98/10/03

リンダ・ナガタ『極微機械 ボーア・メイカー』(早川書房)
 96年ローカス賞(処女長編賞)受賞作。解説でも冬樹蛉が遠回しな言い方で批判しているが、ナノテクはこれまで多くの作品で、どちらかというと魔法的な使われ方をしてきた。本書もまたそのようなアイデアと、いわゆる「癒しの手」(超能力で患者を直してしまう“神の手”)を組み合わせたものとなっている。ちょっと『ブラッド・ミュージック』を思わせる生物発生機構等も出てきて、アイデアとしては面白いけれど、ナノテクはあくまで比喩的な存在であり、物語を補強するところまでには至っていないようである。その点では、まさに魔法の範疇を出なかったわけである。
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98/10/10

siki_1.jpg (5777 バイト) 小野不由美 『屍鬼』 (新潮社)
 かつて、林業と墓に立てる卒塔婆の生産で成り立っていた田舎町、そこは未だに寺の権威と古い秩序が生き残り、土葬の習慣が残されている。そんな村の丘に、ある日奇妙な洋館が移築される。姿を見せぬ住人たち、いつのまにか蔓延する死に至る病…。村の秩序は徐々に崩れていく。
 通常ならば、上下巻を一貫して論ずべき作品ながら、今年後半最大の話題作でもあり、上下別別にレビューする(というのも、現時点では上しか読めていないからですが。この印象がどう変わっていくかも経過説明としては面白いので、あえてこのような形をとります)。
 さて、本書のテーマはこの上巻の冒頭を読むだけでも明快にわかる。しかし、作者はこのテーマを日本の過疎地の村(というか町)に根づかせるために1500枚も費やしている。そのスタイルは、スティーヴン・キング風の執拗なまでの日常生活描写であり、それが故に、本書とキングの『呪われた町』(と書いても、ネタバレにはなりますまい)との類似性が際立つように思える。古い排他的な田舎町の描写は、キングのアメリカンローカルに挑戦するかのように、努めて日本ローカルであり、従来の小野風ファンタジーはほとんど伺えない。これを冗長なキング亜流と見るか、作者の新境地と見るかが一つのポイントになるだろう。
 ちなみに本書に登場する樅という木は、通常は生のシンボルである(ローマ神話だけが死のシンボルとしている)。物語全体から見ても、象徴的といえる。
 (10/18)
 下巻では、屍鬼たちが着々と村に浸透していくありさまが描かれる。とはいえ、小野不由美の視点は、このテーマによく見られる“狩られる側の恐怖”だけではなく、狩る側も実は人間に他ならず、鬼と化したが故の苦悩を併せ持っている点を、克明に描写している。その代表が、主人公の一人である若御院と呼ばれる寺の跡取りであり、彼の著わす「小説内小説」に頻繁にテーマとして顔を覗かせている。人はなぜ生きているのか、何のために生きるのか(逆に何のために殺すのか)、それが執拗に問い掛けられるわけで、これは通常のホラーにはない、際立った特長といえる。実のところ、屍鬼の苦悩自体は、本書以外でも既に書かれている。それを人間性そのものに還元し、肯定してしまう見方が新鮮である。たとえば、上で書いたスティーヴン・キングの諸作にとって、邪悪なものはあくまでも邪悪で、非人間のシンボルでしかない。その点、この見方は、むしろマシスン『地球最後の男』(映画版ではなく、小説のほう)に近いのではないか。
 物語は、下巻の終盤近くになって急転し、殺戮シーンの連続となるが、これまたカタルシスに乏しい虐殺めいた雰囲気を感じさせる。このように、敵味方が判然としないところが、まさに作者の意図なのであろう。物語のバランスからいえば、村の崩壊までがちょっと長く、逆にその後が急すぎるようだ。
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