SFアドベンチャー1990年掲載分(後半)


イアン・ワトスン
スロー・バード(早川書房)

 ワトスンの、オリジナル短篇集である。もともとある5つの短篇集などから、編集部が独自に14篇を選んだもの。
 ハイテクの異邦である東京を描いた「銀座の恋の物語」/30年後にいくために、30年過去にさかのぼるタイムマシン「超低速時間移行機」/現代の砂漠に再現された、古代バビロンの世界「バビロンの記憶」/爆発と共に、一帯を不毛のガラスに変える、鳥ににた飛行物体「スロー・バード」……。
 できるかぎり、幅広く採録したとのことだが、なるほど同種のお話しは少なく、あらすじを書いていくだけで、紹介が終ってしまいそうだ。
 ワトスンについては、絶版になった『マーシャン・インカ』『ヨナ・キット』(サンリオ文庫)、あるいは『デクストロU接触』といった長篇から“観念的=難解”などという印象が強かった。この意識は、短篇を読むときにも残っていて、アイデアや道具立て――金魚鉢に飼われる魂、大西洋をわたる大遠泳大会など――の奇想さにむしろ目がいってしまう。ところが、今回短篇集を通して読むかぎり、ワトスンが描こうとしたものは、破天荒なものというより、はるかに繊細なもののように思える。たとえば別世界に失われた妻への思い、異次元の再来へのあこがれ、見えないプレゼントへの希望などなど、物語の主人公たちは、ささやかすぎる願いを秘めている。いや、もちろん、「超低速――」のように、理屈っぽいものもあるのだが。
 本書に収められた短篇は、SFマガジンなどを、たんねんに読む人にとって、大半がおなじみの作品である。しかし、1冊になると、ワトスンの違った面がみえてくる。中身の濃さは保証できる。おすすめ。

大原まり子
やさしく殺して(徳間書店)

 イル&クラムジーの第4作目。5つの短篇を収めた作品集である。
 料理人から依頼された、究極の料理コングラッサとは何か「クラムジーの味」。
 魂を吹きこまれたクラムジーは、王女さまを救出する冒険に乗りだす「午後三時の太陽、午前三時の月あかり」。
 なぜか、クラムジーを嫌う、創造者との出会い「綺麗」。
 なぜクラムジーは、無意識の間に殺人を犯したか「やさしく殺して」。
 あらゆるものの贋物を作った、男の正体は「なにに誠実を誓うのか?」。
 以上、すべて本誌に掲載されたものばかりである。おなじみのシリーズだろう。このシリーズでは、作者の主人公への思い入れが、だんだん凝集していくように思える。愛≠ノ満ち満ちている宇宙、という設定もすごいけれど、特にイルの一人称で語られる、クラムジーの描写には、鬼気(!)せまるものがある。
 クラムジーは究極の美を備えた、両性具有のロボットである。通常は男の姿をしていて、状況により女性化する。けれど、主人公の二人は、愛人関係でもなく、タフガイ同士でもない。ボケとつっこみとでもいう関係である。なるほど、その点では、作者のいうとおり、ナポレオン・ソロ&イリヤ・クリヤキンとか、白バイ野郎ジョン&パンチに似ていなくもない。だが、描かれた印象は、かなり異質なものだ。あのドラマから、こういったキャラクター(性格はともかく外観)が導かれるというのは、なかなかの驚異である。
 作者ならではの、不思議な味がまた濃くなった。これは、他では(たぶん)出会えない味覚である。

クリストファー・ファウラー
ルーフワールド(早川書房)

 ルーフワールドとは、ロンドンの夜、屋根の上にひろがる世界のことである。
 都会にかさなりあう別世界――たとえば、バラードの『コンクリートの島』(都会にありながら、人をよせつけない孤島)などは、多くが、都会の棄民たちの避難所、あるいは流刑地として描かれてきた。そこは、現実のほんの裏側にありながら、常人が決してたどり着けない地でもある。都会は、多くの失踪者を生む。日常を捨てたものだけに、異世界の扉が開かれるのである。これまで、多くの作品で描かれており、それだけ、さまざまなメッセージがこめられる舞台設定だ。
 さて、本書では、屋根の上、高層建築をロープで結んだ“もうひとつの世界”が描かれる。屋根から屋根へロープを張り、小さな滑車で軽快にわたっていく。昼間は眠り、ロンドンが休む深夜だけ、活動が行なわれる。そこでは、世間のわずらわしさから逃れた、遊民たちが生活していた。だが、その平和も長く続かず、魔力をもつ支配者に率いられた別の集団があらわれ、抗争がはじまる。つぎつぎと起こる残虐な殺人――しかも、単なる人殺しではなく、どこか、超自然的な邪悪さが見えかくれする……。
 作者(本業は脚本家。小説はホラー関係の短篇が多い)の処女長篇のためか、筋立てがぎくしゃくしており、かならずしも明快なお話しではない。登場人物も整理されておらず、映画の版権欲しさに、ルーフワールドに迷い込んだエージェントは笑えていいが、一匹狼の刑事はなんのために出てきたのかよくわからない。しかし、深夜の都会でロープを滑空する人々というユニークな設定には、爽快感があった。俗なホラーに流れなかったのは、なんといっても、設定の勝利だろう。

