98/02/01

ルイス・シャイナー『グリンプス』(東京創元社)
 各書評で、ロックが分からなくてもよく分かると評判の秀作。舞台は1988年で、主人公は37才という設定からも分かるように、これは作者の分身である。ステレオの修理業をしている彼は、ふとしたきっかけで、ありえないはずのテープを録音できることに気づく。手始めはビートルズ、次にジム・モリスンのセレブレーション・オヴ・ザ・リザード。やがて、彼は実際の60年代へタイムスリップする…。これに、妻との葛藤やら、父親に対する愛憎などが交錯して、まさにシャイナーの趣味と実益を兼ねた形で、この作品は作られているわけである。 訳者の小川隆さんの力の入った訳文(と訳注)もあり、理想的な仕上がりといえる。評者は60年代ロックにさほど興味はないので、これだけ面白く読めるのも、シャイナーの熱意の賜物だろう。
glimpses.jpg (5919 バイト)

 昨日の朝、石ノ森章太郎の死を知る。景山民夫も死ぬし、筒井康隆は“死小説”を書くし、こういっぱい死ぬとなんだかなあ。


98/02/08

 長野オリンピックは昨日から開催。多少は時事ネタも入れておかねば。

baseball.jpg (5278 バイト) 井村恭一『ベイスボイル・ブック』(新潮社)
 前回の大賞は3年前だったので、本書はオウム、震災後の新しい時代の大賞(荒俣宏)と、絶賛された作品である。主人公は、とある南の島で開催されている、野球の試合をレポートするように求められる。その島は、海上に浮かぶ軍事政権(?)が厳しく出入り管理する火山島だ。球場は1つ、2チームだけだが、試合はえんえんと続けられている。しかし、一方のチームは全く勝てず、負け続けている…。
 マジック・リアリズムという言葉には、ラテンアメリカのリアルが、他者にとってファンタジイである、といった意味合いがある。けれど、本書の場合これと同じなのか。
 (1)この島はストルガツキーのゾーンのように、隔離された空間として、整合性が取れたリアルなものか。(2)主人公を追いかけ気のふれた犬は、強迫観念の象徴なのか。(3)連敗チームの投手が死んでいるはずの老婆に投げつけるボールは、幻想の呪縛を断ち切る呪文なのか。
 確かに多様に読める点は評価に値する。

谷甲州『反攻ミッドウェイ上陸戦(上)』(中央公論社)

 まだ完結していないので、次回にしようと思ったが、簡単に触れる。
 評者が読む、数少ないシミュレーション物。最近の新書は、もう大半がシミュレーション系になっており、中公の場合は新刊の8割がその類ではないか(昔は軽ミステリの牙城だったのに)。その中で著者のシリーズは、着実にベースを固めた内容で異色である。他との外見上の差異がないのが残念だが。
 今回の作品はしかし、戦闘シーンが多く、視点の違いといった特徴は今一つ見えないようだ。太平洋戦争ものが多すぎるせいもある。戦闘シーンは、読むときは楽しいけれど、後に残るものがほとんどないからである。
(3月発行の下巻表紙も追加 3/14)
midway.jpg (3977 バイト)midway2.jpg (3938 バイト)


98/02/14

teki.jpg (3831 バイト) 筒井康隆『敵』(新潮社)
 帯の惹句も、まるで枯淡を迎えた老人の小説のような書き方をしているので、誤解してしまう。主人公は75歳、大学を辞して10年を経、やがてくる死期を明瞭に意識している。その生活が微細なまでに描かれる。食事や部屋の様子、買物、友人、貯金…これらが明晰に描き出される。主人公は異様に耄碌を恐れる。しかし、ある瞬間から、その日常は夢の中の“敵”に脅かされはじめる。
 作者が65歳であることから、ちょうど10年後を意識した設定となっている。ここで著者が取った手法は、ホラーにあるような“非日常の侵入”ではない。過去の思い出が妄想のように付きまとう場面でも、何が異常で、何が日常なのかをわざと曖昧にしてある。ホラーならば、怪物はすぐ見分けられる。老いは怪物ではなく、現実との見分けがつかない。けれど、容赦がないのは同じだ。

鈴木光司『ループ』(角川書店)

 リング、らせんと続く3部作の完結編。
 転移性ヒトガンウィルスが人類を侵蝕しようとしている。一度発症すれば決して助からない不治の病であるだけでなく、人間以外の生命をも犯し、全生命を滅ぼす可能性があった。けれど、このウィルスの発生源は意外なところにあった…。
 超並列コンピュータ内部に作られた、生命のシミュレーションと3部作をリンクさせた力技は立派だろう。そういう意味で、本書はSFとのリンクも十分に果たしていることになる。とはいえ、このアイデアは『ブレイン・ヴァレー』とも共通点が多く、見慣れたものが中心である。
loop.jpg (5067 バイト)


