ンネディ・オコラフォー『ビンティ』早川書房

BINTI:The Complete Trilogy,2015-2017(月岡千穂訳)

カバーデザイン:川名潤

 著者は1974年生まれの米国作家。両親がナイジェリア出身で、自身の出自を明確に意識したアフリカ系アメリカ人だ。この作品もアフリカン・フューチャリズム(アフリカの文化や視点に基づくもの)であり、欧米生まれのSFとは異なるルーツで書かれたものとする。本書は3つの中編(原著にあった書下ろし中編は含まれず)からなる長編。第1作目(第1部)が2016年のヒューゴー賞(同様の主張をするジェミシン『第五の季節』と同年)、2015年のネビュラ賞をそれぞれ中編部門で受賞している。

 未来のアフリカのどこか。田舎に住む伝統的な調和師である16歳の少女が、保守的な家族の反対を押し切って異星にある名門大学へと旅立つ。彼女の一族からその大学に入学したものはいないのだ。だが、新入生を乗せた宇宙船は何ものかの襲撃を受ける。

 調和師とは、ハンドメイドの通信端末作りに携わる工芸家で、高度な数学的センス(ある種の直感力?)を有する。主人公は閉鎖的で伝統重視のヒンバ族(現在のナミビアに住む少数民族)に属する。乾燥地帯には、砂漠の民もいる。地球の支配層クーシュ族はクラゲ状の異星人メデュースと対立しており、ちょっとしたきっかけで戦争になる。一方、大学は銀河中のあらゆる異星人を受け入れるオープンな施設である。宇宙船もユニークで、エビに似た姿を持つ生体宇宙船なのだ。

 物語では、広い世界を見ようと飛び出した主人公が、次第に調和師としての自我に目覚め、姿形のまったく異なる異星人すら味方に付け、葛藤しながらも大いなる宥和へと向かう姿が描かれる。本書中には風習の違いや少数民族に起因する差別はあるが、いまの欧米で見られるような意味での人種差別とは異なるものだ(クーシュ族は白人ではない)。テクノロジーも今現在の延長線上にはないようで、そういう価値観の転換が面白い。アフリカン・フューチャリズムを体現しているのだろう。

 アフリカ、それも西海岸のナイジェリアとなると、日本人は知識もなく関心が薄い(過去のビアフラ内戦や、現在のイスラム過激派ボコ・ハラムによるテロ活動など、ネガティヴな情報を耳にしたことがあるかも知れない)。しかし、ナイジェリアは人口2億余、ブラジルに匹敵する大国で、アジア時代(21世紀前半)の次にくるアフリカ新時代(21世紀後半)には、世界のリーダーになると目される国だ。そこに、複数(250)の民族に由来する独特の文化があっても不思議ではない。われわれの見たことのない新たな光景が描かれることに期待したい。

アーカディ・マーティーン『帝国という名の記憶(上下)』早川書房

A Memory Called Empire,2019(内田昌之訳)

カバーイラスト:Jaime Jones
カバーデザイン:早川書房デザイン室

 アーカディ・マーティーンは1985年生まれのアメリカ作家だ。パートナーはファンタジー作家のヴィヴィアン・ショーで、共にサンタフェに在住する。ビザンツ帝国史で博士号を取得し、後に都市計画の修士号を得て現在はそちらを生かした仕事に就いている。SF作家としてのデビューは2012年、本書は2019年の初長編だが、2020年ヒューゴー賞長編部門を受賞するなど高い評価を受けた。経緯は異なるものの、初長編でいきなりブレークした『最終人類』と似たところがある。スペースオペラに歴史の専門分野を織り込み、エキゾチックな雰囲気を配した作品だ。

 遠い未来、銀河宇宙は大帝国テイクスカラアンにより支配されている。小さな独立ステーションにすぎないルスエルは新任大使を首都に送り込むのだが、そこで連絡を絶った前任大使の謎めいた行動が明らかになる。何を画策しようとしていたのか。足跡を追ううちに、新任大使の身にも次々と難事が降りかかってくる。

 登場人物の名前が変わっている。帝国の人々はスリー・シーグラス、シックス・ダイレクション、ワン・テレスコープなど、数字と単語を組み合わせた奇妙な名を持つのだ。しかも、ビザンツとアステカが混ざりあった文化を持つ帝国では、意見表明の際に詩の朗読をする風習になっている。ただし、物語の(文明の衝突などの)文化人類学的な側面はあくまでも背景にすぎない。主人公とペアの案内役(第一秘書的な地位)の2人が、宮廷内で密かに進む陰謀の真相に切り込むサスペンスがメインとなる。このあたりは、ジョン・ル・カレのスパイ小説から影響を受けたと著者自身が述べている。

