SF翻訳の歴史とヴィジョン(中ホール 8月24日11:40開始)
出演者:伊藤典夫(司会)、鎌田三平、黒丸尚、矢野徹
伊藤典夫さんを司会に、翻訳SFを語って頂いた。まず司会の伊藤氏が、1950年代頃の日本SF創世期について矢野氏に伺うという形でパネルは始まった。これは「星雲」が創刊された由来や、それに続く「早川SFシリーズ」などへと至る事情経過についてであった。途中、伊藤さんが「元々社シリーズ」が発刊された頃に初めてSFを読んだ、と御自身の体験を披露。鎌田・黒丸両氏もSFに入られた頃や、あるいは初期のSF翻訳には悪いものが多かったと言う事から、翻訳者の名前を意識した時期について語られた。SF創世期からSFマガジン創刊後にSFが定着するまで、SFはあたらないとされていたが、これを覆した福島
正実・都筑道夫は「いいSF・いい翻訳」を意識していたからである。
次に「歴史」から「ヴィジョン」にテーマを移し、伊藤さんがここ1〜2年、翻訳するのに難しい状況になったが、翻訳家の立場から見てSFが面白くなるのか、と問題提起。このあと、今後のSF界の展望や、訳した作品について語って頂き、終了となった。翻訳から始まった日本SFの流れを、翻訳だけをとらえて語る試みは、多くの参加者に興味深いものであったと思える。
SFを翻訳するということは(小ホール 8月24日10:00開始)
出演者:新藤克己(司会)、酒井昭伸、風見潤、黒丸尚、山田順子
司会は東京創元社の新藤克己さん。
話はまず、物事を調べる手間について始まり、次に、各氏は固有名詞にも苦しむと語る。同じ綴りでもドイツ読みフランス読み英語読みと異なるので、人名をカタカナ表記できないのである。最後に、翻訳家になるにはどうすればよいか、ということになると、やはり好きな分野、作品のはっきりした人でなければ駄目、と風見さん。「5000枚は書かないと翻訳家にはなれない」という矢野徹さんの言葉を引用し、「どんな作品を訳したい?」と聞かれて「ない」と答えるようではダメだ、と語る。それぞれの苦労やSFに対する思い入れなどを十分楽しめたパネルであった。
冒険SFを語る(小ホール 8月24日15:25開始)
出演者:鎌田三平、山田順子、佐藤道明
パネラ―として冒険小説協会の各氏をお迎えして、冒険SFについて語って頂いた。当初予定していた内藤陳さんが欠席との事で、協会の会員を中心にして、という企画主旨を変更。パネラーの各氏には冒険SFのみならず冒険小説という広い範囲で話を伺うこととなった。
SFマガジン創作講座(レセプション 8月24日13:20開始)
出演者:今岡清
EZOCON2・GATACONを経て、SFマガジン創作講座は3回目を迎えた。プログレス2号で募集した原稿は、最終的に十数編余りの応募があり、例年通りその応募原稿をもとに今岡編集長の話は進められた。まず、粗筋はコンテストなどでは重要な要素になるのでしっかり書いて欲しい、と応募原稿を例にとって「粗筋の書き方」になる。粗筋は小説のバランスが的確に伝わるように、クールに書くことが必要であり、
「はたして主人公の運命やいかに」というのは駄目とのこと。
おもわず会場から失笑が漏れると、
「そういう人、いっぱいいるんですよ」と今岡編集長。
そこから文章の流れについての話となり、凝った表現をあまり使うと、全体がぎくしゃくする、と実例として応募作を朗読・添削となる。最後にプロットの立て方となるが、これには方法論というのは存在せず、しいて言うなら状況設定をきっちりと作ることだろう、とのことだった。開始前に数十人の参加者が並んでいたことから想像できるように、会場は熱気につつまれ、話に耳をかたむけながら急いでメモしている姿が多かった。
科学もドキ!ライブ(会議室 8月24日11:40開始)
出演者:細川英一(聞き手)、志水一夫
志水一夫さんに、その広汎な知識と氏独特の語り口によって疑似科学に関するお話を伺う、というのが企画趣旨であったが、当日は聞き手としてSFイズムの細川さんが参加。「ロ裂け女の噂のルーツは?」「ヒバゴンのその後は?」「情報公開制度に応じて公開されたUFOの情報内容は?」という話で盛り上がる。
最後に「SFイズムが続く限り、『科学もドキ!』を書きます」とのことで、盛況のうちに幕となった。
(注:「SFイズム」は1985年の16号までで中断していた。結局17号以降は出ていない)
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本章はDAICON5アフターレポートからの抜粋・修正及び追加写真により構成されている。
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