『SFマガジン1999年1月号』(早川書房) 各賞受賞作特集号なので、その部分を読んでみた。アポロの月着陸が失敗に終わった後、世界はアメリカの覇権戦争に明け暮れる――スティーヴン・バクスター「軍用機」はそんな設定のお話。ただ、そこ以外は宇宙開発の復活を賭ける男が出てくるといっても、『夏のロケット』を上回るロマンもなく、陰鬱に終始する点がいまひとつか。過去を再現した人工都市で、幻想に生きる父を訪ねた娘、ジェイムズ・パトリック・ケリー「ストロベリー・フィールズにて」は、しかし、それだけの物語なので、感情移入できるか否かにかかってくる。ノヴェラであるアレン・スティール「ヒンデンブルク号、炎上せず」は、なかなか面白く読ませる。時間改変を深刻ではなく、あっさりと扱うセンスはよい。ただ、物語としてバランスが悪い。ここまで時間旅行者を描いて、この終わり方はない。 さて、今日は京都SFフェスティバル(京大SF研主催)帰りなので、本来ならそちらのレポートも書きたいところですが、あまり時間がありません。1週間後に、覚えていた内容をとりあえず書くという、いつものスタイルを採りたいと思います。 |
98/12/13
京都SFフェスティバルレポートはTHATTA
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眉村卓『カルタゴの運命』(新人物往来社) 著者の長編としては、『タイムマシン』(97年11月)以来の作品となるが、1700枚の大作であり、90年から今年まで『歴史読本』連載作であるという意味では『引き潮のとき』(95年11月)以来といってもよいだろう。発表の媒体の性格上、本書は必然的に歴史改変に主眼を置いた、ある種のシミュレーション小説となる。しかし、著者の視点からは、簡単に歴史が覆るような安易な改変は描かれない。その点、類作とは異なる雰囲気を持っている。 主人公は、ある日奇妙なアルバイトに応募し、過去を変えてしまう“ゲーム”のグループに参加する。標的はポエニ戦役時代のカルタゴであり、150年間にわたる時代を、ローマ側の参加者と競い合って影響力を行使するのだ。けれど、世界の改変は簡単なものではなく、カルタゴの運命を大きく変えることはできない。 ここで、物語の前半3分の1は、観察者からみた第1次ポエニ戦役(主に海戦)である。続く第2次ポエニ戦役は、有名な、象部隊がアルプスを越えるハンニバルの戦い(イタリア入りして、勝負が決するまでなんと30年間かかる)で、主人公が直接関わるお話となり、最後に1つのメッセージとともにカルタゴの運命は決することになる。大義を持つ国家(ローマ)と、個人主義の国家(カルタゴ)の対比である。前者の大義は容易に全体主義、覇権主義になるし、後者は金権腐敗政治を産む。こういった論争は、例えば小林よしのり『戦争論』でも見られる普遍的な内容だろう。眉村卓は、たとえそれによって国家が滅びても、民衆の意志こそ尊重すべし、という立場だった。それは、大儀などというものは、無数の多元時間流にとって意味を持たないとする、主人公の諦観につながる。 本書は、長期の連載のためか、全体で見ても、山と谷の間隔がやや大きい。見どころは、やはりハンニバルを巡る部分だろう。また、価値観が異なる、戦前生まれの人物とのからみなどは、もう少し読みたかった。 |
その他の眉村さんの新作として、今年は『日がわり一話』(出版芸術社)が出ている。奥さんが癌に冒され、生きている間に1日1話づつ原稿を書き綴っているのだという。眉村さんの奥さんとお会いしたのは、もう10数年前と思うので、久しくお目にかかっていない。さらりとしたタッチで、悲壮さなどまったくない作品集であるが、それだけに言い難い気持ちになる。 |
森下一仁『現代SF最前線』(双葉社) 83年から97年までの、「小説推理」や各誌書評を網羅した大部の書評集。個人が出した、評論集ではなく書評集という意味では、おそらく日本のSF作家では初めてではないか。それにしても、15年間という時代を1冊の本で網羅してしまえる点は、他に比類がない。たとえば、本HPは時代的には、本書を上回る領域をカバーしているが、そもそもSFチェックリスト自体、グループで行われていたわけで、1人の力ではないのである。選択の範囲や選ぶ作品も、これはすべて森下一仁の個性を反映したものなのだ。歴史的な概観も「あとがき」にわずかにあるだけなので、SF全般の紹介書というより、むしろ(書評という形式をとった)短編集のように読むべき本であるといえる。 |
佐藤正午『Y』(角川春樹事務所) グリムウッド『リプレイ』(新潮社)以来、過去に戻って人生をやり直すという設定は、ある意味で定石になってきたのかもしれない。たとえば、浅田次郎の『地下鉄に乗って』などは、まさにそういうお話である。本書では、主人公と友人、何人かの女性たちが、ある事故を経て全く違う運命をたどる。その事故の瞬間へ跳ぶことで、現在と18年前が時間のループに閉じこめられ、繰り返される。 同じようなお話が、21年前(!)の「SFマガジン」時間SF特集(1977年1月号)に確かあった。ファイラー「時のいたみ」で、妻を事故で失った男が、大変な努力の末に時間を遡り、 妻を救出する。ところが、その“努力”は妻にとって存在しない時間線の物語でしかなく、男との体験の共有もない。やがて、恋は冷めてしまい二人は別れる。SFのアイデアとしての時間改変は、国家や民族の運命をねじ曲げてしまう、大変革を伴うことが多い。けれども、本当に簡単に改変できるものは、実は男と女の出会いなのだ、とこれら作品は書いている。実際そうでしょう。 |
『ハンサムウーマン』(ビレッジセンター出版局) 7月に出た本。最後まで読んだのが最近なので、いまごろ紹介するが、岬&大原編の『SFバカ本』に一番近い雰囲気を持つのが本アンソロジイである。作者は明智抄、大原まり子、小谷真理、斎藤綾子、佐藤亜紀、島村洋子、菅浩江、松本侑子、森奈津子らである。おおむね、SFの人は(自己紹介も)生真面目で、他の人はまあなんというか。女性であることに何の衒いもない、奔放なところを買うが、編者(編集部)の意図が不明瞭でもある。 この本は出版社としてマイナー(WZ・VZエディターの会社)なせいもあって、入手が結構難しい。そもそも、どこに置いてあるのかも不明(著者名が判然としないためもある)。なお表題作は大原まり子。 |
オースン・スコット・カード『奇跡の少年』(角川書店) カードの代表作の1つ SEVENTH SON のシリーズである。独立戦争当時のアメリカを舞台にした、超能力を持つ少年の物語、ということになるが、さすがにその設定には一ひねり、二ひねりがなされている。例えば、ジョージ・ワシントンは処刑されており、アメリカ南部には亡命英国国王の領地がある(もちろん、そのような史実はありません)。また、この時代には“奇跡”が日常的に顕れている。そして、少年を亡き者にしようとする邪悪な何者かも、教会の権威の元に跳梁する・・・。 本編でシリーズがはじまったばかりでもあり、物語はなにも完結していない。とはいえ、これだけ宗教的なメタファーに溢れていながら、重さや違和感を感じさせずに読ませる点は、カードの技のすばらしさといえる。 |
さて、今年もあと数日になりました。98年のページについての更新は今回で終了、また99年の新ページでお会いすることになります。ほぼ読書記録しかない、というページですが、日頃のご愛顧に感謝いたします。来年は新機軸も取り入れていく予定(と思うだけで終わるかも)。不況の世の中で、どこまでできるやらですが(関係ないですがね)。