97/10/4

谷甲州『星は、昴』(早川書房)
 「フライディ」や「私の宇宙」といった作品には、数万キロの宇宙空間一杯に拡散し、遍在化する宇宙知性の存在が描かれている。また、同じように「コズミック・ピルグリム」「道の道とすべきは」には、情報の形で送信され、永遠の生命を持つという考え方が登場する。このサイバースペース的アイデアと、標題作の、人が死んで星になるといったロマンスとの融合が妙に新鮮に写るのが、この作者の特質といえよう。一方、「星殺し」や「猟犬」はベンフォードばりの自動殺戮機械生命が出てくる。宇宙ものの一種の定番かもしれない。発表後5〜8年を経過しており、ホーキング宇宙論ネタが多いものの、古びてはいない。
hoshihasubaru.jpg (2917 バイト)

97/10/11

 最近、機会があって日経の雑誌に記事を書いた。しかし、技術系雑誌の常であるが、かなりの手が入っており、基本的に自分の文章ではなくなっている。日経関係にはSF関係者も何人かいるはずで、記事も見かけるけれど、文章という意味では没個性となっている。自由に書ける媒体ではない。まーお互い会社関係の仕事ですからね、やむを得ぬが。その点アスキー等は結構勝手に書けるので楽かもしれぬ。内容の吟味は作者に全面的にかかってきますがね。

mumanotoorimichi.jpg (3511 バイト) 村田基 『夢魔の通り道』 (角川書店)
 8月に出た旧刊である。しかも、人がさんざん褒めてから改めて評価するというのでは、単なる間抜けでしかない。ただ、『フェミニズムの帝国』以来、村田基を評者はそれほど重視していなかった。とはいえ、過去の作品で見る限りは、やはり注目点が少なかったことは、いまでも同様だと思っている。
 さて、本書だが、トーンが共通化しており、なんとも読みやすくなっている。愛情欠如、孤独感など、ホラーにありがちな設定ではあるものの、ディストピア風SFのアイデア小説と読めるために、かえって新しさがあってよい。また、作者には非猟奇的なスケベさもあって、淫靡でない点も、一般向けの読みやすさにつながっている。さまざまな意味で、意外な楽しみ方ができる。

97/10/19

スティーヴン・キング『ジェラルドのゲーム』 (文藝春秋)
 こんな動きのない設定で、長編小説を書いてしまうキングという人もすごい。
 倦怠期を迎えつつある中年夫婦が、シーズンを過ぎた湖の別荘で緊縛プレイ中に喧嘩、夫は妻に蹴られて心臓発作を起こし哀れ死亡。妻は手錠につながれたまま抜け出せなくなる。旦那の死体は、野犬に食われてさんざん、妻も手を切り刻んでようやく脱出、しかし不気味な追跡者の影が・・・。という終わり方は、ホラーにありがちなスタイルかもしれない(ちょっと捻ってあるけれど)。ただ、これを主人公の少女時代のトラウマに絡めて、執拗に描写するのがキング流。後半近くに出てくる追跡者が、そのまま意外な結末に結びついている。ただし、他の作品に比べて特に優れた点もなく、『ドロレス・クレイボーン』との関連も希薄である。
geraldsgame.jpg (5348 バイト)

97/10/26

 最近、生後1年半、体重5キロのオス猫が三日三晩寝込んで回復。ひどいときは足腰も立たず、トイレにもいけず、飲まず食わずで点滴を受けていました。精密検査をしても原因不明。ところが、3日目には自力で回復。まーわけがわからぬ。熱もなければ、下痢もしていない。寄生虫もなく、血液検査も異常無し。昔ならほうっておくしかない病気ですが、最近はまあ点滴から抗生物質まで、なんでもありなので一応処方。莫大な経費がかかります。ペットの健康保険では、入院時しか保険金がおりませんし、そもそも入ってもいません。

doornumber3.jpg (4532 バイト) パトリック・オリアリー『時間旅行者は緑の海に漂う』(早川書房)
 
カウンセラーである主人公の下に、未来から来たと称する女が訪れる。はるかな未来、人類は過去の人々を“夢見る”ことで生存している。その未来を変える必要があるのだという。謎の一味と殺人、逃亡、そして、彼女が時間旅行した本当の目的は何か。
 異常心理ものなのか、SFなのかが分からないまま物語は進む。大半は(今の日本の基準で見ると)ホラー風であり、女が未来人であった証拠も、どこにも残されないまま、曖昧に終わる。時間旅行さえ、妄想の結果とも、狂人の幻覚とも思える。その一方で、主人公の積年のトラウマの謎は解明されてしまうのだから、無理にSFと読む必要性もないかもしれない。帯に書かれている「まったく新しい時間SF」という言葉は、そういう意味では正しい。読みやすさ、面白さに問題はないが。

目次へ戻る

次月を読む