98/01/04
矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん!』(新潮社) その世界では、東日本に共産主義国家ができ、西日本に資本主義日本ができている。第2次世界大戦末期、ソ連軍の侵攻で東京は占領され、原爆攻撃をあせったアメリカは富士山を誤爆、大噴火を誘って富士山はずたずたな姿に変貌、天皇は京都に逃れ、東の元首は中曽根康弘書記長(あの浮沈空母の中曽根です)、西は吉本首相(あのお笑いの吉本、実は笠置シヅ子)が就任。やがて、戦後50年が過ぎ、天皇が亡くなり昭和が終わろうとするどさくさで、この分裂国家も崩壊しようとしている。そこに、CNNの日本マニアの黒人レポーターが来日し…。 これはある種のコメディである。2つの日本は、現在のパロディでありながら、東京の官僚機構に内在する共産主義的計画経済や、対立がみせかけにすぎない東と西の談合風景など、日本という国の本質にも迫っている。キーワードは“天皇”と“富士山”。天皇は野阿梓『バベルの薫』同様、日本を解き明かす上で避けて通れない象徴なのだろう。ドタバタで終わりそうで、最後に巨大な陰謀が噴出するところは、矢作俊彦独特の盛り上げといえる。 それにしても、田中角栄と新潟が反革命の土地に描かれたりするように、田中的な政治家は日本の官僚主導の歴史では異質の存在だった。世間も許容しなかった。SFでは、古くは豊田有恒、最近では佐藤亜紀が、似たような扱いで書いている。本書での書き方は肯定的。最後は『人間の証明』ですな。 |
98/01/06
(毎日新聞朝刊)
98/01/11
宇宙塵編『塵も積もれば』(出版芸術社) 宇宙塵の40周年を記念して出版された記録集である。大半は柴野さんの聞き書き回想録であり、日本のSFの歴史を一面から描き出したものといえる。かつての福島正実『未踏の時代』が公式的な内容だったことを思えば、かなり本音に近く、興味深い事実が明らかにされている。 とはいえ、筆者がSFに接した20数年前でも、既に宇宙塵は月刊ではなくなっており、初期の影響力は消えつつあった。重要なのは初期20年の流れといえる。本書を読むと、宇宙塵というものが、実際のところ作家集団でもなく、1つの運動でもない、独特の形態だったことが分かる。これはもちろん柴野さんの個性によるものなのだが、SFマガジンが福島正実以降、徐々に個性を無くしていったことと対照的である。本来ならば、個人誌であったはずなのに、時代の潮流がそうさせなかった。 一方、本書で生き生きと語られるのは、“SFファンである”こと。96年の世界SF大会(LACON)で、ファン・ゲスト・オヴ・オーナーだったことが柴野さんの最大の喜びとしてあげられている。40年前が草創期であったことは、プロもファンも同様であった。そのどちらをも見られる立場に宇宙塵=柴野さんはあった。これは、唯一無二であり、かつ絶後の貴重な経験といえる。 星新一さんの死を上記に掲載してある。時代は変わり、そして終わる。 |
98/01/15
今日は成人式、関西地方は朝から雨、一日降り続いている。
柴野拓美/編『宇宙塵傑作選T,U』(出版芸術社) 宇宙塵の傑作選で、同様のものが既に2回別々に編まれてきた(講談社、河出書房)。今回は既存のアンソロジイとの重複を減らし、40年全般を概観するという意味で、総集編的な位置づけにある。プロの雑誌でもこれだけ傑作選が出るのは珍しい。戦前の『新青年』などと同格の評価といえる。 収録作品の分布を下に示した。赤は宇宙塵が毎年何冊刊行されてきたか、青は本書に収録された作品の分布。全部で39編の作品があり、7割は60年代の作品である。月刊のペースが続いたのは1972年まで。それ以降は年0〜2冊だった。形態としてみるならば、72年以前の15年間と以後20年間とでは、全く別の雑誌である。作品や文章の出来自体は、72年以降の近作がよいけれど、たとえば星新一の「火星航路」(1957)のような、珍しい作品に注目するべきだろう。これは古風なラヴ・ロマンスである。ただ1点、気になるのは誤植の多さ。これは原文のまま? |