2011/4/3

Amazon『リトル・ブラザー』(早川書房)

コリイ・ドクトロウ『リトル・ブラザー』(早川書房)
Little Brother,2008(金子浩訳)

Cover Design:岩郷重力+T.K

 リトル・ブラザーとは、ジョージ・オーウェル『1984年』(1949)の全体主義の象徴「ビック・ブラザー」に対応するもの。本書はカナダの作家、IT評論家でもあるコリイ・ドクトロウのベストセラーである。キャンベル記念賞プロメテウス賞ホワイトパイン賞(カナダのオンタリオ図書協会が、ヤングアダルト向け著作に贈る賞)を受賞している。そう、もともとヤングアダルト向けの作品で、主人公も17歳の高校生なのだ。

 近未来=現在のアメリカ、テロ犯を未然に防ぐため、カメラによる厳重な監視とネットワークの検閲が公然と行われている。しかし、サンフランシスコのベイブリッジが爆破され、多数の死者が発生すると、たまたま現場近くに居合わせた主人公らは、テロ容疑者として検挙される。屈辱的な拷問の末、容疑不十分で釈放されはしたが、自由なネットワークを失いたくない主人公は、さまざまな行動を起こしていく。

 9.11後の、「テロを防ぐためには自由の制限もやむを得ない」という風潮を、ラディカルに批判した作品。ネットワークの自由を守る立場は、著者が共同編纂しているアナーキーなウェブサイトBoing Boingでも明らかだろう。すべての検閲と秘密を無くし、情報自体もフリー(無料)にすることで、世界はより良くなる/より進歩するという主張だ。主人公は、政府機関の検閲を避けるために、暗号化ネットワークをハックしたXbox(内部情報が非公開のゲーム機を解析し、独自のプログラムにより自由に操作できるようにする)で構築する。3年前の著作なので、twitter/facebook以前のネットが描かれているが、むしろネットワークの“社会を変える力”(ウィキーリークスによる大量の情報暴露と、アラブ世界で起こっているSNSによる政府転覆、あるいは、3.11震災時のSNSによる情報伝達と従来型公共情報との比較)が明らかになった今だからこそ、本書の提示するビジョンを現実的に再考する価値が出てくる。

 

2011/4/10

Amazon『ドクター・ラット』(国書刊行会)

ウィリアム・コッツインクル『ドクター・ラット』(河出書房新社)
Doctor Rat,1971,1976(内田昌之訳)

カバーイラスト:近藤達弥、ブックデザイン:永松大剛(BUFFALO.GYM)

 著者の作品は、初期作『バドティーズ先生のラブ・コーラス』(1974)を皮切りに、既に12冊以上翻訳されている(大人向けだけでも7冊)。中でも、スピルバーグ映画のノヴェライゼーション『E.T.』(1982)がもっとも知られているだろう。単なる映画タイアップ本を越えた内容で、世界的なベストセラーとなった。最近では、共著の子供向け絵本『おなら犬ウォルター』(2001)がロングセラーになっている。本書は、1977年の世界幻想文学大賞を受賞した代表作である。

 動物実験が日常的に行われている研究所、器官の切除や病原菌の培養などの目的で、毎日おびただしい数の実験動物が殺されていく。その中で、ドクター・ラット呼ばれるハツカネズミは、目的を正当化し、動物たちに運命を受け入れるように説いている。しかしある日、動物たちの心に疑問が生まれ、一致団結した反乱が発生する。折しも世界中の“人間以外”の生き物たちも、その動きに呼応する。

 動物実験で多くの動物が犠牲になる事実は、近年改善に向かう傾向にはあるがまだ十分ではない。ただし、本書が描くビジョンは単純な「動物実験反対」とは違う。ドクター・ラットが叫ぶ正当性(科学と人類に対する貢献)は、人間の主張の滑稽なパロディともなっている。我々が生きていく社会がどのような前提で成り立つのかを、端的に述べているのだ。動物実験を廃止できても、食肉の廃止や家畜の開放ができるわけではない。そして、その論理は人種や民族、性別といった人間同士の差別/虐殺にも簡単に敷衍される。人間社会の原罪を全面的に改めることは、もはや不可能なのだと作者は主張している。

