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大会直前

 雰囲気がよく出ているので、大ホールチーフT君(大手電機メーカー勤務)のレポートを要約する。T君の担当したのは、本来ショー的演出が求められる大ホール(定員1400名)である。にもかかわらず、会議室向きの企画が多数を占めたために、配分や演出に苦労していた。そういう不満も見え隠れる。

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  1. [3月] 企画の立案、ゲストの選定
  2. [4月] 25周年記念リレーパネルについてはようやくゲストへの出演依頼状送付。その他は、ほとんど進展無し。オープニングフィルムのことも星雲賞やエンディングの演出も、なあんにも決まらず。
  3. [5月] リレーパネル以外の企画についても、やっとこさ依頼状送り始める。ぼちぼちとゲストの方々より返事が返ってくる。コスチュームショウへの申込みがほとんどなく、もう止めようという声しきり。皆で代案を考える。オープニングはCGを製作することに決まり一同ホッ。
  4. [6月] ここにきて、いろんな所よりフィルム上映の話が持上がる。35ミリフィルムなどは大ホールでしか上映出来ないにも係わらず、既に大ホールの時間枠は満杯なので、何とかやりくりするために各ホール・企画室間で企画が右往左往する。お陰で企画都の連中は頭やわやわになる。おまけに、ハリスン、ホーガン氏の参加が確定し、また企画を練直す。お陰で企画部の頭はぐっちゃんぐちゃんになる。
  5. [7月] 恐ろしい話だが、ゲスト出演者の確定した企画は数えるほどしかなかった。コスチュームショウはもめているうちに 、参加者が集まってきてしまったので済し崩し的に開催が決まった。特に海外参加者からのコスチュームショウ参加希望の便りが大きく効いた。
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 企画の詳細については以下の状況だった。大会間際なのに、という嘆きがうかがえるが、詳細手順が決まる時期としては、たぶんどの大会も似たようなものと思われる。 そもそも出演者(ゲスト)もポランティアなのだ。仕事のスケジュールがはっきりするまでは、なかなか予定は確定できない。

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 エンディングの演出が決まらないと焦っていたところ、なんとエンディングフィルム上映というとんでもない案が飛出し、それが皆の賛同を得てしまった。
(一休誰が製作するのであろうか?…)
  1. オープニング
    CG製作中。来週末ラッシュ、さ来週編集の予定。
  2. エンディング
    エンディングフィルム「GAME OVER」製作決定。
  3. 星雲賞受賞式
    副賞はxxxに決定。(ちなみに、この決定は取りやめになった)
  4. 映画「時空の旅人」上映会
    試写の為フィルムが大会前日までに入手できるか問合わせの予定。
  5. 岡本忠成の世界
    岡本氏より、上映作品リスト戴く。時間枠拡大して1時間50分とする。
  6. リレーパネル「高い城の男たち」「竜の卵の料理学」
    出演ゲスト確定しました。
  7. 映画「紅い眼鏡」予告編
    押井守監督まだこられるかどうか確定していません。
  8. 映画「王立宇宙軍」予告編
    前日に試写出来ます。
  9. コスチュームショウ
    台本を送ってきたのはまだ3件。
  10. 手塚治虫映画上映会
    上映作品、フィルムの受渡し方法は7月中に御返事もらえる予定。
    (この企画は、手塚さんの望んだフィルムが見つからずに中止となった)
 大会まで1ヵ月をきった時期にまだこんなことをしていた。そしてこの時点では、当日の演出(照明や音響など)はほとんど決まっていなかったのである。
(本当にこれで大会が出来るのだろうか…)
 Tの脳裏には不安が渦巻いていた。
 このような破滅的状況のまま、大会スタッフは怒涛の8月へと突入していったのである。
 Tは、8月3日の実行委員会会議終了後事務局に戻り、台本を書き始めた。しかし、2日間、およそ16時間に及ぶ大ホール企画の台本がすぐに出来るわけはなく、徹夜を覚悟したTは、近くのコンビニでヤクルトタフマンを数本買込み、背水の陣をひいて机に向かった。翌日、何とか書上げた台本を手にTほか数名はメイシアターに向かった。

「これは最終の決定台本ですか」(会場担当者)
「いえ、まだ確定ではありません。これより変更の可能性もあります」(T)
「確定していない台本では、打合わせしても仕方ありませんね。日を改めてください」

 Tが徹夜で書いた台本はほとんど読まれる事もなく、再び手元に戻ってきた。
 翌日から、Tの事務局日参が始まった。Tの会社はこの週が夏休みとなっており、まともに事務局の仕事ができる最後の機会であった。他の社員が海へ山へ海外へと出掛ける中、スタッフの女子高生に「不良社会人」と呼ばれながら、Tは毎日事務局の机に向かい黙々とワープロを叩き続けた。
 そして8月10日、出来上がった台本を手に、Tは再びメイシアターへと向かった。

「このタイムテーブルを見ますと朝からタ方までプログラムがぎっしり詰まっていますが、一体私達はいつ昼飯を食べたらよいのでしょうか」(担当者)

 打合わせが終わって安堵したのも束の間、仕事はまだ山積していた。この翌日よりTは再び会社勤めが始まり、その仕事の多くはサブチーフらに任せることになった。従って大会直前の事務局の状況をTはあまり知らないが、このことはTにとって幸せであったかもしれない。
 リハーサルの前日、心配になったTは退社後、事務局を訪れた。既に夜の11時を回っていたが、事務局には多くのスタッフが働いており、当日参加者に配布する書類の山で足の踏場もなかった。呆然と立ち尽くしているTに企画部長が声をかけた。

「こんなところにいるよりは、家に帰って明日に備えて寝たほうがいいですよ、Tさん」

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 この記録を見ても、間際になって無数の企画が生まれてきていることが分かる。たとえば、オープニングCGはキヤノンのEZPS(注1)というDTPシステム(当時そのようなコンセプトの国産マシンはほとんどなかった)で作成した。後世に残せるような代物ではなかったが、世界初のコンピュータによるフルCG16mmオープニングフィルムである(製作はキヤノンだが、営業デモ用に提供したので、制作費はたったの10万円)。日本初という意味では、BBSテレスター(注2)による実況放送も企画され、先のレポートにもあるようにプロモーションフィルムの本格的な上映会も複数企画できた。これらは、大会側で発案したというより、企画を進めるうちにゲストの人脈から浮上してきたものだ。無数のゲストや関係出版/映画会社への周知の結果として、自然発生的にアイデアが生まれてきた。人脈があらゆるチャンネルで広がった効果といえる。

EZPSで作られたオープニングCG

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EZPSは1985年に発売開始され、1996年までキヤノンからDTPシステムとして販売されていた。なぜDTPでCGなのかだが、当時のEZPSには図形の加工/描画機能があり、簡単なアニメーションの作成までを視野に入れていたためである。グラフィックワークステーション (GWS)と、DTPとはまだ未分化だった。 もちろんPCプロジェクタなどないので、画面を16mmフィルムで撮影するという手間を経て作られた。

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テレスター(Tele Star)は、工学社が主催していたパソコン通信(BBS)で、1985年からスタート。現在も工学社のインターネット管理会社として、この名前で存在するが、もちろん昔のBBSとは異なる。PC-VANが86年、Niftyが開始されたのは87年だったので、先駆的なBBSである。SF大会の中継企画は、早川書房+テレスターによる共同提案。

 

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