早川書房編集部
SFハンドブック(早川書房)

 “ハヤカワ文庫SF”20周年記念。久しぶりの入門書ということで売れているらしい。ある意味で、本書は福島正実篇『SF入門』(1965)を意識した構成になっている。 SFの歴史が書かれ、SF講座があり、用語事典まで完備されている。ただ、元祖『SF入門』が未知のSFを語っていたのに、本書は既知のSF紹介が中心になっている。
 しかし、本書の読者は、いったい誰なのだろう。ビギナーかマニアか。たとえば、どこにも海外SF入門書とは書かれていないのに、日本作家について、ほとんど触れられていないし、紹介はゼロ。既刊140冊のFTが含まれないのはともかく、ハヤカワ文庫には、JAという300冊を越える、立派なSFシリーズがあるというのに。そのうえ、SFの現状に懐疑的な意見が、いくつかの紹介でかいまみえるのはなぜか(昔はよかったが、いまは……云々)。もっとも、その理由は、本誌先月号の特集「翻訳SFはエライのか?」あたりを読むとだいたい分ってくる。今日の日本SF界が持つ問題点が、本書にも反映されているのである。
 本書が入門書だとするなら、おそらく、野田/高千穂対談のような、“明日への希望”がのぞく内容こそ、正解ではないかと思う。天真爛漫な、SFばんざい! があっていい。元祖SF入門でも、ケストラーのSF否定論「ファンタジーの退屈」が唯一浮き上がっていた。これなど、マニアになってから読むと納得できるのだ。
 さいごにお願い。本書で触れられた必読書が、注文をしても在庫切れ、という事態だけは避けてください。せっかくの読者を逃してしまいます。――それぐらい苦労した方が根付くのでしょうけど。

かんべむさし
遊覧飛行(徳間書店)

 かんべむさしの短篇集。1987〜90年にかけての作品、19篇を収めたもの。ここ数年の間、毎年出る3、4冊の著作のうち、一冊は短篇集というペースが守られている。
 なにげない生活に疑問を感じたときに、陥穽が口を開く……こういった感覚を描く作家は多いけれど、作者の創り出す落とし穴は、ちょっと変わっている。――それは、「にわか教師」の事務所を訪れるガイジンだったり、「穴あけ名人」の何にでも穴をあけてしまう男であったり、「石を買う」の石を売る老人であったりする。おそらくこれは、日常感覚という範疇から、わずかにずれた領域に属するものだろう。
 落とし穴には、会話の魔力もある。標題作「遊覧飛行」は、漫才調の会話から、最後の奈落へと転落していく。ホラーである「大受けの二人」も同様だ。登場人物の、こういったおしゃべりから、異世界を構築できる力は、著者以外にほとんどみられない。
 あるいはまた、神経症的な不安という落とし穴。日常の自分(生活)に対する疑問を描く、「転機桃太郎」(中年の桃太郎)、「深い孤島」(誰もこない駅)。同じく、現在の自身の地位に対する不安では、「窓越しの二人」(社内で浮き上がった、見知らぬ二人の親近感)、「針路」(過去の自分にもどる)など、自分でありつづけることへの孤独が描かれている。
 そのほかでは、寓話ふう「架空神殿」「見えざる王」が印象に残る。これらが、一番SF的な内容だろう。
 かんべむさしは、草上仁のあらわれる以前から短篇SFの旗手であったし、神林長平以前から言葉使い師であった。もちろん、今も、その点に変りはない。

ケン・グリムウッド
リプレイ(新潮社)

