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ハリスン公開インタビュー(小ホール 8月23日12:40開始)
 出演者:波津博明(聞き手)、ハリー・ハリスン(通訳:大迫公成)


1939年開催 第1回世界SF大会のプログラム(詳細はこちら)

 ハリー・ハリスン氏を迎えての企画は2つあって、初日の「世界SFセミナー」は、イスカーチェリの波津博明氏を聞き手に、インタビュー形式で行われた。通訳は大迫公成氏。
 まず、ワールドSFについて、10年以上前に、国際的なプ口組織がないということから創設し、東側の作家も多く加入していること、ヨーロッパ外では、中国やシンガポールの大学教授が加盟しているが、アジアの作家は少ないなどと説明。 また、日本SFを世界にという試みは、フランスSFですら難しい現状で、良い翻訳がないのも問題だ、しかし、アメリカでは退屈なファンタジィが半数以上を占め、シリアスなSFを読まない若者が増えており、アメリカの役割は終わりつつあるという。その後、第1回世界SF大会の話や、途中矢野徹氏の飛び入り発言、参加者からの質問などもあって、会場は沸いていた。

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ハリスンvsホーガン世界のSFを語る(中ホール 8月24日13:20開始)
 (前半部)出演者:新藤克己(聞き手)、J・P・ホーガン
 (後半部)出演者:矢野徹、伊藤典夫、黒丸尚、ハリー・ハリスン(通訳:大迫公成)

 前半はインタビュー形式で、ホーガン氏と、聞き手の東京創元社、新藤克己氏の2人が舞台に登場。
 ホーガン氏は、前日の合宿所での疲れを、全く見せずに現れた。
 まず、アジア自体を訪れるのが初めてと断ってから、秋葉原でLSIが露店商のようなところで売られているのに驚いた話から、ITT、ハネウェル、DECでエンジニアを務め、後、重役待遇のセールスマンとして主に研究所、大学に販売していたこと。そこでの付き合いから、背景にある科学の意味について学べたこと、処女作『星を継ぐもの』は、もし売れたら金を払おうという、同僚との賭けで出来たもの、バランタインから採用の通知がきたが、出版社の名前も知らなかった、SF大会のことは本を3冊出した後にやっと知ったなど、自身のことを語った。
 後、会場からの質問で、人工知能のことやSF作家の姿勢などを語った。

 後半部分がハリスン氏を囲んでの座談会。
 出席者はハリスン、矢野徹、伊藤典夫、黒丸尚、通訳大迫公成の各氏。
 まず、なぜアメリカ人だったのに、アイルランドに住んでいるのかから始まり(最初メキシコ、次にイスラエル、デンマークなどに、移り住んだ)、最新作の内容について、軍隊生活のこと、ステンレス・スチール・ラット、ワープロ、創作態度、ペリー・ロ―ダンにまで幅広く話題が及んだ。
 残念ながら会場の声はテープが残されていないので、詳細をお伝え出来ないが、後半は質問が活発に出され、舞台側とー体となって、企画は終了した。

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ワールドSFへの呼びかけ(集会室 8月24日15:00開始)
 出席者:ハリー・ハリスン、作家、翻訳家多数

 ハリスン氏の呼びかけで、作家、翻訳家、研究者などが集まり、ワールドSFの大会への出席アピールが行われた。集会には、矢野、小松、豊田氏らが参加した。
(注:ワールドSFは主にヨーロッパのSF作家たちの集まりで、ハリスン氏も代表を務めていたことがある。その後ブライトン(87),ブダペスト(88), サンマリノ(89), ハーグ(90), 成都(91), ジャージー島(93), クールマイユール(94),グラスゴー(95)と開催され、現在中断中)

 大会終了後、ハリスン、ホーガン両氏から手紙が届いた。

「これまで世界でのさまざまな大会でゲスト・オヴ・オーナーとして呼ばれ、それぞれが昂揚感を伴うものでした。しかし、DAlCON5は、第1回のワールドコン以来多くの大会のうちでも、もっとも組織化され手際のよい素晴しい大会でした。大阪での総ての出来事が、思い出として残るでしょう」(ハリスン)。
ハリスンの公式HPはこちら

「私は現在アメリカに住んでいますが、今でもイギリス人です。そして、今回日本を訪れて、他のヨーロッパの国より、かえって身近なものを感じました。また、アメリカ社会の利点は、日本でより良く根付いているようです。20世紀は大西洋を中心に回っていましたが、21世紀の主役は太平洋ではないでしょうか」(ホーガン)。
ホーガンの公式HPはこちら

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本章はDAICON5アフターレポートからの抜粋・修正及び追加写真により構成されている。

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