 

2011/4/17

Amazon『ロールシャッハの鮫』(角川書店)

スティーヴン・ホール『ロールシャッハの鮫』(角川書店)
The Raw Shark Texts,2007(池田真紀子訳)

ブックデザイン:永松大剛(BUFFALO.GYM)

 著者スティーヴン・ホールは、1975年生まれの英国新鋭作家である。本書は、書店ボーダーズが主催する新人賞オリジナル・ボイス賞(2007年)、こちらも35歳以下の新人に与えられるサマセット・モーム賞(2008年)を受賞、アーサー・C・クラーク賞の候補(2008年)ともなっている。

 主人公は一切の記憶を失っている。どこかに手がかりはないものかと苦悩する彼のもとに、記憶を失う前の自分から郵便物が届くようになる。しかし、そこに書かれた内容は、具体性を欠いたまさに謎の塊。亡くなった恋人との旅の断片、暗号文、ディクタフォン(口述用の録音機)で作られた結界、何世代も生き続ける正体不明の男、本で作られた迷宮と海、そして、見え隠れする巨大な鮫の影。

 冒頭こそ、失われた記憶を探索する物語のように読める。だが、途中から、探しものの正体が“テクスト”であることが明らかになってくる。アスキーアートで書かれた鮫は、象徴的に描かれたのではなく、まさしく“文字”で作られた鮫なのだ。高踏な現代文学と、大衆小説的要素が混在しているのである。その上、キャロルの『不思議の国/鏡の国のアリス』風のエキセントリックな登場人物、英国作家が好んで描く地下世界(例えば、二―ル・ゲイマン『ネバーウェア』(1997))を思わせるシーンなどがちりばめられていて、多彩に楽しめる。中でも、ラストシーンが「ジョーズ」(1975)そのままというのは、作者のトリビュートでもあるのだろうが、抽象化された文字の怪物が、ヴィジュアルに具現化されるという不思議な読後感が得られる。

 

2011/4/24

Amazon『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社)

ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社)
The Brief Wondrous Life of Oscar Wao,2007(都甲幸治/久保尚美訳)

Illustration:Mizuki Goto、Design:Shinchosha Book Design Division

 1968年ドミニカで生まれた米国作家。まだ著作は短編集1冊と長編1冊しかないが、その長編がピュリッツアー賞全米批評家協会賞(2007年)をダブル受賞してブレイクした。本書では、ドミニカの独裁者トルヒーヨの時代と現代が描かれている。トルヒーヨについては、ノーベル賞を受賞したペルーの作家マリオ・バルガス・リョサの『チボの狂宴』(2000)が有名だが、ディアスは白人/ペルー人リョサの書いた独裁者の姿は“本物”ではないという。常軌を逸した中米の独裁者(隣国のハイチも同様に苦しんだ)の行動は、彼らの背後にいた民主国家アメリカの存在(ドミニカは非民主的な国なのに、親米であったがために容認されていた)もあって、まさにSF/ファンタジイでしか描けない超絶の事象なのだという。

 主人公はドミニカ生まれの青年。映画や日本のアニメ(マクロス、ガッチャマン、AKIRA)に精通し、トールキンばりのSF長編スペース・オペラを書くが、どの出版社からも相手にされない。男女交際とセックスに明けくれる仲間たちとは相いれず、恐ろしく太ったオタク体型も災いして、ただ一人童貞のまま悶々と暮らしている。物語は、その母/姉/祖母たちの、(ドミニカの歴史を反映した)波乱万丈の遍歴をたどり、やがて彼の、悲劇的な/滑稽な恋へと収斂する。

 日本のオタク文化に詳しいなど、本書の主人公には著者の影が見え隠れる(実際は、主人公の大学寮での相棒が著者の分身だろう)。とはいえ、自身はコーネル大学の大学院を出た後、発表する短編がどれも高評価を得て、最終的にベストセラーにまでなるのだから、ずいぶんとその結果には差がある。ある程度認知された日本のオタク文化とは違って、アメリカでナードといえば侮蔑の対象でしかない。この主人公には、もしかすると自分もこうなったかもという、作家特有の恐怖が込められているのかもしれない。