装画:真鍋博,装幀:多田進

1992年正月
 また、一年が過ぎた。
 子供の写真入り年賀状がふえた。なかには、毎年夫婦写真入りというのもあるが(巽夫妻)、これはめずらしい。

1月初旬
 中島らも『人体模型の夜』(集英社)を読む。「世にも奇妙な物語」(TV)も、これぐらいのレベルがあればよいのですが。
 野阿梓『バベルの薫』(早川書房)を読む。来年のSF大賞は、これか水鏡子かという力作。ではあるが、やっぱり授賞はできまい。あいかわらず議論の多いこと。売れそうにない書きようだ。

1月15日
 南山鳥27さんから電話。「風の翼」を3ヵ月に1回出すから、何か書けという。
 「風の翼」は業務用ワープロ(写植機接続)の校正出力(印字はレーザプリンタ)で作っているとか、巽孝之は「風の翼」同人なんて実は一人もおらず、お前一人で作っているのだろうといっているとか、野阿梓が大森望は懲戒免職されたといっているとか話す。訳のわからん(分かりすぎる?)人脈だ。うーむ、取り憑かれてしまった。この不幸は、ほかの誰かにも分け与えねばならぬ。
 そう、「風の翼」(反乱派)は、代表の中相作がやめて独立するらしい。

1月16日
 雑誌を読んでいると、東大の研究室で作ったVR(仮想現実)の記事を見かける。光の速度を、秒速30メートルにした別世界が見えるのだという。なーるほど、『レッドシフト……』は、そういう見方ができるのだ。橋元淳一郎のように、光の速度が変れば物理法則が全部変ってしまうじゃないか、と文句をいわなくても別にいいのである。
 VRは、現実をシミュレートしていると錯覚する人もいるが、あれが現出するのはやはりこの世にない世界である。たとえば、コンピュータネットワークを三次元に表示して、その中に入っていくという応用は、既に実用化が考えられていて、開発者はニューロマンサー≠目指していると発言している。そんなものを目指して欲しくはないがね。

2月から3月

高橋源一郎『文学がこんなにわかっていいかしら』(福武文庫)、水鏡子の影響を受けたわけでもないし、いまさら感想を書いてもしょうがない。

J・ブリッグス+F・D・ピート『鏡の伝説』(ダイヤモンド社)
 著者は『カオス』(新潮社)を出している。本書はその2年後に書かれたもの。カオス、奇妙なアトラクター、散逸構造、フラクタル(マンデルブロー)、ソリトン、ガイア理論等などを一貫して解説している。一貫して≠ェユニーク。これを読めば、クラークもシャイナーも、シム・アースも一貫してわかります。

スコット・イーリィ『スターライト』(福武書店)
 不吉な未来が見える暗視鏡のお話。全体を覆う、得体の知れない未知の領域と、得体の知れない事件  考えてみれば、アメリカ人にとってのアジア亜熱帯というのは、まさしくSFの世界だったわけだ。日本人の(太平洋戦争での)ビルマやニューギニアは、多分そうではなかったはずだが。

リチャード・コールダー『蠱惑(アルーア)』(トレヴィル)
 妙に古色蒼然とした書き方。人形奇譚とナノテクマシンの融合というよりも、ヴィクトリア朝時代の倒錯小説としか読めない。評価が難しいところだ。

ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』(東京創元社)
 古典的な旧ソ連の宇宙物、「宇宙の漂泊者」(コルパコフ)を想い起こす。国際チームが乗組む恒星探査船、古いSF映画によくありましたね。最近の『クライシス2050』もそう。そういう意味では、恐ろしく古いともいえるし、不変的テーマともいえる。科学的正確さとは無縁のもので、金子隆一の解説は(当人も承知しているけれど)一面的である。これは、40年代SFが科学的に古臭いとか、70年代SFの同時代性が失われている、というときと微妙に違っている。やっぱりSFには変らないものがあるのではないか、と思わせるところがミソ。

朝ガス騒動の顛末
 PC-VANのなかでは、3月にはいってから急速に鎮静化。朝ガスの終了と共に消え去る模様。2月から3月にかけてのログは300キロ(バイト)程度になる。希望者には差し上げますが、ホソキンさんのものを含めて、改めて読むに値するものは少ない。

