平谷美樹は「私小説」の作家である。
第1回小松左京賞の受賞者で、本格的な宇宙SFを書いたとなると、誰もがハードSFの書き手、小松左京の後継者と見なす。しかし、よく見ると彼のSF作品のテーマは、ハードに偏ったものとはいえない。受賞作『エリ・エリ』(角川春樹事務所刊、2000)は“神の喪失”をテーマとしているし、『エリ・エリ』と一つの作品だったものを分割した後編『レスレクティオ』(同、2002)では、“失われた神の探求”が語られる。これらはファンダメンタルではあるが、ハードSF本来のテーマとはちょっと肌合いが異なるだろう。そもそも、処女長編『エンデュミオン・エンデュミオン』(同、2000)は、人類の無意識に潜む“神話の喪失”をテーマとしているのである。神とは極めて私的な存在である。その存在は客観的に確かめることはできず、私的な信仰心/願望によってのみ成り立っている。“個に還元可能な願望”が、平谷美樹のキーワードと思える。
フライフィッシングを愛し、怪談好き、大阪芸術大学でSFのイラストレーションを描いてきた作者は、本業である中学校の美術の時間でも、生徒たちの集中力を保つため多彩な話題を提供するという。そういう意味で、フライ=偽物の餌/作られた現実、怪談=ホラー、イラストレーション=絵画的描写、饒舌=多作型と、各作品は作者自身をストレートに反映している。平谷美樹はずっと自分自身のことを書きつづけてきた。内なる(多弁な)声に忠実なために、作品はとりとめもなく広がるが、彼の内面では一貫しているのである。
多彩な作風の著者ではあるが、2002年に時間テーマを扱った二つの作品を書いた。一つは、NHKの少年ドラマシリーズに対するオマージュでもある『君がいる風景』(ソノラマ文庫)である。十年前に事故で亡くなった少女を助けるため時間を遡るお話だ。『ノルンの永い夢』では、同じテーマがより詳細に語り直される(ちなみに、ノルンというのは人の運命を決する北欧神話の女神)。
主人公がSF新人賞を受賞し、外国人がオーナーというハイネマン書房から接触を受けた時から、周囲で不審な事件が起こり始める。正体不明の男たちの存在、養父の謎の失踪、そして特異な時間理論で知られる本間鐵太郎の足跡をたどる主人公は、ドイツへの旅行をするうちに並列世界の「胞」に塗れていく。本書で語られる「多胞体理論」とは、宇宙創生時に生成された無数の宇宙、複数時間線を、ある種の並列世界=「胞」(泡と同意)と見なし、その上で別々の歴史が作られるとする。主人公はその「胞」を“渡る”ことができるようになる。
1936年、本間鐵太郎は独自の時間理論の成果を買われ、同盟国研究員としてドイツに招聘される。ノルンシュタットはナチスドイツによって作られた(架空の)実験都市で、最新鋭の科学技術が結集されている。彼は、衝動の赴くまま、ターボエンジンつきの自動車や、柱のないドームを設計し、空軍司令官ゲーリングや総統ヒットラーの関心を引く。ただ、彼らが本当に求めていたものは時間改変の能力だった。しかし、時間改変を行うたびに、世界は見知らぬものへと変貌していく。ナチスのありえたかもしれない未来は、どこか「ガーンズバック連続体」(ウィリアム・ギブスン)を思わせる。ガーンズバック連続体とは、パルプマガジンの夢見た流線型の未来が、現実を侵食する物語だった。ナチスドイツの夢は、巨大なディーゼル機関車ゲルニカ号や、人工都市ベルリンの幻影など、機能優先かつ無機質な点で、生活感の薄いパルプSFのイラストと似ている。
そもそも時間SFの多くは、願望充足幻想を描いたものだ。あのとき人生の選択をやり直せたら、幸せだったあのころに戻れたら…、歴史の改変さえ個人や小集団の願望に依存するので“個人的”とみなせる。本書では時間回帰願望と、ガーンズバック連続体願望という二重の願望充足が重奏化され、印象を深めているといえる。あくまでも個人的なこのテーマは、内なる声に忠実な平谷美樹にふさわしい。
SF作家を(デビュー年ではなく)年齢によって区分けをすると、
第一世代作家(1930年前後生まれ)星新一/光瀬龍/小松左京/半村良/筒井康隆/眉村卓ら
第二世代作家(1940年〜)田中光二/堀晃/横田順彌/梶尾真治/かんべむさし/川又千秋ら
第三世代作家(1950年〜)山田正紀/夢枕獏/神林長平/栗本薫/山尾悠子/大原まり子ら
第四世代作家(1960年〜)新井素子/平谷美樹/北野勇作/小林泰三/菅浩江/瀬名秀明ら
第五世代作家(1970年〜)池上永一/秋山瑞人/古橋秀之/西島大介/小川一水/冲方丁ら
と分類できる。
これだけ間に多くの作家を挟んでも、第一世代作家は(無から有を生んだがゆえに)基準として揺るぎがない。年齢的には三世代あとの平谷美樹は、光瀬龍『百億の昼と千億の夜』と小松左京『果しなき流れの果に』の影響を受けた関係で、直接の後継者と見られがちだ。しかし、彼は、基礎の時代にはあからさまには描かれなかった、大テーマと個との関係を模索しているように思える。それは現代SFの多くが求めている解であり(たとえば、“神の探求”はイーガン、テッド・チャンから山本弘まで)、平谷美樹が単純な後継者で留まる限りは得られないものだ。
もっと皮相な観点になるが、小松/光瀬的な(広義の)ハードSF作家として平谷美樹はどうか。小松左京はイタリア文学専攻の文系ハードSF作家だし、宇宙SFの光瀬龍も動物学科(後、哲学科も卒業)出身で物理や宇宙に詳しかったわけではない。そもそも、1960年以降(SFマガジン創刊以降)の日本SF界で、理系が主流だったことは一度もない。というわけで、ハードに弱くとも、テーマの本質を見抜ける外からの視点が持てる作家の方が、SFの本流になりうる。矛盾しているように思えるが、非理数系作家の方が、ハードSF本流作家になれる可能性が高いのである。
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