柴野拓美
ぬけぬけと言うようで気がひけるが、わたしはこれまでに“わがSF人生最良の年”を3度経験している。言いだしっぺで第1回日本SF大会の委員長をつとめた1962年、世界SF大会へ招待された1968年、および日本SF界をあげて<宇宙塵>20周年を祝っていただいた1977年、の3つである。だが、編集部お求めの「ベスト・イヤー」というのは、そういう意味ではあるまい。
作品収穫上の最良の年となると、まず頭に浮かぶのは、50年前、はじめてウエルズの『宇宙戦争』(改造社版)を読んだときのことである。とすると、わたしにとっての最高収穫の年は、それの書かれた1898年か、訳された1929年か、実際にそれを読んだ1939年かということになるが……でもこれもどうやらご依頼の趣旨とはいささかくいちがうようだ。
とすると、あとはやはり50年代だろうか。とくに1953年には、クラークの『幼年期の終り』(わたしは『都市と星』のほうが好きだが)、ブラッドベリの『華氏451度』(この作者最高の長編!)、スタージョンの『人間以上』(超能力SFの原点と言ってよいだろう)、ベスターの『破壊された男』(わたしは名作の誉れ高い『虎よ! 虎よ!』よりこっちのほうが好きだ)、それにハル・クレメント『重力の使命』(<アスタウンディング>誌掲載の冒頭でショックを受けた思い出が今もなまなましい)など、わたしの好きな名作が集中しているので、まことに月並み(時代遅れ?)ながら、この年を代表としてあげておきたい。むろん実際にわたしがこれらに触れたのはもっとあとのことだし、一部を除くと実は翻訳しか読んでいない。お恥ずかしいしだいである。
日本人作品については、かの<星雲>や<宝石>のSF特集などで、彼我のあまりにもひどい落差に慨嘆した記憶が支配的なため、すなおに評価しにくいところがある。初期の収穫でも、手塚治虫『来たるべき世界』は漫画だったし、瀬川昌男『火星に咲く花』は児童ものだったし……結局、<SFマガジン>などの作品レベルでわが国の後進性がなしくずし的に解消していくのが実感された60年代初頭が、わたしにとっては最良の時期ということになりそうだ。実際、あのころの進歩のめざましさは、昨今の日本経済の発展の先駆現象だったような気がする。いや、これも考えてみると、レベルそのものではなくレベルの上昇速度の話だから、編集部のご注文とは合わないかもしれないが……。
1997年の付記:1996年夏、わたしはその年のワールドコン(L.A.コン3)に、ファン・ゲスト・オヴ・オーナーとして招かれ、4度目の人生最良の年を迎えることができた。右、感謝をもって報告まで。
ベストイヤーは、どうしても個人の読書歴に影響される。そのためか、50年代を選ばれたのは、柴野拓美さんだけである。しかしこの文章の中には、ファンとしての、読者としての、客観的な意味でのベストイヤーなど、すべてが含まれていることがわかる。 1997年の編注:左記写真は著者の L.A.con3 参加を伝えるLOCUS 1996年11月号(430号)記事。
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