアンフェアだ。幾つか読んでみて気にいらない作家の本は、その後手に取ることもないから、具体的な批評をする資格は私にはない。長年の読書歴から、字面で判断できる自分の勘を信じて読む本を選択しているので、「中身スカスカ」を例証するために読むというのは苦痛だ。
大量の出版物を読まずに「SFの現在と未来を語る」などのダボラを吹くつもりはない。発言は読んだ作品に限らねばならない。したがって、先ほどの発言は「中身スカスカの印象を受けるので手に取らないような作品が増えた」と書くのが正しい。ともかくこの年あたりから私の趣味に合わないSFが増えすぎてSF読書量が急減しはじめたのである。小量の面白い、オリジナリティのあるSFは逃さず読んでいるつもりだが……。
SF読書量の減ったもうひとつの原因は、この事件を契機に、早川書房の出版物を新刊で買うことをやめたことである。法廷で争っている当面の相手早川の本を読まないわけではありませんよ。立ち読み、図書館、古本屋での購入ということになるが、読む量は当然減る。
とくにSFマガジンは、創刊号から揃えていたが、ここで終わり。なぜか吹っ切れた気分になった。狭い部屋に大量の書物を惰性で貯蔵しているのが重荷にもなっていたのである。読まなくなってわかったが、SFの状況を雑誌が月毎に塗り変えていく熱気は、とっくの昔になくなっていたのだ。「果てしなき──」が連載されていた時、「東海道戦争」以降の筒井氏の短編がたてつづけに掲載された時代の熱気はまるで感じられない。私を含めて、作家が小粒になったからといえばそれまでだけど。(実際そう思う)
──ここで、視点を変えれば、こうした苛立ちは単に私が年をとって、新しいSFについて行けなくなっただけのことなのである。若い読者には月単位の変化が年単位でしか理解できなくなってきている。青年期に形成されたSF観にしがみついて、新しいSFに拒絶反応を起こす。老人性痴呆症の兆候が早くも現れているのである。まあ、その程度の自覚があるだけましか。
どうも私の暗い面がもろに出てしまった。最悪の年についてだから、しかたがないか。
さて、私にとってのベストSFイヤーは、前記の嫌やな要因を逆にすれば明らかになる。
自分のSF観が形成されていく時代であり、本棚がSFで埋まっていくのが嬉しくてしかたない時期であり、雑誌が熱気に満ちていた時代であり、何を読んでも面白く、出版されるSFの「90パーセントが屑」でないと信じられた時代である。むろん理不尽な訴訟を起こされない時代である。
ベストSFイヤーは「1965年──昭和40年」。
この年の秋、ハヤカワSFシリーズが100冊に達した。この100冊目あたりまでが私のSF観を決定したようなものだろう。この後、読んでいない本がポツポツはじまった。「ハイウェイ惑星」で石原藤夫氏がデビューしたのもこの年。正確には「宇宙塵」で「高速道路」に接して仰天した年だ。
私自身は、パラノイアという同人誌で習作を書くとともに、大阪のSFファンとともにファンジン「TP」を作りながら、楽しく遊んでいた年である。ともかく明るい時代だった。
ところで、このベストイヤーへ帰りたいかと問われれば、やはりお断わりする。思い出は甘美だ。この年はあくまでも「SF」のベストイヤーであり、SF以外の環境を思い出すと憂欝なことの方が多く、この年全体にさほど魅力を感じるわけではない。いや、SFだけに限っても、現在までのSF生活をこの年に戻したいとは思わない。当時は当時なりの欝屈があったはずだ。周囲に苛立ちながらこつこつ仕事をするのが私には似合っているのではないかと思う。
1981年は、堀さんにとって個人的なワースト・イヤーであり、かつ、日本のSFにとってもワースト・イヤーだったといえる。かつてのSFファン同志が、SFを出版する会社の利害で対立したのだから、悪影響ははかりしれない。しかし、逆にいえばSFが商売となる時代の、過渡的な通過点であったのかもしれない。当時の夕刊新聞の1面に踊った、スキャンダラスなキャプションを思い出す。8年がたち、1989年のSF大賞に、何事もなく、早川書房の作品が選ばれた。だからといって過去が消えたわけではないのだが。