98/03/08

井上雅彦編『侵略!』(廣済堂出版)
 SFアンソロジイである。序文もまさに昔懐かしいSFホラーの定番を謳っている。大変に結構なことである。冒頭にはかんべむさしが配されており、期待も高まる。
 …ただ、残念ながら本アンソロジイ・シリーズの奔放さが、本巻の場合は災いしている。おそらくこのテーマならば、SFの韜晦さもなく、極めて分かりやすい内容となっただろうに、テーマから外れた作品が多すぎるのだ。特にSFの人たちの作品がSFではない、というのは残念。水準は低くないのですがね。
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98/03/14

kyosu.gif (9136 バイト) スタニスワフ・レム『虚数』(国書刊行会)
 名のみ高きレムの短編集=架空序文集である。レムの場合、過去に 『完全な真空』 が翻訳されたことがあり、そちらは架空書評集だった。ふつう作家の場合、批評的精神と創作者としての才能が釣り合うことは希であるように思われる。若い間は、奔放に書き散らして、後年批評家になるような人は結構見かけるが。本書は73年に出ており、レムが全盛だった60年代前半から、80年代の(小説)断筆期の中間点で出たもの。小説で表現しきれない内容を、言わば解説に近い形式に凝集した作品集である。
 最初に出てくるのは、レントゲンで取られたポルノ写真集(これはありえそうなアイデア)、次はバクテリアが語る言語(『パラサイト・イヴ』をレムが書いたらこうなる)、そして「ビット文学」と呼ばれるコンピュータの文学史である(コンピュータの文学、といっても小説だけではなく哲学批判から神学論まで)。
 圧巻は「GOLEM XIV」という思考するスーパー・コンピュータの本であり、ここには序文だけでなく、一部の抜粋が収録されている。GOLEMはプログラムされるコンピュータではない。そういう意味では今日の“電脳”とは全く異質の存在であり、どちらかというと人工生命に近いかもしれない。古いSFに登場する巨大電子頭脳の概念である。しかし、レムの描くGOLEMは、そういった頭の悪い先例を遥かに超絶した、上位概念を垣間見せる。それが人間に語る“講義”を、一部とはいえ載せているのだから、まさに離れ業に近い。それ故に、本書が序文集でしか収録できなかったわけもわかる。我々の思い描く宇宙人=人間とは違うエイリアンの異質さは、たいてい知性の違いではなく、生理的嫌悪感を伴う外見の差にすぎない。単に動物的警戒心を刺激しているだけである。では、人間以上の知性が書いた文章、概念との出会いはどうなるのか。『ソラリス』より、レムが繰り返し語るこのテーマは、まだ誰もレム以上の答えを出せていない。

98/03/21

スティーヴン・バクスター『タイム・シップ』(早川書房)
 ウェルズのタイム・マシンの続編、といっても、主人公が同じという以外、物語から主題に至るまで、大半は本編と関係のない、まったく新しい作品となっている。19世紀に書かれた“原作”とは、社会的/科学的背景が別物なのは当たり前だが、最新の宇宙論やインターネット、ナノテクを網羅し、さらにウェルズの時代の社会通念と現代の通念を対照させるなど、既存のバクスター作品より奥行きが深いといえる。とはいえ、さすがに5000万年後の知性や、60万年後の人類の思想をそれらしく描くのは困難であり(本気で書いたら上記のレムのようになる)、宇宙論的な時間の流れと生命進化の未来像とが、遊離して見えるのはやむを得ぬか。結末だけは、元ネタを踏襲している。
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98/03/29

 気温20度、4月下旬並みの陽気が続きます。つぼみが見る間に花開く、ある種の生命爆発が見られる季節、1年のカンブリア紀です(後述)。と、いう間に3月も終わりですね。

torngenesis.jpg (3199 バイト) 積木鏡介『歪んだ創世記』(講談社)
 第6回メフィスト賞受賞作。水鏡子に触発されたわけでもないのですが、メフィスト賞はすべてSFということなので、(はなはだ勝手ながら)そのような観点から読んでみました。ちなみに評者の場合、ミステリを正当に評価するだけの蓄積はないため、何がしかのSF者的偏見が入る恐れがあります。ご留意ください。
 本書はメタフィクションの形式で書かれています。それはもう冒頭から明らかにされています。記憶を失った主人公が置き去りにされ、ありふれたスプラッターホラー風の物語を、逆にたどっていきます。そこで、この設定世界(絶海の孤島)と犯人の謎が、“物語”の制約の元に追求されるわけです。大規模な天地創造が、極めて矮小化された世界に行われ、しかし最後には巨大に発散していく。本書の最後は、しかしSFというか『アニメ版うる星やつら2』ですな。
浦賀和宏『記憶の果て』(講談社)
 引き続き、第5回メフィスト賞受賞作。4回から6回までを一気に出す意味は、キャンペーン的な色合いが強いのでしょうか。
 本書の場合、ミステリ的な要素は極めて局所的に顕われるようです。高校を卒業したばかりの主人公に訪れる、父親の突然の自殺。その父の部屋には奇妙なコンピュータが置かれており、起動すると女性(妹?)が話しかけてくる…。しかし、物語はストレートにこの女性の謎を追求せずに、友人との雑談形式を取った、哲学風の存在論に終始します。結局、そこには明快な解答はなく、主人公の出自の謎を孕みながら、曖昧な結末を迎えます。SFならば、人工知能に存在論とくれば、古典的にして究極のテーマでしょう。本書はそれを主人公の内的な葛藤の一部分としたところが、目新しいのかもしれません。
 それにしても、大森望による「新本格=ミステリのカンブリア紀にして(将来の)バージェス頁岩」は鋭い説といえましょう。生命形態の爆発的拡張があったカンブリア紀にも似て、実に多様性があります。かつて、SFはあらゆるジャンルを呑み込む“囲い込み”を平気でやっていました。アンダーグラウンドの優先種だったわけです。今では、逆に周辺からSFのアイデアは刈り取られています。収穫の時期、爛熟期を迎えているというか草刈り場というか、結構ではあるが、まあ複雑な心境です。
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