沢村凛『リフレイン』(新潮社)
 パソ通でも、大いに感動した、と全く失望した、の二つの見解が代表的みたい。受賞時最大の争点は、その設定の人工性で、読者の反感の主因でもある。なかなかの力作ではある。問題があるとするなら、結末がきれいごとにすぎる点。作者が登場人物に同情してはいけない。

筒井康隆『文学部唯野教授の女性問答』(中央公論社)
 妙に生まじめ。

スティーヴン・ホーキング『時間順序保護仮説』(NTT出版)
 表題の論文は難しすぎて理解不能。解説を読んでなんとか分かる程度。例えば「無限に長い宇宙紐を、光速で振動させればタイムマシンが作り出せる」というような思考実験に対する反論。本気で理解しようとするなら、方程式をいちいち解釈してやらないといけない。電車のなかではむり。菊池先生、解説してください。他は、エッセイのような内容でらく。

マイク・レズニック『アイヴォリー』(早川書房)
 新潮文庫の頃から、いまひとつ乗れない作家なのである。最近のアフリカ物で、その叙情性はようやく分かったのだが、数万年におよぶ画き割り≠ニいう感じの未来史が、気になってしょうがない。読んでいる間は面白いんだけどね。

J・G・バラード『クラッシュ』(ペヨトル工房)
 たしかに、鮮度を失ってはいないけれど、そういう意味では、60年代のバラードの作品のほうが価値を失っていないように思える。たしかに現代を描く作家なのだろう。ただ、本来あったはずの衝撃性が、もはや希薄である。翻訳はちょっと読みにくい。

青山南他『世界の文学のいま』(福武書店)
 去年の落ち穂ひろい。ほぼ十年間に渡って「海燕」に載った、80年代の英米仏露文学状況エッセイ集。ミニマリズムの盛衰など、英米の状況は、まあ既知のおさらい。ロシアでは、ソルジェニーツィンが、神聖にして犯すべからずという存在になっていて、文学的にたいしたことないとは、口が裂けても言えないらしい。文化大革命はどこででも起こるのである。

4月6日
 アシモフが死んだ(76歳)
 死ぬ人は死ぬ。

「風の翼(特別号)」
 野波恒夫の長中編(約400枚)のみが載っている。さすがに、それなりの水準で書かれている。ただ、これを新たな作品として読む価値があるか、新しさがあるのかが問題。棒にもかからぬ最低レベルを越え、プロに近い文章力をもつ(しかし、アマチュアの)作品を読むと、創作の難しさがあらためてわかって、ある意味でかなしい。

エリザベス・アン・スカボロー『治療者の戦争』(早川書房)
 現実体験を離れたファンタジィ部分に入ると、突然現実≠失ってしまう。ここに限れば、おそらく、著者の書くファンタジィと、同じレベルのものなのだろう。それだけ、ベトナム戦争というものは、ポストモダン≠ナあったということか。

眉村卓『怪しい人々』(新潮社)
 眉村流スタイルが、典型的にあらわれた作品集。好みにもよるだろう。

4月18日
 ソニーのDD−DR1が異常に遅い事がわかって、購入を躊躇する今日このごろである。クイックビュアーでも遅い!

花輪莞爾『悪夢小劇場』(新潮社)
 因縁話風、著者は56歳でそんなに古い人でもないのに、いささか古めかしい印象が残る。幻想より、一歩現実に近い悪夢というところ。
 カズオ・イシグロ『浮き世の画家』(中央公論社)
 戦時中に、国策戦争賛美の絵を書いたことを、潜在意識下で悔やむ老画家。
 小津安次郎(えらそうに書くほど見ていない)風の、スチャリトクル世界。イシグロは、伝統の喪失に翻弄される、イギリス人老執事の心像を描いた作品も出しているが、たぶんそちらのほうが違和感が少ないだろう。違和感を差し引くと、本書もまた時代遅れの悲哀という意味で、同テーマになる。

4月26日
 ザッタによると、水鏡子先生は新聞連載(週刊読書人)などを始めている。例会では一言もしゃべらずで、これも水鏡子流の自意識過剰なのであろうか。
 ロバート・ホールドストック『ミサゴの森』(角川書店)
 オークを樫と訳すのは誤りで楢が正しいという。ほんとかね。たいていの本では樫と訳されるが、常緑樹(樫)と落葉樹(楢)の違いがある。同じものではない。地味な話で、クライマックスも少ないが、ホールドストックとしては傑作の部類に入る。

