大宮信光
私にとってのSFの年といえば、1982年でしょうね。日本SF大会(トーコン8)の実行委員長だった年です。
なにしろ、スタッフが豪華だった。志賀隆生、新戸雅章(新田正明)、永田弘太郎、牧眞二、巽孝之、鹿野司、中井紀夫、秋沢豊、そして野村芳夫、星敬、山岡謙など、などといったツワモノである。まだまだ多くの人々の協力を得たが省略させて頂く(ゴメン!)。
日本SF大会を開けば、多くのプロの協力が必ず自動的に得られるという古き佳き時代はもうとっくに過ぎていた。企画をたてては頭を下げて回り、次々に破れ、涙すること度々であった。しかし、日本SF界に微力ながら貢献できたと自負している。それはスタッフの面々のその後の活躍ぶりが立証していると思うのだが、いかがだろう。もっとも、大会経験がそのSF人生にほとんど影響を及ぼさなかった人もいるようだけれど、ね。
大宮さんは、KSFAと直接のつながりはなかったが、牧眞司がやっていたころのセミナー以来、なんどかお会いした。今回は大会の思い出という観点で、ベスト・イヤーを選んでいただいた。寄稿者で、他に大会実行委員長経験者というと、柴野さんくらいである。いつごろからか、SF大会と、セミナーなどのテーマを絞ったコンベンションとは、相いれなくなってきた。無理に融合しようとすると、どこかに矛盾を生じてしまう。TOKON8は、そういう意味で、異色の大会だった。4年後のDAICON5も、この大会を念頭においていた。東京では、以後1990年まで、8年間大会が開かれなかった。 |