喜多哲士
私にとってのベストSFイヤーは、1984年である。
この年は、現在のSF状況からみても、ターニング・ポイントであったのではないか。例えば、ゲームブック『火吹き山の魔法使い』(スティーブ・ジャクソン)が発行され、ベストセラーになったこと。『魔獣狩り・三部作』(夢枕獏)の登場により、スーパー伝奇というジャンルのブームが始まったこと。この2点は、当時の小説界ではまだ刮目すべしとはいえなかったわけだが、5年後の1989年現在では、この2点の影響がいかに大きなものであったかを感じざるをえない。
「魔道士」「エルフ」「ドワーフ」などなど、一部ファンタシィファンの専門用語であった単語が、比較的多数の読者に受入れられるようになってきているのも、ゲームブックの影響によるところが大きいのではなかろうか。
スーパー伝奇に関してはいうまでもなかろう。現在は鎮静化しているとはいえ、あのブームは特に新書ノベルズにははっきりとした変化をもたらしたといえる。
そして、84年をいっそう重要な年にしているのは、『虚航船団』(筒井康隆)の発行である。純文学、SF、そして出版広告にまで波紋をもたらした作品であった。これ以降の筒井康隆は、劇団活動を始めとして、ふっきれたような活躍を始める。
『手塚治虫漫画全集』の完結も、この年だったね。全300冊が書棚に揃ったときは、感慨に絶えなかった。手塚はこの後、5年後の死に向かって区切りをつけようかのごとくに、『ネオ・ファウスト』『火の鳥・太陽編』『ルードウィッヒ・B』と彼のもっとも好む題材を次々と手掛けていくのである。全集の完結が、その契機となったであろうことは、想像に難くない。
また、この年は『1984年』(ジョージ・オーウェル)にからめて、「1984年に考える」と題した評論の特集が、「SFマガジン」に連載されている。それまで作品論や作家論が中心となりがちであったSF評論は、この特集によって、文化論、社会論にその範囲をひろげていく。ぶっちゃけた話、SF評論はここから「なんでもあり」になったのではないかね。中島梓・大宮信光・小沢遼子・笠井潔・巽孝之・波津博明・渋谷まり子と並んだ執筆陣を見ても、当代の論客を並べた充実した特集であったように思う。
『神獣聖線』(山田正紀)『幻詩狩り』(川又千秋)『戦闘妖精・雪風』(神林長平)あたりがこの年の収穫だったし、『スターシップと俳句』(ソムトウ・スチャリクトル)が話題をよんだのもこの年のこと。しかし、なんだな、SF年鑑というのは便利な物だな。ほとんど忘れてたようなことでも、パラパラとめくっただけでこれだけ出てきた。山岸真君、アンタはエライ!
実は、これまで書いてきたことは全て、『日本SF年鑑』をひもとくうちに84年の収穫として出てきた、僕にとってはいわば後追いの産物なのである。
では、なぜ僕にとってこの年がベストSFイヤーなのか、というと、この年は、僕の書いた「高男君」なるショートショートが『SFワールド』誌に掲載され、創作デビューを飾った年なのである。中華主義的エゴイストであるこのきたてつじにとっては、この年をおいてベストなどといえる年はないのである。
文句あっか?
追記 もっともこの年から5年を数えた現在に至るまで、第2のベストイヤーが訪れないことだけが、誤算といえば誤算であった。そうです。ぼくにとってのベストイヤーはまだ来ていないのである。
きたてつじは、かつて立命館SF創作同人で「イリュージョン」を編集、文庫チェックリストなどをつくったことがある。同誌は、手書き文字の絶妙さで、ファンジン大賞イラスト/レイアウト部門賞を受賞した。伝奇小説とアイドルの研究家としても知られる。しかし、彼は、もともと作家をめざしているのだ。いまの出版状況では、作品内容にはかなりの制約がある。なにを書いてもいいわけでは(もちろん)ない。それでも、書けることがある限り、書き続けたいのだという。現在、定時制高校の常勤講師。 |