SFセミナー(5月2、3日)

bullet細美遥子は妊娠三箇月であるという。生活の自戒を促したい。伊藤比呂美の育児書を推薦する。
bulletそーいえば、三村美衣は妊娠五箇月の体形と化している。いやいや、山岸真は妊娠六箇月の体格をしているし、牧眞司は妊娠九箇月の体格に戻っている。何もかわらないようでいて、月日は流れ人は太る。世の無常を嘆くべし。
bullet水玉螢之丞をみかける。思ったより小柄。
bullet公手成幸夫妻と初めて会う。同志社卒の43歳。大学生の子供がいるようには、確かに見えない。
bulletセミナーだというのに、佐脇夫妻に付き合ってロシア料理、朝鮮料理、台湾料理(横浜まで行った)を食べる。なーるほど、これでは年収一千万を食ってしまうのも無理はない。生活の自戒を促したい。
bulletえー、セミナーでは佐藤亜紀と原岳人をみる。倉持はもっとしっかり司会をせんか、という声あり。
bullet橋元淳一郎は妙に悲観的な見解を述べていた。小松左京先生は、あいかわらずの講演だが、未来への希望=SFの使命とする見解は、かえって今重要なのかも知れない。時代の激変期に傍観者をしていると、SF自体が滅びてしまう。さすがに、25年以上つきあうと、滅びていいやとは言いにくい。

バリントン・ベイリー『スター・ウィルス』(東京創元社)
 ベイリーに野田風翻訳は無理があるとも思えますが、考えてみれば、日本での読まれ方はそんな感じなのでしょう。

古本のこと
 セミナーでは牧眞司先生の古本極道講演があった。水鏡子先生は、毎週読みもしない古本を大量に買う。こーいったアブノーマルな方々には及びもつかないけれど、最近買った古本のことを書いてみよう。
 奈良市内の古本屋は少ない。あっても品揃えはでたらめで、半分はコミック。ただ、中には変わった本もでるのである(ただし、古書レベルでの珍本はない)。近所に大学があるから、専門外の専門書(?)を、教授あたりが放出しているようだ。
 ホイル+ナーリカー『宇宙物理学の最前線』(みすず書房)、定価8755円のところ5000円。定常宇宙論の権威ホイル先生が、自説をとうとうと述べる天下の奇書、というわけではなくて、まともな天文学の概説書。立派な本。さすがに定常宇宙論についても触れているが。
 ドーキンス『利己的な遺伝子』(紀伊国屋書店)、定価2800円のところ1500円。ドーキンス先生の生物=生存機械論の改訂新版、例のミームの話です。
 ポラッシュ『サイバネティック・フィクション』(ペヨトル工房)、定価3090円のところ2200円。サイバネティクスは、文学にいかなる影響を与えたのか。ルーセル、バーセルミからヴォネガット、バロウズ、ピンチョンまで。
 ゲノン『世界の王』(平河出版)、定価2369円のところ1500円。アガルタ、カバラ、聖盃伝説に共通する謎に迫る!
 トラクテンバーグ『ブルックリン橋』(研究社)、定価2000円のところ350円、小説と間違えている値付けだが、アメリカ研究書の古典。
 アシモフ多数、クラークもある。『ファウンデーションの彼方へ』、『―と地球』、『―への序曲』、『ロボットと帝国』(早川書房)、定価8300円のところ1400円、小説は6〜7割引きで比較的安い(美本)。その他、ホフスタッター『マインズ・アイ』(TBSブリタニカ)、定価5000円のところ850円。

ニール・ジョーダン『獣の夢』(福武書店)
 終末的な退廃世界で、獣に変容していく男の悲しくも美しい物語。冷たい、と帯にあるけれど、そうではなくて、これは現実に疎外されていく主人公の、願望充足小説と考えるべきだろう。この美学は、ある意味で、クロウリーの『エンジンサマー』と似ている(か?)。

