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オープニング(大ホール 8月23日10:30開始)
 主な出演者:ハリー・ハリスン、J・P・ホーガン、トーレン・スミス(通訳:大迫公成/生田千穂)
 司会進行:西川公規/井上祐美子(大ホール担当)


(左から)ハリー・ハリスン/J・P・ホーガン/トーレン・スミス

 EZPSで製作された16mmCGによるオープニングフィルム上映後、実行委員長挨拶があり、上記の公式外国人ゲストが挨拶に立った。ステンレス・スチールラットのメッセージを叫んだハリスン、成田からの交通事情をジョークで語ったホーガン、日本マンガの大ファンと自己紹介するスミスの各氏。トーレン・スミスは、今でこそ日本のマンガ/アニメの紹介者として著名だが、当時はホーガンの友人として随行してきた単なるアニメオタクだった。スタッフも正体を知らないまま、ホーガンの要望でゲスト扱いした経緯がある。その後のトーレン・スミスはガイナックス関係、大森望関係の記述に数多く登場する (検索してみてください)。

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高い城の男たち 黎明期からの眺め(大ホール 8月23日14:30開始)
 25周年記念リレーパネルその1
 出演者:矢野徹(司会)、手塚治虫、眉村卓、豊田有恒


(左から)豊田有恒/眉村卓/手塚治虫/矢野徹

 「昔話というと若いお方には面白いのか面白くないのか、それが貴方がたの未来にとって役に立つようなものになるかどうか…」
 25周年記念リレーパネル『高い城の男たち 黎明期からの眺め』における第一声は司会の矢野徹。パネラーに手塚治虫、眉村卓、豊田有恒の各氏を迎え、約1000名の観衆を前に始まった。

矢野 :「戦後米国から帰ってきた時、江戸川乱歩という方に、「SFをやりたいなら翻訳と創作の柱を、そして出版社と同人作家のクラブ等といった、4パートが同時進行的な活動をしなければいかん」と教えられた。その頃、早川書房の都筑道夫、福島正実などから最初の物を創ろうという気運が盛り上がって、又、既にプ口として活躍してらしたSF気質の大先輩である手塚さんが居、本では『星雲』などができては潰れ、同人誌では柴野拓美さん等中心として『宇宙塵』、ファン活動は後程話に出ると思うのですが第1回のSF大会、そういった頃が戦後の日本SFの発生では、土壌となった時代ではと思うわけです」

豊田:「デビューの頃というのは、日本ではまだSFと言う言葉が浸透していなかったんですよね。たまに学習雑誌なんかから注文があると「SFで健康的な雰囲気の学園もの」そして「宇宙船だのロボットだのという奇妙な物は出さないでくれ」と切ロ上に言われる。打合わせをしたらしたで“アンドロイド”という単語に何か感違いしたのか「そんなイカガワシイモノ出せる訳ないでしょう」と目を吊り上げる。初期はそういった制約が多くて、当時のジュヴナイルは誰のものでも異次元侵略物が多くなってしまったんです。ま、そんな時代、SFという未踏の荒野がパアッと広がっているような状態で先輩にも恵まれ、日本SFの黎明期に立ち合っていた事は大変幸せだったと思います」

手塚:「当時はSF小説を大人の雑誌に載せるのは夢のまた夢。SFでは食えない。SFだけでは生きて行けず商売にならないといわれていた頃ですからね。まがりなりにも初めての大会を開いたのだけど、今にしてみれば本当の同好会としての集まりだった。SFというのは商売以外での結束があったし、まさかプ口になるとは誰も思ってなかっただろうけど、当時の写真を見ると半分はプロとして活躍してるんですよね」

豊田:「25年前の大会前日には柴野さんとマジックで看板に“第一回日本SF大会”と書いた記憶があるんです。会場は目黒公会堂の別館で無慮180名も集まった。名称は『べッカンコン』としようと思ったんですがあんまりだというので『メグコン』にしようと」

矢野:「そんな時代も遠くなり、日本経済も上向きの高度成長期、万博の開かれた年“お祭り大好き、行動力日本一、知識のゴミ箱”小松左京という人の呼びかけで、世界SFシンポジウムが開かれ、これが日本と諸外国を繋ぐきっかけとなったんです。さて大会も回数を重ね数年前の大会(TOKON8、1982)で手塚さんが大声で「皆さん漫画は読まずにSFを読みなさい」と叫んだ事が忘れられない。これは―番大切な部分を文字で読んでほしいという事でしょう」

