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企画とは

 目玉企画1つに絞り込むことができない以上、大会の企画は必然的に細分化される。また、複線化されることで、多様な参加者を集める魅力を備えることになる。そこで、大会では、企画は誰でもが立案できるシステムを採った。立案者が、自ら予算を立て、企画の運営者を兼ねて、最後まで面倒をみる。プロジェクトリーダー方式である。

 まず、発案者は「企画立案申請書」を作成する。ここには、簡単な企画の説明と予算の総額を書く。「スケジュール」には月単位の主な作業を書く。「予算見積表」にはゲスト足代(SF関係以外の場合)、機材の借り入れや購入のリストを、「資材要求書」には会場で使用する機材のリストを付ける。さらに「進行表」がいる。進行表とは日割りスケジュールのことで、日程どおりに進行しているのかどうかを、節目ごとに確認するためのものである。これが運営会議に上げられて承認されれば、毎月企画局から発行される企画リストに載るのである。

当時の各種企画資料

 企画の実現性などは、事務所で開かれる会議の中で議論されるうちにまとまってくる。この形式は自主企画でも踏襲された。ただ、自主企画の主催者が最初から企画を煮詰めてくるわけではない(主催者はアイデアまでを考え、大会スタッフの担当者が企画書にまとめる)。たとえば、小ホール2時間までが適当と思われた内容を、中ホール1日貸切で申し込んできて、もめるケースがあった(注1)。

 企画責任者は陰山琢磨があたった。議論だけで結論が出ないものを、蛮勇でとりまとめるのである。スタートした企画は会場単位(大中小ホール、会議室)に分配され、それぞれの専任チーフの管轄に移される。そこまでくれば、後は会場チーフが、進行状況を確認していく。

 プロジェクト方式のいい点は、作業がある程度軌道に乗れば、企画が企画を産むというプロセスを生じてくることである。1つの企画を誰かが交渉する過程で別の企画のタネが作られ、派生していく。トップダウンでは、スタッフは単なるスタッフに止まるため、自己増殖はまず無理である(注2)。

企画文書の趣旨
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企画書の書き方(フォーマット一覧編)
企画書の書き方(みんなよう聞け編)

 とはいえ、一般企業でもよく使われるこの方法は、万事うまく進むとは限らない。すぐ分かることだが、この方法は会社のシステムをSF大会実行委員会でエミュレーションしているのである。内部の運営は、会社方式になる。すると面白いことに、スタッフ自身がサラリーマンのシミュラクラと化 してしまう。たとえば、上記の「みんなよう聞け編」(体裁だけを取り繕うスタッフの状況)を参照。人間は環境(物理的状況)適応型なのであって、目的(理想、抽象的な目標)適合型ではない 。

企画の推進状況(企画番号別、3月ごろ)
企画の推進状況(会場別、5月ごろ)
企画の例(25周年リレーパネル、その1)
企画の例(25周年リレーパネル、その2)
手塚治虫さんからの回答用紙は、なぜか本人による手書きになっていた(本来は印刷したもの)。

  さらに、各種マニュアルも準備された(下記にその一部を示す)。このような資料が当日にかけて何種類も作られた。CUE SHEETは舞台台本のプレ資料(左)。ラフな進行を記載したもの。そのまま舞台台本のベースとなる。これの書き方の資料もあった。

 もう1つは招待者向け接客マニュアル(右)。要領を得ないスタッフの態度に怒るゲスト(逆に横柄なゲストも多いが、招待した以上文句はいえない)は多い。どのような態度で接するか、どこに案内するかを詳細に記載したマニュアルが必要だ。SF大会では、スタッフが(来場者に)特権意識を持つという、不思議な現象が生じる。そのようなスタッフは、平気で命令口調の指示を出したり、人の流れを妨げて反感を買う。特に当日のスタッフには必ずそのような人物が混じる。1人でもいると、大会の大きなイメージダウンにつながる。とはいえ、これは単なる勘違いなので、マニュアルにその旨を記載しておけばよい。「自覚」を促すよりも、多数のスタッフのレベルをマニュアルで平準化する方がずっと簡単だからである。

 

企画キューシート(左)と、接客マニュアル(右、御招待客接客要領)

ご招待客接客要領

 

当日の進行全般をまとめた資料(右)と 、受付方法を詳細に記した資料(左)

当日基本マニュアル
インフォメーション(案内ブース)マニュアル (その1)
インフォメーション(案内ブース)マニュアル (その2)
当日企画進行マニュアル(一部分)

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bullet 注1:当時、堺三保らがいた関西大学SF研究会の「関大CON」。スタッフから計画性のなさを説教されたのだが、実行委員会で厭な思いをしたと吹聴され、困ったことがある。小ホールに移された企画自体は好評だった。
bullet 注2:そもそもこのような経緯をたどったのも、本来企画の中心で働くはずだった小浜徹也が、東京創元社に突如就職したことによる。彼は長年単位も取らずに大学でファン活動を続けていたが、大森望の推薦を受けて大学を中退、編集者を急募していた創元推理文庫SF部門担当として上京してしまった。もちろん、東京スタッフとして、主にゲスト関係の仕事を支援してもらったが。
当時の状況を伝える文書(この文書を見るためにはAcrobat Readerのインストールが必要です)
 

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