 帯に『ファウンデーション』×『ハイペリオン』とあるのはちょっと書きすぎで、それらと本書では銀河帝国やスターゲートが出てくる以上の共通項はない。解説で指摘されるもう一つの影響元C・J・チェリーが、日本で絶版状態なのは惜しいと思う。チェリーの描く異世界は、ファンタジー寄りではなくSF的だったからだ。本書ではその設定を前提に、表紙イラストに描かれた『ゲーム・オブ・スローンズ』風の玉座を巡る、権謀術数のドラマが楽しめるだろう。登場人物の関係は性差もなく今風。また、続編 A Desolation Called Peace は今年出たばかりだが、すでに翻訳が決まっているそうだ。

空木春宵『感応グラン=ギニョル』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:machina
装幀:内海由

 第2回創元SF短編賞(2011)を「繭の見る夢」で受賞した著者による初の短編集である。長期間沈黙した後、活動を再開したのが2019年なので、ここ2年間に書かれた中短編5作品を収めたものだ。創元日本SF叢書の一冊ではあるが、巻末の広告欄では夢野久作、久生十蘭、江戸川乱歩の諸作が並んでいて、本書の立ち位置を推察できる。

 感応グラン=ギニョル(2019)関東大震災後の昭和初期、浅草六区に特異な出演者ばかりを集めた芝居小屋グラン=ギニョルが生まれる。
 地獄を縫い取る(2019)共感を伝えるエンパス技術が一般化した世界、主人公はジェーン・ドゥと呼ばれる少女が登場するアプリを制作している。
 メタモルフォシスの龍(2020)人が蛇や蛙へと変変態していく街で、しだいに蛇に変わっていく姉御と同居する少女は自分のメタモルフォースの遅さに苛立つ。
 徒花物語(2020)ある病を負った少女たちが女学校に集められ寄宿生活を送っていた。先輩に憧れる主人公は、この学校の秘密を知るようになる。
 Rampo Sicks(書下ろし)アサクサ一二〇階がそびえ建つAsakusa Sixで繰り広げられる、美を摘発する探偵団と皓(しろ)蜥蜴との戦い。

 表題作「感応グラン=ギニョル 」は昭和初期(0年代)版『異形の愛』だろう。そこに心の問題を持ち込んだのが本作のポイントだ。「地獄を縫い取る」は近未来を舞台に、世界的な社会問題となっているテーマを、よりディープに掘り下げている。「メタモルフォシスの龍」は、遺伝子工学ものというより耽美なファンタジーの方向に振った作品だ。少女の心の揺れが読みどころになる。「徒花物語」は伴名練も「彼岸花」で手懸けた吉屋信子風の女学生もの。しだいに異形のものの正体が明らかになる過程が面白い。書下ろし作「Rampo Sicks」では、顕著に見られる江戸川乱歩(黒蜥蜴ならぬ皓蜥蜴、少年探偵団など)に対する言及や、昭和初期の作家へのオマージュが随所に出てくる。冒頭で言及した立ち位置が与えられる所以だろう。

 江戸川乱歩は自身のエログロものを卑下していた(本格ものがミステリの王道だと考えていた)ようだが、今日まで大きな影響を残しているのはむしろそういった作品である。本書では、猟奇的退廃的な世界を積極的に取り上げる。ほの暗い舞台の中で、異形のものたちが跳梁する。彼らは肉体が失われても、人の心を残しているために苦悩する。現代に甦る昭和初期風エログロという発想はユニークだろう。

チョン・セラン『声をあげます』亜紀書房

목소리를 드릴게요,2020(齋藤真理子訳)

装丁・装画:鈴木千佳子

 すでに何冊も翻訳がある、人気作家チョン・セラン初のSF短編集。本書は韓国のSF専門出版社アザクから昨年出たばかりの作品集で、中短編8作を集めたもの。著者は1984年生まれなので、年代的には郝景芳(ハオ・ジンファン『人之彼岸』)チョン・ソヨン(『となりのヨンヒさん』)に近い。

 ミッシング・フィンガーとジャンピング・ガールの大冒険(2015)好きになった人の指だけが、過去にタイムスリップしてしまう。2人は指探しの旅に出る。
 十一分の一(2017)11人いた大学サークルの変人たちの中で1人だけ気に入った人がいた。以来会うことはなかったのだが、あるとき全員が集まる同窓会の招待状が届く。
 リセット(2017-19)長さ200メートルに及ぶ巨大ミミズが至るところに出現し世界は壊滅する。残された人々は、過去を捨てて生活を再建しようとする。
 地球ランド革命記(2011)異星の観光客に不評な地球とは別に、地球ランドと呼ばれる観光施設が作られる。しかし、展示物は本物とはいいがたい紛いものばかり。
 小さな空色の錠剤(2016)もともとアルツハイマーの治療薬として開発された青い錠剤は、思いもよらない使われ方をするようになる。
 声をあげます(2010)無意識に人に危害を与える特殊能力者がいる。そういった人々は収容所に収監され、能力を失わない限り外に出ることができない。
 七時間め(2018)現代史の授業では、直近の大絶滅が起こった原因を集中して学ばなければならなかった。
 メダリストのゾンビ時代(2010)地球規模で起こった人類のゾンビ化。たまたま生き残ったアーチェリーのメダリストである主人公は、屋上からゾンビをひたすら射る。

