1960年 牧眞司

 この年は、R・A・ラファティがデビューしている。

 SF雑誌の誕生、あるいはキャンベル革命、それともF&SFやギャラクシイの登場によるジャンルの拡大、そういうSF界全体に影響を及ぼす大事件があった年ではない。ニューウェイヴの台頭も、もうちょっとあとのことだ。

 しいていえば、『アスタウンディング』が『アナログ』に改名した年。そして Who Killed SF ? が出たのも、この年だ。むしろSFというジャンルの行き詰りが、意識されはじめたころかもしれない。

 もちろん、その“意識”と、ラファティの登場とはなんの関係もない。彼のデビューはささやかなものだったし、その特異な作風が注目されるのには、いま少しの時間が必要だった。

 1960年(あるいは60年代)は、SFばかりでなく、アメリカという状況も大きく変ろうとしていた時代だ、と言えるかも知れない。でも、そんなことは、いつの時代でも言おうと思えば言えることだし、だいいち、ぼくはその当事者ではない。それよりも、まったく別なところで起きていたラファティのデビューのほうが、大きな事件だ。

 そういえばJ・G・バラードが「時間都市」と「時の声」を発表したのも、1960年だ。ともに、ニューウェイヴの先駆けといって片付けるには、あまりにもユニークなサイエンス・ファンタジイの秀作だ。コードウェイナー・スミスが、みるみる輝きを増してきたのも、このころだ。P・K・ディックが、『高い城の男』でバケて、あの恐るべき作品群を準備していたのも、このころ。

 長いSFの歴史のなかで、他に類を見ないほどすばらしく、ユニークな才能をもった作家が5人いるとしよう。そのうち4人が、この1960年という年(もその前後)に、注目すべき軌跡を残しているのである。もちろん、それはシンクロニシティなどというものではない。彼らの作風は互いにまるで違うものだし、その作品のあいだには、なんの暗合も見出せない。

 どんなエポックも、どんなムーヴメントも、時代とともに陳腐化してしまう。しかし、優れた才能はいつまでも読者を魅了する。1960年という年を忘れたとしても、そこから発した光は、いつまでもぼくの行く手を照らしだしてくれるだろう。

 作家を主体にベストイヤーを選んでくれたのは、他に菅浩江だけである。ただ、牧眞司の場合は、ラファテイという作家から、遡ってデビュー年=ベストイヤーを設定している。本当のことをいうと、こういうベストがもっとあつまると予想していた。とはいえ、個人のベストはあくまで個人のベストであって、特定作家の活動と直接結びつく例は少ないようだ。

(97年の編注:写真は著者が1990年5月に発行したラファティのビブリオファイル)

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