 なぜ彼らは嫌われるのか
 こうして鈴木光司、瀬名秀明ら、新進ベストセラー作家の新作を並べてみると、SFでありながらSF者に嫌われる理由が明らかになる。
 “オカルト的要素”が見られるからである。
 昔から、オカルトをSFと称することは認められていない。これは古くは福島正実がSFマガジン誌上で、非科学的なものとの結びつきを、執拗に排斥した故事に由来する。当時の状況下では正しかったとしても、派生的に映画『未知との遭遇』排斥運動に見られる弊害を生んでいる(注)。瀬名秀明の作品では、往々にしてオカルトとも誤解されるアイデア(RNAの反逆)、場面(自然の精霊的なものの登場)がある。『ループ』は、その点、明快な理由付けができているので、反発があまりないだろう(予想)。
 一般論として、最近ではSF要素が多くのアニメ、映画作品で普遍的に見られるため、SF者の選別が小説ジャンルに対し、より厳しくなっているといえる。SF風ホラー等へは、その傾向がより強く顕われる。

 まあ、しかし、評者はそのような要素があるからといって、作品の排斥はしませんがね。

(注:今から20年前の1978年、2つの典型的な映画が公開された。一つは『スター・ウォーズ』であり、もう一つが『未知との・・・』である。『スター・ウォーズ』にも非科学的なシーンは多数見られるが、オカルト的盲信はない。それに対して『未知との・・・』では、ラストで宇宙船と宇宙人という“神”への思考停止シーンが見られる)

1998/2/28

kyousou.jpg (5780 バイト) 佐藤茂『競漕海域』(新潮社)
 本書はファンタジイ大賞優秀賞。
 未来、世界のほとんどの陸地は水没し、過去の文明は失われている。しかし、人々は“生きているカヌー”という友(共棲体)を得て、独特の社会を形創っている。帝国の支配者もカヌー競艇の勝者によって決められるのである。父を知らない15歳の主人公は、ふとした偶然から殺人を犯し、果てしのない大洋へと逃れるが…。
 全体の3分の2を占める世界描写はすばらしい。社会の成り立ちや、人々の生活にも奥行きが感じられる。ただし、帝都へと赴き、帝王の座を賭けた競漕シーンになるあたりから、物語は駆け足となり背景を失う。結末はまるで貴種流離譚。クロニクル風となるが前半との乖離が大きい。
 今回のコンテストではある選者が、世界の在り方を説明しすぎる弊害を説いている(ファンタジイなのだから、もっと自由に描くべきだ)。もちろん、それはそれでもっともな考えだが、誤解を招く表現でもある。世界構築力に富む作者ならば、説明などなくても世界は成り立つ。多くのファンタジイで説明が欠落しているのは、描かれた世界が借り物だからである。

lovehenshin.jpg (6053 バイト)

井上雅彦監修『ラヴ・フリーク』、『変身』(廣済堂出版)
 
年初(昨年末)から、ほぼ月刊のペースで刊行され始めた、文庫版オリジナル・ホラー・アンソロジイ。この2冊の間にもう一冊『侵略!』がある。こちらはSFアンソロジイとなっているので、別に取り上げる。
 オリジナル・アンソロジイでは既に『SFバカ本』シリーズが先行しているけれど、書き下ろしで、ほぼ月刊で出ているものは、近年例がない。過去に、『ショート・ショート劇場』の系統があったくらいではないか。
 本シリーズの場合、実績豊富なベテランから、比較的若い新人まで幅広く集められており、アンソロジイとしてのまとまりはよい。とはいえ、日本のアンソロジイでは、編者が依頼原稿を没にするということは、まずないだろうから、小説の狙いどころは結構ばらついている。幻想耽美風、SF風、サイコホラー風、落し噺風といくつかのパターンがあり、それが結果的に雑誌風の面白さともなっているのだろう。
 『ラヴ・フリーク』では、執拗な恋人の恐怖、中井紀夫「テレパス」。神経症的な男、森真紗子「ニューヨークの休日」。インターネットに潜む得体の知れないブラックホール、友成純一「アドレス不明」などが印象に残る。いずれも人格異常の恐怖を描いている。この系統を選ぶのは、評者の好みといえるか。
 『変身』では、鄙びた田舎の秘湯、倉阪鬼一郎「福助旅館」。森に住む見知らぬ父との生活、久美沙織「森の王」。誰もいない異星を描くSF、草上仁「いつの日か、空へ」。岬兄悟の「闇夜の狭間」もSF。SFバカ本でも多かったテーマ“ダイエットの恐怖”、太田忠司「痩身術」など。

目次へ戻る

次月を読む