手塚:「ある時期で自分達が読んできた作家の名前が誌面から消え、換わりにスペースオぺラやその系列のアクション物、SW等を中心とした映画、漫画が増え大会でも中心を占めるようになった。近頃ではSFに対する思い入れがなくなってきている様に思うんです。こういうとナンですがSF大会のオープニングにはアニメが始まるし企画にはアニメの部屋、アートの展示に人が集まる時代になった」

矢野:「さっきハリィ・ハリスンが同じことを言っていた」

手塚:「今は共存共栄だからいいんだけども…実はSF作家にも不満があるんです」

眉村:「SFMのコンテストの審査をしてて気が付いたのですが“SFが好きで”という熱の篭った物より、“よく出来た白けたSF”が多くなってきているようです。コンテストである以上、熱っぼく未熟な物よりできの良いものを選ばざるを得ない…そういう辺りも大会に影響を及ぼしているのではないですか」

手塚:「最初読んだ時SFは知的ゲームだと思ったんです。しかし荒唐無稽ハチャメチャな物が増えすぎ、ある時期を境に、ファン気質がごろりと変わってしまった気がします」

豊田:「とは言え、ファンの動きの外にいて、黙ってじっと読み続けている、そんなファンもいる訳で。ひょっとしたら今広がっているSFの勢いというのは、目に見えている部分だけじやなく、もっと別の処でも浸透しているんだなと思いました」

矢野:「今の日本の知的水準を保っているのは、そういう人たちなのかも知れんなあ…」

 その後、会場参加者との間でのいくつかの質疑応答が交され、和やかな雰囲気の中リレーパネル1は幕を閉じた。

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ゲイトウェイを求めて 成長期のSF(中ホール 8月23日15:50開始)
 25周年記念リレーパネルその2
 出演者:伊藤典夫(司会)、田中文雄、高千穂遙、夢枕獏


(左から)田中文雄/高千穂遙/夢枕獏

 伊藤典夫氏を司会に、ゲストに迎えたのは田中文雄・高千穂遥・夢枕獏の各氏。山田正紀、川又千秋らとともに、第3世代作家の代表選手である。この世代は第1、第2より比較的自由にSFを追及できる立場といわれるが、まずは三者三様の「なぜSFを書き始めたか」「長編作家への移行は自然だったか」について語られた。

 自分が読者の求める物、SFの本道を歩いていると思うか、という伊藤氏の問い掛けに、

夢枕:「だれにも後ろ指を指されないものが書いてみたいが、メカ音痴が致命的」

高千穂:「べンフォードやクラークが本道として、逆にそこから抜け出せない」

田中:「学生時代、ミステリ研のころSFを知って視野が広がった気がした。今はSFでの制約が多すぎ、特にハードでの制約が気になる」

 との声。
 また、SFのテーマが風化、SF用語が擦り切れてしまい、あたらしいSFを模索していないように思えるが、との質問には、

高千穂:「SF用語ではなく言葉(ボキャブラリー)がたりない。擬音語を乱用せず、三島由紀夫と同等の筆カがあればなんとかなる」

夢枕:「語彙の不足については、純文学の基本姿勢で自分もそう思っていたが、近ごろは好きにやりゃいいんじゃないか、と思うようになった」

 導入したら書くのが三人とも遅くなったというワープロ談義、執筆時にどのようにして幻想の世界に人るのか、資料の活用法など製作レべルでの話の後、これからのSFについて各人のホンネを伺ううちに、座談会は終わりを告げた。

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ショックウェーヴ・ライダーズ 円熟期のSF(中ホール 8月24日10:00開始)
 25周年記念リレーパネルその3
 出演者:高橋良平(司会)、谷甲州、児島冬樹、大和眞也


(左から)大和眞也/谷甲州/児島冬樹/高橋良平

 リレーパネル「ショックウェーブ・ライダーズ」は、当初はいわゆる第4世代作家と呼ばれる若手SF作家によるパネルであったが、期せずして奇想天外新人賞でデビューされた大和眞也、谷甲州、児島各樹の各氏を迎え、高橋良平氏を司会に始められた。なお、予定の新井素子女史は病気のため欠席された。

