かつての都市型SF大会では、合宿は陰の主役だった。本大会が表の公式企画なら、合宿企画は酒を交えたくだけた交歓の場となる。このような雰囲気は、今日の地方大会や東京のSFセミナー、京都SFファスティバルの合宿企画とよく似ている。
DAICON5では、合宿は1500名の参加者を5会場に分散宿泊させるため、大変な手間が必要だった。同室希望者だけではなく、企画がある宿泊所とそうでないものとの区分けも難航した。その点、近来の都市型大会では宿泊=合宿ではないため、実行委員会の労力は大幅に軽減できる。2003年の大会T3(栃木)などでは、地方大会=合宿大会であるのに、受付そのものが旅行会社に一元管理されており、アウトソーシングの時代を象徴している。
DAICON5の合宿企画の大半は、自主企画で運営された。全貌はアンケートを取りまとめることで、ようやくうかがい知れる。今回の合宿の最大の難点は、分散合宿で相互連絡が取りにくいことだった。会場・予算・スタッフ人員等の事情から、事前アンケート以外に有効な対策を取れなかったためだが、それが各宿舎ごとの睡眠時間と感想をくっきりと色分けしている。
ホテル名 |
平均睡眠時間 |
サニーストン(新大阪付近) |
3.8時間 |
大野屋(なんば付近) |
3.6時間 |
ニューオリエンタル |
7.3時間 |
法華クラブ |
6.8時間 |
ひし富 |
6.1時間 |
好評だったのはメイン会場の大野屋(DAICON4や低コストのイベントに使われる)と、サ二ーストーン(DAICON3で使用)。安眠希望者はアンケートでここ以外に振り分けただけに、強者がここに集まり、徹夜で楽しんだ様子だ。平均睡眠時間4時間弱というのはむしろ「意外に寝ている」といえるかも知れない。
二ユーオリエンタルホテルには、事前のアンケートで安眠希望の人に泊まって貰ってる。法華クラブには、企画宿舎を希望しながら、期限を過ぎていたため回された参加者が、かなり含まれている。そのあたりの不満は、事後アンケートの文面から悲鳴のように立ち昇ってくる。ひし富については、本来企画宿舎ではなかったが、宿に無理にお願いして宴会を開催したため準備が整わなかった。
結論としては、宿舎を分散させると悪印象が際立つということか。しかし分散合宿だからといってSF大会の合宿が正気で済むわけはなく…。
企画一覧(DAICON5アフターレポートより抜粋)
もっとも強烈な印象を残したものは「しっぼがない」の甘党喫茶のようです。厚さ3センチの飴。同じ厚さのマーガリン。これを薄いパンにはさんだだけの「あんバタ」に人は戦慄せずにおれません。
「発狂酒場で矢野御大の暖かい雰囲気に感動した」というアンケートもいくつかありました。ハリスン・ホーガン両氏についても様々な日撃談がありますが、一言で言うと「明るく楽しく発狂していた」ということのようです。
その他、ステーション筑波・中四連の部屋・パブアンビエント・ハッカーの部屋・ハードSF研についても、それぞれ楽しんだ参加者から感想が寄せられています。
また、ホテルひし富においては、12時過ぎに生き残った人々が一つに合流し、隣近所及び狂気についてこられなかった参加者の顰蹙を買いつつも、2時過ぎまで盛り上がっていたようです。
上をご覧ください。実は合宿企画はこんなにたくさんあったんですヨ。
アンケートからは、「企画が少ない」「貧弱だ」という感想が多かったのです。参加者の皆さんの実感は概ねそうだと思います。
なぜそうなったのでしょう? 理由は二つほどあるようです。一つは企画の当日インフォメーションやPRが乏しかったこと。
合宿スタッフ数の関係上、受付に忙殺されてしまったとはいえ、当日の企画インフォメーションについての準備が足らなかったことはスタッフの大きな反省点です。
もう一つは二大企画会場が、ともに建増しのためほとんど立体迷路の世界だったこと。ライブロールプレイには格好だったようですが。
最後の一つは、会場の性質上、大野康旅館は宴会に偏ってしまい、サ二ーストーンは内気な参加者にとってはやや敷居が高い印象があったことでしょう。ニ会場が一つなら、バラエティに富んだ企画がー堂の元に会し、壮観だったでしょうが。
また、こんな声も寄せらている。合宿アンケートから真実の声の抜粋。
・地獄を見た気がする,
・そんな、とても書けません,
・エレベーターで「バビル2世ごっこ」をしていた。
・あんばたダブルと水あめ入りあんみつを一度に平らげたお兄さんにはまいった。
・いい年したおじさん達がア二ソンを最終番まで歌いまくっている部屋があった。
・酒を呑んでいました。ずっと呑んでいました。ひたすら呑んでいました。
・ふらっとある部屋に入ると、ショートショートを書くまで出して貰えなくなった。
・道行く人に「ぺ」を貼って歩きました。
・突然隣に座り込んだ男性が「どんぐりころころ」をあらゆるバージョンで歌ってくれた。
・私はポインターを見た!…今は亡き某誌の思い出です。
・疲れはてて4時過ぎ、寝ようとするといきなりたたき起こされ、屋上まで連れ去られ、「SF大会で寝ようなんて甘いですよ」とビールを渡された。
・一緒に飲みながら朝まで愛について語り合った女の子に、本大会のとき挨拶したら、思いっきり無視された。人生とはそういうものかも。
・某誌編集長(今岡清SFM編集長:当時)が酔い潰れてロビーの床に死体のごとく横たわっていた。まもなくゾンビのごとく甦ってゾンビのごとく徘徊した。
・上半身ハダカの怪人が黒いプラスチックチェーンをふりまわし、大野屋狭しと暴れ回っていた。これがあの某石飛卓美氏との衝撃的な出会いだった。
・良くわからない上半身裸でクサリをもったおじさんと日本の農業問題の話になって盛り上がり、おじさんが「おれは百姓SFを書く!」とカ説していた。
・静岡県人会でとなりにいたロヒゲの人物が突然「ホーガンの野郎がなんぼのもんじゃい!」と叫んで飛び出して行ったが、次の日聞いたら某谷甲州であったとは。
・某作家(ホーガン)と某帰朝作家(谷甲州)と某編集長のトリプルディープキスは、とても気持ち悪うございました。
・リカちゃん人形を抱えた―団が大声で軍歌を歌っていた。
・健全な女子中学生が何十人もいた。恐かった。
(注:サ二ーストーンは全国ソフトボール大会の常宿で、日程が重なったのです)
・大野屋旅館の前に突然サイレン轟かせて現れた消防車はなんだったのだろう?
(注:どうもいたずら電話だったようです)
・近所からやかましいと苦情が出ているとホテルのフロントが苦情を言っているとスタッフが何度も言っていたようだったがうやむやになってしまった。(注:…)
・ほとんど死んでいる人が「時刊新聞」の一言でがば、と起き上がるのは凄かった。
・Dr. Strangeloveのテーマを口笛でふいていて、途中で止めると、全く知らない人が後をつづけながら歩み去って行った。
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本章はDAICON5アフターレポートからの抜粋により構成されている。大会では、この他150名を集めた前泊も行われ、参加者の交流や前泊企画なども実施された。
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