奇人宮の宴
ティム・パワーズ(早川書房1988/8刊)


SFアドベンチャー
(1988年12月)

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 ポスト・ホロコーストもの。日本SFでは、近年ほとんど書かれないテーマである。破滅(多くは核戦争)後に日本が存在すること自体、だれも信じられないからだろうか。あるいは、テーマが重すぎるせいかも知れない。

 核戦争後に、人類が生き残れるかどうかの根拠はともかく、アメリカの最近の傾向では、封建化した社会の再建(あるいは崩壊)が、何らかの形で描かれることが多い。観点は別にして、『荒れた岸辺』(ロビンスン)、『ポストマン』(ブリン)、なども、その部類に入るだろう。従来、大災厄後の社会を得意としたのは、主にイギリス作家達で、ウィンダム、クリストファー、オールディス、バラードと、それぞれに特異な社会を見せてくれた。それに比べると、アメリカ作家は、どうしても類型的になりがちである。既存秩序(現代)の回復、あるいは批判に目が行きすぎて、新しい社会、異質な社会のあるがままを受け入れようとしない。

 さて、本書はどうか。

 舞台はロサンゼルスである。ペリカン (の形をした楽器) 奏者のリーヴァスは、ある日、一人の女を“奪還”するよう依頼を受ける。その女は、かつて思いを寄せたことのある女だった。一度は引退した彼だったが、褒賞金の額にも動かされ、引き受けることになる。誘拐者はジェイバードと呼ばれる狂信者たち、そして、目的地はその巣窟“奇人宮”だ。

 ジェイバード教団は、ある種の洗脳を行い、信者を二度と離さない。抜け出すこともできないのだ。核戦争後のアメリカに、統一組織はない。頼れる軍隊も、警察もない。教団から目的の人物を連れ出すのが、奪還者の仕事である。

 あらすじから連想する、“ハードボイルド”に、なりそうでなれない――というか、ならないのは、主人公が意外とヤワな点にあるのだろう。動機が軟弱で、得意技はすぐに見抜かれ、何度も危機に陥っては偶然助かっている。

 本書の特徴は、まず第一に、現代を無気味に歪曲した(ととれる)未来描写である。そういう意味では、『パパの原発』(レイドロー)などより、ずっと風刺物に近い。お酒の通貨、馬に引かせたシボレーや、自転車に乗った暴走族というのは、まだかわいい。この時代のヤクは、実は……という結末は、さほど意外ではないけれど、現代との対応を考えた場合、かなり皮肉な発想である。教祖ジェイブッシュを頂点とした宗教は、テレビ伝道師がモデルだろうか。アメリカでの派手な信者集めが、よほど反感を買っているらしく、『パパの―』などと同様、本書でも教祖は人間扱いされていない。アメリカ人でない分、その辺りの感触は、いま一つではあるが。

 『奇人宮―』の全体構成を見ると、いくぶんかはパロディ、いくぶんかは冒険物、いくぶんかはファンタジイ、いくぶんかはSFである。善し悪しは別にして、結局のところ、本書は異世界構築を目的とはしていないのだ。はじめに書いた、イギリス作家のパターンには、やはり、当てはまらないだろう。

 作者のパワーズは、本書が単行本初紹介。主に、一九世紀ファンタジイを得意とすることから、新鋭作家何人かと“スチームパンク”と称される。要は、ハイテクなしのパンクですな。もっとも、アウトロー主人公などに、パンク派の面影があるものの、全体としては、オーソドックスなSFの枠内である。文章が技巧に走るということもなく、主人公の道徳観も、常識人を踏み外していない。安心できる反面、やや物足りないと感じるかもしれない。