SFアドベンチャー
(1983年3月)
(新潮文庫版カバー)
(河出文庫版カバー)
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宇宙のバイパス予定地にあった地球は、強制撤去命令を受けて、あっけなく消滅した。生き残った地球人である主人公と、その友人のベテルギウス人は、宇宙をヒッチハィクで旅することになる。
“銀河ヒッチハィク・ガイド”とは、宇宙百科事典より売れているという、ガイドブックの題名である(ベテルギウス人は、その記者だった)。そこに現われたのは、宇宙船〈黄金の心〉号。銀河帝国大統領自身が、宇宙最大の財宝の眠る惑星マグラシアを捜すため、盗み出した船なのだ…。
本書は、イギリスBBCで放送された、ラジオドラマ(後にテレビドラマ化)のノヴェライゼーションである。現物のドラマ自体を聞いていないので、どれだけ忠実に小説化されているのか、逆に小説の中身がどれだけドラマの方に反映されていたのか、その辺りは分らない。もっとも、モンティ・パイソン風のシャレを聞いて分かるとも思えないし、訳出不可能な部分も多いだろう。この翻訳でも、シャレはほとんど省かれているようだ。
しかし、次々と登場する波瀾万丈のアイデアの数々――不可能性推進の宇宙船、財宝を秘める古代惑星の謎、そして地球誕生の秘密(誰が、何のためにつくったのか)。さらに、ほんの端役一人一人までが個性豊かで、しかもどこか異常である――何の権力も持たない銀河帝国大統領、いつも不平だらけのロボット、売れたことのない小説を書く警官などなど。けれども、冗談のエスカレーションと異常な人物、とそれだけなら、モンティ・パイソンそのものだ。本書が、単なる冗談に終っていないのは、SF窮極の謎を追求し(その謎とは、「生命と、宇宙と、万物とは何か」である。何が答か分かりますか?)、しかも答を出してしまうという、突き抜けがあるからだ。SFにはセコイ話が意外に多いけれど、シリアス、パロディを問わず、やはりこれぐらいのアイデアの提示と落差(答を見て驚きました)がなくては、十分といえないだろう。
ラジオドラマという形態が、本書に一番影響を与えたと思えるのは、広く浅く(切れ味よく)物語を進めていっている点にある。スト−リーは軽く、場面転換も早い。それに伴って、アイデアも自然に流れ出す。このドラマは、大変な人気を呼んで続篇もつくられた。人気の一端に、このアイデアと(おそらくは)シャレの複合化があったことは、十分想像がつく。小説の方でも、物語の前半は、主に話術で読み手を引きずり込み、後半宇宙の謎に迫るところから、SFの面自味で引っぱっていく。よく読むと、結構矛盾も出てくるだろうが、軽快さでそれを補っている。
それから、ヴォネガットを思わせる人物たちの魅力がある。“ちょっと悲しい”と惹き句に書かれた、人物たちの影の味である。自分の家を立ち退かされそうになった主人公は、必死で家を守ろうとするのだが、次の瞬間家は地球ごと消滅してしまう――(これは翳になりますよ)。なぜ銀河大統領が宇宙船を盗むのか。それは、大統領が実はお飾りで何のカも持っていないと知っていたから、船を盗むチャンスを得るため大統領になったのだ――(この屈折)。超高度の知能を持っているせいで、あらゆる仕事がバカらしく、生活が苦痛になったロボット――ネクラです)。個性豊か、とはじめに書いたのは、こういう意味での豊かさなのだ。やはりイギリスのドラマだけあって、相当のクセがある。
結論。軽さが身上の話だから、手放しで大傑作とほめるには躊躇がある。しかし読んで損はない。少なくとも面自い。ただドラマの人気からみて、イギリスのシャレが分かる人なら、聞いた方が損はないといえるか。
*2005-06年、映画化を契機に新訳が河出書房新社から出た(3部作+未訳の続編2作)。 |