 最初にSFを書き始めた頃からデビューまでとの問いに、

大和:「SFファンであるという証明のために応募して、何故か入っちゃったんです」

谷:「高校時代に既に小説は書いていたが、その後大阪工大SF研を作って、個人誌をだし、奇想天外には2回出して2度目に3等賞をもらった」。

児島:「大学を卒業してから星群、ネオ・ヌル、宇宙塵などにショート・ショートを書いていて、その結果奇想天外に送るようになった訳です」

 それから、奇想天外社屋の思い出や、締め切りがなかった話、奇想天外が潰れたとき、いかにショックだったかという話題となる。ネパールでたまたま開いた日本の新聞に休刊と書いてあって、ショックを受けたという谷氏の話には、場内爆笑に包まれた。大和女史の「すごくわりのいいバイトだなあと思っていたので、つらいなあと思ったんですけど」には、場内大爆笑。

 奇想天外という雑誌は、潰れてから考えてみるに、偉大な雑誌であったことは確かなようで、パネラー各氏は、充分ではなかったにせよ、奇想天外に対する愛着や思い入れを語られたようだ。
(注:奇想天外社版「奇想天外」は1981年10月号で休刊。この座談会の翌年1987年に大陸書房版「小説奇想天外」で復活したが、1990年大陸書房の倒産により3度目の休刊を迎える)

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竜の卵の料理学 ハードSFの今日的意義(大ホール 8月24日13:00開始)
 25周年記念リレーパネルその4
 出演者:堀晃(司会)、小松左京、石原藤夫、谷甲州、内藤淳一郎、大野万紀


(左から)大野万紀/内藤淳一郎/石原藤夫/小松左京/谷甲州/堀晃

 これだけハードSFの関係者が大会に集まったのは、初めてと思われる。
 司会に堀晃氏を迎え、自己紹介を交えながらパネルは始まった。

 まず、内藤淳―郎氏は京大で天文学を学び、科学関係出版社、後エンジニアという経歴を持つ。若いころボームの量子論で衝撃を受けたことから始め、最新科学のトピックスを披露。

 続く谷甲州氏は、大阪工大で土木工学を専攻、ここに居るのがそもそも場違いと始め、国際協力事業団でプロジェクトの現場監督をやってきたこと、政変のフィリピンから帰国したが、実体は日本の短波放送で分かったなどと話された。

 大野万紀氏は神戸大の理学部卒、現在は解説家、翻訳家で活躍中、セーガンの『コンタクト』を例に引き、ハードSF的なワンダーの意味を話された。

 石原藤夫氏は、現役科学者でSFを書いているのはこの人だけという、日本ハード界の重鎮。1979年に、ハードSF復興20年計画というのを計画したこと、その―環で『光世紀の世界』などを出版し、82年にはハードSF研を作った。ただ、理科系の人間は文章に情熱を持たない事が悩みだと述べられた。

 最後は、この分野に限らず、日本SFの大べテラン小松左京氏である。まず、私だけが文科系と断った後、自分の幼いころの小説の地位や、原爆や大戦の残虐行為の真の意味を描きうるものが、既存の小説に無かったこと。文学では、新しいセオリーが書けないことを論じられ、宇宙の中における人間の精神の営みで、一番面白い部分を描きうるのがSFであると、結論付けられた。

 こうしてパネルは、SFのコアを手探りする様々な試みを論じ幕となった。

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25周年記念パーティ(レセプションホール 8月23日17:30開始)
 出席者:招待者80名 一般参加者150名(有料)
 司会進行:岡本俊弥

 大会記念パーティは委員長挨拶の後、豊田有恒さんの乾杯の音頭で、初日最終企画として開催された(他の企画が全て終了後)。スピーチをいただいたゲストだけで15名、他にも多くのゲストが参加されたが時間の関係で全員にはお願いできなかった。

 主なアトラクションとしては、第1回日本SF大会MEGCONの8mm上映が行われたが、オリジナルフィルムから複写された映像は暗く、ほとんど画面が見えない状態。眉村卓さんの解説の軽妙さで救われた形だった。(オリジナルは古いフィルムのため、当時の新しい映写機では架けられなかった)。

 またアメリカのファングループCFO(Cartoon/Fantasy Organization)代表から実行委員長宛に寄せ書き入りの木彫馬が送られた(といっても、日本のお土産品にサインがしてあるだけのものだが)。

 最後に抽選で眉村卓さん提供の『迷宮物語』生原稿カラーコピー(本物より珍しい)。パパドゥ提供『妖怪天国』アイテム類が会場参加者に配られた。DAICON5は非常に多数のゲストの方々を迎えることができた。多忙なスケジュールを空けていただいた上に、企画の提供をしていただいた方も多い。 パーティも、一般参加者が3分の2を占めるものでありながら、ゲストの豊富さで企画としての体裁が整えられたといえる。

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本章はDAICON5アフターレポートからの抜粋・修正及び追加写真により構成されている。

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