 30歳をすぎ、40を越えるころになると、たいていの人は、自分の行く末が見えてくるようになる。肉体的に、まだ人生半ばすぎでも、感覚的には、人生の4分の3が終ってしまったからである。しかし、その人生がやり直せるとしたら、しかも現在の記憶を失うことなく、過去にもどれるとしたら……。
 本書の魅力は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とよくにている。過去のノスタルジイに埋没せずに、過去を変えることで、よりよい未来が生みだそうとする。過去の後悔、失敗をあらため、ありえたはずの栄光が手にできるのだ。ただ、そのために失うものも多い。恋人も、生活もまったく違うものになる。くりかえされた過去は、世界の歴史が同じでも、自分にとって、もはや見知らぬ現在なのだ。――そして、18歳から43歳までの人生が、逃れられない牢獄と化し、永久に繰り返されたとしたら……。
 この発想は面白い。究極の願望充足なのだから。輪になった時間というアイデア自体は、それほどめずらしくはないが、詳細な人生の軌跡を描いた点が目新しい。自分にあてはめて空想できる。多くの時間SFは、感情移入できるように書かれなかったから、新鮮である。たとえば、歴史の流れを変えるというのでは、思考実験の範疇になってしまう。
 しかし、そういった個人的な物語に、納得のいく結末をつけるのも、かなりむずかしい。本書のハッピーエンドは、なかばまでの展開にくらべれば、いくぶんレベルが下がる。情緒的にすぎるようだ。とはいえ、読ませる時間SFという意味で、価値ある作品といえるだろう。
 なお、本書は1988年の世界幻想文学大賞受賞作である。

早川書房編集部編
S−Fマガジンセレクション1989
(早川書房)

 81年版からはじまったセレクションも、今回で9年分を数える。日本SFの年刊アンソロジイとしては、70年代のなかばまで、筒井康隆のベスト集成があった。それに対して、このシリーズは、マガジンからだけとはいえ、80年代の動向を知る上で、貴重な存在だった。本書でも、東野司の「最期の日」や中井紀夫「死んだ恋人からの手紙」など、味のある作品が読める。しかし、本書に現在進行中のSF状況を、求めることはできない。
 SFマガジンの89年を調べなおしてみると、読切の短篇(連作を含む)は、全部で93編、そのうち創作が45編を占めることがわかる。意外に創作は多い。ところが、作家は16人しかいない。草上仁の10編を筆頭に、鏡明の5(ただし連作)、梶尾真治の4(既に単行本化)、内藤淳一郎の4、神林長平の3(一部が単行本化)とつづく。本書では、そこから9作家、9つの中短篇が選ばれている。これには、かなりな無理がある。作家を多彩にするために、年間でこれ一作だけ、という作家も含まれてしまう。SFマガジンが演出してきた、翻訳特集との落差も、大きく感じられる。
 本書のあとがきに書かれた、硬直化し、活力を失いつつあるという、SFの状況に関する危機感が、妙に印象に残る。SFの流れをみていると、だれもが感じる現状なのだろう。伝統的なSFの主流は、高齢化し衰退しつつある。だが、たとえば、入選なしで低迷するマガジンの新人賞に対して、同じ89年に創設された、ファンタジー・ノベル大賞の活況ぶりをみる限り、マガジンのもつ魅力についても、再考の余地があるのではないか。かつては、『後宮小説』の酒見賢一も、マガジンに応募していたことがあったのだから。

ドナルド・モフィット
木星強奪(早川書房)

 ここ3年間ほどの翻訳を調べてみると、80年代の作品が圧倒的に多い。SF周辺、ファンタジイも含めて約300冊あまりある。それにくらべると、70年代の作品は、わずか30数冊しかないのである。英米での(新刊)出版点数に、大きな変動が見られないのだから、この状況には(流行的な?)偏りがあったわけだ。本書は、そのめずらしい70年代SF。ただし、作者が80年代にカムバックしたことがきっかけで翻訳されたもの。
 白鳥座の方向から、強烈なX線を放射しながら正体不明の天体が接近する。地球滅亡と思われた矢先、それは、急激に減速をし、木星の軌道に乗る。天体の正体は何か、何ものが操っているのか  かくして、アメリカと中国の合同探査チームが、木星に向かって送りこまれる。時代は21世紀なかば。ロシアは崩壊し、アメリカも内乱状態を克服したばかり。まだ公安スパイが暗躍する警察国家である。そのなかで、寄せ集めの混成部隊が巨大な未知の物体に挑む。
 すぐに思い出すのは、『サターン・デッドヒート』などの軽<nードSF。悪い意味ではなく、要するに、軽快に読める作品だ。ハードなどと呼ぶまでもない、ふつうのSFである。社会的背景も、適度に酸味がきいていて、お話しに刺激をあたえている。まあ、展開は予想がつくし、とくに目新しい内容はなく、結末もやや甘め(設定からして、ちょっと成立ちにくいハッピーエンド)――けれど、全体的なバランスはまずまず。抜きん出た部分がないから、発表当時、話題にならなかったのには、やむをえない点もある。しかし、SFの文化的遺産≠ニして、絶やさずに書き続けて欲しいと思わせる内容である。こういう書き手が日本にも欲しい。