菊池 誠
答は1911年。ガーンズバックさんがテレビを発明した年だから。なんちて。読んだことがないから、なんのことだかわからない。
SFというと翻訳物ばっかり読んでしまう。で、そうなると、なんせリアルタイムで紹介されるわけじゃないから、いきおい何年がよかったという読み方にはならないみたい。最近のサイバーパンクみたいに、集中的に訳されればまた違うんだけどね。
ニューウェーブには全然間に合っていない。フラワームーブメントだって70年安保だって間に合ってないんだからあたりまえだ(僕はプログレ全盛期の人なのだ)。アシモフもバラードも一緒くたに読んだ(本当はシマックが好きだったのだ)。うーん、正に「直交的時間」。LDGとかいうのが訳されてた頃は知ってるけど、あまりぴんとこなかった。別に運動でもなんでもなかったのだしね(今でもLDGというのが誰々のことなんだか知らなかったりする)。ヴァーリイが立て続けにSFMにのってた時は面白かったな。でもゼラズニイはもっとかっこよかったぜ、って年表を見たら『わが名はコンラッド』は『結晶世界』と同じ年だったのか。おや、『バベル17』もだ。結構いい年だったんじゃない。でももう大昔だな。
ファンダムのことでよければ、仙台で何回かコンベンションを主催した。自分でいうのもなんだけれど、ぼくらのやったあれは、よいコンベンションだったぜ。
そんなこんなで、結局ベストイヤーは作品で選ぶことにした。1977年はディックの『暗闇のスキャナー』が出た年だ。読んだのは多分その翌年。だからまあどっちの年がベストでもいいのだけれど。この年以来ずっと、これが僕にとってのベストSFだ。でももう10年以上前なんだもんなあ。ところで今年になって初めてサンリオ版を読んだのだけど、この翻訳ってあんまりなんじゃない。こんな訳で読んで、よかったよかった、といううちの妻ははっきりいって偉い。
東京より東のことは、よくわからない。仙台というと、今村徹がでた東北大学SF研究会しかしらなかった。しかし、仙台SFクラブというのもあって、DATECONだとか、ファンジンだとかの噂だけは聞いていた。菊池誠は、そこで活躍していた。KSFAの歴史とは、ほぼ完璧に関係なく、東京ファンダムともつながらず、独自の活動をしていたことになる。出身は、青森県弘前。東北の一寒村で、どのようなファン活動をしていたのか興味がわく。とはいえ、セミナーや京都フェスでの同化ぶりや日ごろの言動をみると、たいして違いはなかったようにも思える。日本は狭い。奥さん(菊池鈴々)は、thatta編集責任者。最近大阪に転勤、大学助手。