空白の大涅槃 空白シリーズ
荒巻義雄(祥伝社1985/7刊)


SFアドベンチャー
(1985年12月)

 『空白の十字架』にはじまるシリーズが、ここに完結した。(終わりそうもない)未完の連作が、延々と続く中での完結である。新書、文庫の書き下ろしは、近年特に、終われない(あるいは、終わらせてもらえない)傾向にある。このシリーズも、10年にわたって書き継がれた、計8編の連作長編だ。ただ、前半四作(75年から78年まで)と、インド、メソポタミア、エジプトとスケールを広げた後半四作(82年から85年)とには、期間的な隔たりがある。また、期間の差異や、設定の違い以上に、物語の展開も、後期に至るほど変質していく。

 シリーズを順に追っていこう。

 『空白の十字架』では、飛鳥に眠る”空白の十字架”の秘密と、謎の宗教団体“大日本天人教”について。
 『空白のアトランチス』では、日本の古代海洋民族と、アトランチス文明との関連について。
 『空白のムー大陸』では、イースター島やニューギニアに潜むムー帝国の遺物と、古代日本の関わりについて。
 『空白のピラミッド』では、世界に散らばるピラミッドの謎と、秘密結社“アメン神団”について――がそれぞれ語られる。

 後半では、まず主人公がインドに渡るところから、物語が始まる。これ以降、全般的に、いわゆる伝奇ものの範疇から、外れるようになる。

 『空白の黙示録』では、再び大日本天人教が登場、クメールの遺宝を巡って話が進む。
 『空白の失楽園』では、基本的にインド自体がテーマとなる。起こる事件も、その存在の重さを越えるものではない。
 『空白のメソポタミア』に至ると、ますますストーリーは静的になり、主人公による古代への時間旅行も描かれる。
 『空白の大涅槃』は、シリーズのしめくくりとして、多くのなぞ (クフ王のピラミッドの秘密など)が、説き明かされる。

 “超古代もの”という分野は、確かに、他に書かれていないわけではない。しかし、小説の形で、舞台を現代に置き、ムー、アトランティス、レムリアと、その総ての要素を結び付ける試みは、相当に野心的といえる。この類いの作品では、読者に頑迷な常識があって、よほど説得力があるか、推理的要素がなければ、飛躍した設定を受つけないと思うのだ。けれど、作者は決して過度の説明をしようとはしない。当然のことのように、超古代の史実を書き記るしていく。そこが、第一の特徴といえる。

 特に終わりの二巻では、バイオレンスも派手な活劇もなく、ただ淡々と物語が進み、古代の謎が (これも、ドラマチックに解明されるのではなく) 粛然と語られていく。各巻の評でも書いたが、ここに流れる時間は、“現代”とも“現実”とも異なる、いわば 『神聖代』や『時の葦船』 に共通した幻の時間なのである。十年が経るうちに、伝奇推理の目新しさは、褪せていった。そしてまた、伝奇推理として書き始められた、このシリーズも、物語の制約を越え、作者の本来想定したであろう、別時間、別世界を描く内容へと変化していったのだ。

 超古代の秘密が、本当にあったものかどうか、また作者がその実在を信じて (信じさせようとして) 書いているかどうか、その辺り、普通なら、物語を読む姿勢に影響する。けれど、ことシリーズ後半に限り、新書的な読みかたを変える必要がある。現代が舞台であるという前提を外し、ありえない世界を読むつもりで、接するべきだろう。