 指だけがタイムスリップしたり、変人だらけのサークルがあったり、巨大ミミズが文明を崩壊させ、嘘っぽい地球ランドや、新薬が変えた奇妙な社会や、やむを得ないとはいえ自由を奪われる呪われた者たちや、ゾンビのただ中のメダリストが描かれる。リアルというより奇想寄り、ハードさよりもユーモアに寄せている。とても深刻な状況なのだが、ふんわりと包み込まれるように書かれていて、小さな救いを感じさせる。

 著者は「七時間め」「リセット」などで、人類のいまの文明の方向性に疑問を呈し、「声をあげます」では多数のために1人を犠牲にする是非を独創的な設定で考察する。気象変動やコロナ禍は、人類を(いまのところ)滅ぼしてはいないけれど「生まれて以来ずっと生きてきた世界が揺らいでいる」と感じることが多くなった。著者は「そのときに手にする文学がSFだと思う」と述べている。問題の解決は遠くても、視点を変えることで、希望のひとかけらを見いだすことができると信じているからだろう。

大恵和実編『移動迷宮 中国史SF短篇集』中央公論社

移動迷宮,2021(大恵和実編訳,上原かおり訳,大久保洋子訳,立原透耶訳,林久之訳)

装幀:水戸部功

 耳慣れないサブジャンル「中国史SF」の日本オリジナル作品集である。これは、一般的な歴史改変SF(あるいは並行世界もの/時間もの)のうち、近代から春秋戦国時代(紀元前)の中国史を舞台とした作品群を指すようだ。旧来の歴史SFではタイムパトロールのような絶対的な存在が主体だったが、本書では歴史そのものがテーマになっている。

 飛氘「孔子、泰山に登る」(2009)春秋戦国時代(前五世紀ごろ)、孔子たち一行は旅の途中で兵に包囲され難渋していたが、そこに機械鳥に乗った救出者が現われる。
 馬伯庸「南方に嘉蘇あり」(2013)後漢の末(一世紀ごろ)、アフリカから嘉蘇=コーヒーが伝来する。高価な薬だった嘉蘇は、やがて大衆にも広がり、さまざまな故事成語や詩編を生み出す。
 程婧波「陥落の前に」(2009)随の終わりから唐の時代(七世紀ごろ)、荒廃した洛陽に住む幽霊使いと弟子の少女との物語。宮崎駿の影響を受けたとされる。
 飛氘「移動迷宮 The Maze Runner」(2015)清の乾隆帝の時代(一八世紀ごろ)、英国から訪れた貿易使節団は、北京円明園に設けられた迷路の中で出口を見失う。
 梁清散「広寒生のあるいは短き一生」(2016)現代の在野研究家が、清朝末期(二〇世紀初め)に月を舞台にした小説を書く無名の作家を発見する。いったい何ものなのか。文献調査は、時に足跡を見失いながら続く。
 宝樹「時の祝福(完全版)」(2020)1920年の大晦日、主人公は英国帰りの友人と再会する。友人はウェルズの邸宅に隠されていたタイムマシンを持ち帰ってきたという。彼らはある目的で過去を改変しようとするが。
 韓松「一九三八年上海の記憶」(2005)1938年日中戦下の上海では、人生を巻き戻せるレコードが流行していた。戦争が続く一方、次々と人々が消滅していくのだ。
 夏笳「永夏の夢」(2008)時間を自由に跳躍できる主人公と、永遠に生き続けられる永生者がランダムな時間軸の中(新石器時代から地球消滅まで)で出会い、別れる。

 改変歴史物といえるのは「孔子、泰山に登る」「南方に嘉蘇あり」「広寒生のあるいは短き一生」の3作で、大胆に歴史に手を入れた「孔子、泰山に登る」と、史実かと思わせる後者2作に別れる。一方の「陥落の前に」は幻想色が濃くなり、それに寓意を加えたものが「移動迷宮」だろう。「時の祝福」はタイムパラドクスを皮肉っぽく描き、「一九三八年上海の記憶」はこの著者らしい奇妙な味を際立たせる。「永夏の夢」は、ジャンパー(タイムリーパー)の孤独を感じさせる現代的な雰囲気のSFといえる。

 近代以降を舞台とする作品だと、現在までの期間で生じうる差異となるので「改変」の度合いはあまり大きく取れない。ピンポイントに絞られる。その点、本書の前半作品のように一千年以上前となると、フィクションの投入がより自由になる。大法螺のスケールが増大するのである。後半の3作品は、むしろ時間SFの秀作として楽しめるだろう。