大会直前 | |||||
雰囲気がよく出ているので、大ホールチーフT君(大手電機メーカー勤務)のレポートを要約する。T君の担当したのは、本来ショー的演出が求められる大ホール(定員1400名)である。にもかかわらず、会議室向きの企画が多数を占めたために、配分や演出に苦労していた。そういう不満も見え隠れる。
企画の詳細については以下の状況だった。大会間際なのに、という嘆きがうかがえるが、詳細手順が決まる時期としては、たぶんどの大会も似たようなものと思われる。 そもそも出演者(ゲスト)もポランティアなのだ。仕事のスケジュールがはっきりするまでは、なかなか予定は確定できない。 エンディングの演出が決まらないと焦っていたところ、なんとエンディングフィルム上映というとんでもない案が飛出し、それが皆の賛同を得てしまった。 この記録を見ても、間際になって無数の企画が生まれてきていることが分かる。たとえば、オープニングCGはキヤノンのEZPS(注1)というDTPシステム(当時そのようなコンセプトの国産マシンはほとんどなかった)で作成した。後世に残せるような代物ではなかったが、世界初のコンピュータによるフルCG16mmオープニングフィルムである(製作はキヤノンだが、営業デモ用に提供したので、制作費はたったの10万円)。日本初という意味では、BBSテレスター(注2)による実況放送も企画され、先のレポートにもあるようにプロモーションフィルムの本格的な上映会も複数企画できた。これらは、大会側で発案したというより、企画を進めるうちにゲストの人脈から浮上してきたものだ。無数のゲストや関係出版/映画会社への周知の結果として、自然発生的にアイデアが生まれてきた。人脈があらゆるチャンネルで広がった効果といえる。
EZPSで作られたオープニングCG EZPSは1985年に発売開始され、1996年までキヤノンからDTPシステムとして販売されていた。なぜDTPでCGなのかだが、当時のEZPSには図形の加工/描画機能があり、簡単なアニメーションの作成までを視野に入れていたためである。グラフィックワークステーション (GWS)と、DTPとはまだ未分化だった。 もちろんPCプロジェクタなどないので、画面を16mmフィルムで撮影するという手間を経て作られた。 テレスター(Tele Star)は、工学社が主催していたパソコン通信(BBS)で、1985年からスタート。現在も工学社のインターネット管理会社として、この名前で存在するが、もちろん昔のBBSとは異なる。PC-VANが86年、Niftyが開始されたのは87年だったので、先駆的なBBSである。SF大会の中継企画は、早川書房+テレスターによる共同提案。 |