フライデイ
ロバート・A・ハインライン (早川書房1984/7刊)


SFアドベンチャー
(1984年10月)

 巨匠の長篇というのは、やはり出版が待たれていたのだろうと思う。相次いで、翻訳が出ていることでも分かる。第一、良く売れている。これは、アメリカても日本でも同じことで、作品の出来不出来にかかわらず、必ず、ペストセラーの上位にリストア ップされている。中でも、ハインラインは、『獣の数字』や本書など、ほとんど新作を書かない御老体とは違って、若手現役以上の活躍をしている。知名度抜群の、最適売れセン作家である。――しかし、こういう作家の評価や解説はむずかしいですね。たとえぱ、本書や『獣―』の解説を見ても分かります。

 さて、『フライデイ』とは何者かというと、人工人間(遺伝子操作によって、“加速度感覚”と“強化筋力”を付与された、スーパーマン)の女性のこと。傭兵会社の一員として働く、戦闘伝書使フライデイは、休暇中、全世界を巻き込む暗殺戦争に帰路を閉ざされ、路頭に迷う…。

 近未来、人類は遠く宇宙の果てまで、植民世界を作っている。しかし、アメリカは、多くの帝国、連邦に分裂している。閉ざされた国境を越えるのは、簡単なことではなかった。かくして、彼女の冒険が始まる。

 主題は、フライデイの成長。人工人間は、この世界では、まだ平等に受け入れてもらえない。正体を知らせることは、長年築き上げた人間関係さえ崩壊させる。伝書使として、幼いころから育てられた彼女にとって、外の世界は、未知の領域だった。

 ハインラインの、初期ジュヴナィルにあったようなテーマ。昔と今とでは、ハインラインの作風も大違い、見掛け上ずいぷん変わってきている。けれど、少年(少女)が、成長の儀式に参加し、結局何も(意識に)変化を生じない点など、やっぱり昔のハインラインだ。ハインラインの描く人物は、みんな信念の人である――そうそう揺るがないのである(うーむ)。本書の場合、本質的に新しい物は、なにもない。いかにも、現代感覚にあふれた書き方をしているようでも、(たとえぱ、性や結婚などの未来風俗)それは、あくまレトリックだ。ゼラズニイやディレーニイの六○年代感覚とも、ヴァーリイやマーチンの七○年代とも,もちろん異なっている。ハインラインの限界を越えたりはしない。ハインラインの現代は、『月は無慈悲な夜の女神』(1966)で終わっていたように思う。

 巨匠の二番煎や、出がらしは、たいていマニアに支持されない。理由は数々あるけれど、過去のシリーズ人気便乗物、作者名の七光物と、実力を伴わない点が、一番嫌われる。もちろん、総てがそうだとは言い切れないのだが。さて、『フライデイ』がどうかというと、相半ばが結論。まとまりはあるものの、物語のスケールは小さく、今一つ、広がりが感じられない。確かに、すこしまえの作品にあったような、無意味な冗舌は少ない。だが、ようやく宇宙に飛び出すまでに、物語の三分の二が終わっている。詳細な星図まで載せた、 せっかくの設定が十分生かされていないようだ。(この作者に宇宙物を期待するというのも、古い感覚かも知れないねぇ)。中には、『さらぱ、ふるさとの惑星』の、ハインライン版という説を唱える知り合いもいる――『さらぱ―』は、近未来を舞台にした普通小説という感じだった。うむ、なるほど、同じような設定の話だ。ホールドマンより、まだ読ませるところが、せめてもの救いか―でも、ハインラインの普通小説は、いくらなんでもあんまりだ。もうすこし、なんとかしてもらいたかった。ハインライン・ファンなら、誰でも、そう考えるんじゃないだろうか。

*本書は1994年に文庫化されている。