96/03/02
大森はWin95のインストールで苦しんでいるらしい。前でも書いたけど、一般的に、Win95はプレインストールで一切触らなければ簡単であるが、なんとかしようとすると強大な謎と化す。まー、究極のエニグマというわけである。
以前も書いたが、最近は、奈良にも『しかせんべいネットワーク』だとか、『まほろば』だとか、わけわかんないプロバイダができている。しかもあまり空いてはいないようだ。パソコンディーラーとか中小メーカとかのサイドビジネス。プロバイダの研究をしている間は、Nifty経由で見るだけをしている。
先先週のNHKの新電子立国(ソフト編)では、(ゲイツ以外の)神話的な人々の談話が話題になった。しかし、これはまだ十数年しかたっていない近過去の出来事なのである。この世代の人々はまだ中年にさしかかったばかりであり、今でも現役である。考えてみると、筆者初の16ビットパソコン(8086で5MHzのCPU)はCP/M86で動いていた。当時MS-DOSの優位はそれほど確実ではなかった。PCの盛衰は激しすぎるのである。
96/03/09
トマス・M・ディッシュ『M・D』(文藝春秋)
ディッシュにしては本格的ホラーだという意見もあるが、これもまた相当皮肉なパロディであると思われる。途中伏線らしきものが忘れられたり、結末がやや取ってつけたようだったりで無理もある。SF作家時代もそうだったけれど、素直な作品とはいえない。反面この点が、ディッシュ最大の魅力ではある。
牧野修『MOUSE』(早川書房)
ネオ・ヌル以来の創作歴があり、個人的にも懐かしい名前である。これまではあまり熱心な読者ではなかったが、ドラッグ題材小説としては『ヴァート』より優れる。
わが家の嫁さんはめでたく幼稚園PTAの副会長に就任。
96/03/10
知人の新築宅に行く。このごろ家を建てる奴が多い。建物自体はまあ似たりよったりで大差はない。奈良の場合土地込み四千万から六千万で家が建つので、メーカー勤務の超安月給でも何とかなるのである。
96/03/17
巽孝之編『この不思議な地球で』(紀伊国屋書店)
テーマが九〇年代ふうである点で共通化している。沼野充義が毎日新聞で絶賛していたもの。これまでの編者の姿勢を集大成したアンソロジイといえる。とはいえ、これは八〇年代の集大成といえるだろう。
知らぬ間に、Mebiusのパフォーマンスが32bitからDOS互換(16bit)にまで低下。Win95が動いているマシンの中にはDOS互換のままという奴もあるけれど、これはまったく使いものにならぬ。スワップ速度が著しく遅いのである。再インストールでも直らぬままだったが、ディスクコントローラデバイスを削除→自動認識させると32bitに復帰。謎は深まる。
あいかわらずインターネットのゲートウェイ(とそれ以降)はどこもが込み合っている。せいぜい1Kbpsまでしか速度が上がらず。ひどいときは300bps。これは、LAN経由専用線でもPPPでも大差ない。普通のパソ通よりもはるかに遅い。こまったことだ。
96/3/20
ジャック・フィニイ『ふりだしに戻る』(角川書店)
一九七三年初版のハードカバーをおもむろに取り出して読む(これは、最近文庫で復刊された)。フィニイの新作を読むため。最近では『引き潮のとき』は三巻目から読み出して、また一巻目に戻って読み返す、ということをしたが、それとはちょっと違う理由がある。実は水鏡子の『黙示録三一七四年』と同じで未読なのであった。人のことは言えんな。すでに存在しない書店のカバーに包まれ黄ばんだ本は、筆者未成年のころに買った本そのまま。フィニイを読むには最適な条件であろう。
書き忘れていたが、とうに四〇を過ぎた水鏡子さんは、最近未読の名作を読みはじめ、感動にうちふるえる毎日だそうである。人生の黄昏も近い今日この頃、未読は許されなくなっている。負けるな水鏡子、君に残された時間はわずかだ、終末も遠くない。人のことは言えんな。
96/3/24
相変わらずNifty経由のinfoWebはめちゃめちゃな混みかた。しかし、PCVAN経由ではつながって、10kから20Kが確保できる(つなぐ先もよるが)。PCVANの場合は、専用のブラウザが必要だの、高速対応料金選択以外では接続できないなど、勝手な制約が多いので敬遠されている模様。まーこれでは富士通に勝てまい(空いてるからいいけど)。
近所のケーブルテレビ(KCN)がインターネット接続サービスを開始。期待したケーブルモデム対応ではない。まーそれでも、1670円/月額固定なら平均的でまずまず。ちなみにケーブルモデムならば、モデム(約五万円相当)でイーサネット接続の10〜30Mbpsが確保できる模様(アナログモデムの三百倍、ISDNの百倍強でしかも電話代がタダ、つまりコストパフォーマンスは二百倍か)。来年中にケーブル接続サービスを始めるようで、専用線が引けない家庭内インターネット環境の本命。
96/3/30
『ふりだしに戻る』(再び)
いまとなっては、やや古風(SFとしても、ファンタジイとしても古すぎる)な内容ではあるけれど、かつて『ゲイルズバーグの春を愛す』で読んだ感性がまだどこかに残されている。ただ、これは七〇年代の感覚でもなくて、いわば普遍的な後ろ向きの美学。
今日はPCVANの高速回線がつながらない。こまったことである。
96/3/31
今日はPCVANにはつながった。PCVANはmeshと100Mbpsでつながっているので多少ましなのかも。しかし、100Mbpsは、数年前からLANの標準的な伝送速度になっている。画像を中心とした基幹システムでは、それぐらいが最低水準(というか、遅すぎて仕事にならないことがある)。