酒見賢一『墨攻』(新潮社)
 読み忘れていた本。酒見は歴史上の王候や思想家を、ハードボイルドのように描く。たいていの主人公はタフガイである。そうでない現代小説の場合は、読んでいて、どうも会話が気恥ずかしい。この落差は、作者のテレなのか。感情を描くのが苦手なのかもしれない。

ASAHIパソコン(6月1日号)
 『朝のガスパール』の総括が載っている。当然肯定的な総括でしかないのだが、書き込んだ人の総数279人というのは、多いのか少ないのか(これには、当然ROMは含まれない)。ただ、このために、パソコンネットに加入した新会員1000人というのは多い。会員数の20%(当時)に達する。

5月末 
ジャネット・ウィンターソン『さくらんぼの性は』(白水社)
 時間には方向はない……結末に至って本来のテーマがあらわになる。

滅びゆく神戸大学SF研究会
 川上君からのメールによると、今年SF研究会は人員3名にまで縮退し壊滅寸前であるという。大学祭(六月)での部員公募のために、OBから原稿を集めて、会誌発行をめざしているらしいけど、今日が締め切りというのでは哀しい(5月23日)。しかも、送付先の(自宅)住所が、間違っていて、原稿が届かなかったというのだから、ますます哀しい。
 しかし不思議ですね、川上君がメールを出したのは5月10日、当家には15日のログが残っているのに、そこには[到着]の記録がなく、今ごろ届いた。なぜ?

『幻視の文学1985』(幻想文学出版局)
 を今ごろ読む。季刊幻想文学新人賞の受賞作が載っているけれど、「毛のふさふさした…」(青山隆二)が、ディックのほぼ完璧な盗作。当時は有名な事件だったが、寡聞にしてどういう顛末になったのかは聞いていない。さすがディック、しょうもないアイデアストーリでも、中井英夫、澁澤龍彦(当時)の目にとまって入選ぐらいはできる! その他、この賞では「風の翼」(反乱派)の主催者宇井亜奇夫も受賞している。

宇井亜奇夫といえば
 いつももらう「風のたより」(発行部数一けたの会誌)が面白い。公衆トイレで頭をあらっている男を、南山鳥27と間違えてひざげりを喰らわそうとしたという実話(?)が、今昔物語の「冷泉院水精成人形被補物語」と実は同じだったという恐るべき展開。

『電脳筒井線 パート2』(朝日新聞社)
 パソコン通信で見る文章というのは、通常の文書と違って、活字ではないのである。横書きで、低品位(16ドット)の上、どんどんながれていく読み捨て文書という性格のため、たいていの人は責任ある文章とは思っていない。ということで、ホソキンさん問題が生じるのだが、同じ内容を写植で読むとやや雰囲気も変わる。今回は、パート1から、さらに一箇月分。ただし、もっとも面白いはずのパート3は、掲載拒否者多数のため、従来の形態では出ない模様。

オクテイヴィア・バトラー『キンドレッド』(山口書店)
 黒人で女性の作家が、奴隷開放前のアメリカにタイムスリップする。テーマも、設定もそのものであり、アジることもできるはずだが、全体に抑制がきいている。祖先である白人との屈折した関係などが描かれ、ファンタジイ作家バトラーの、意外な一面を感じる。

広瀬隆『クラウゼヴィッツの暗号文(改訂新版)』(新潮社)
 広瀬隆の文章は、強引で装飾過剰なところがよしあし。第2次大戦後戦争に直接加担しなかった国は、世界で8つしかない。そうかもしれない。

高田正純『ラップトップかかえて世界一周』(早川書房)
 昨年早川から出た本。ラップトップを二台かかえて世界一周するという、文字通りの内容。著者の高田正純には、共感できる点も多いのでグローバル・ビレッジはたいてい読んでいる。もう49歳の中年おじさんだけれど、ハードやソフトに偏重せず、ジャーナリスティックなハイテクに対する見方はけっこう正しい。

佐脇夫妻(佐脇洋平+細美遙子)
 は6月末から2週間、菊池夫妻(ドイツ駐留)をガイドにドイツ旅行をする。ハーツのレンタカーでアウトバーンをガンガンとばすらしいが、いわゆる奇跡の生還(パート2)とネオ・ナチのテロ(かねてよりの持論)には気をつけるように。生存の有無は、この記事が載るころに明らかになる。

ルディ・ラッカー『ホワイトライト』(早川書房)
 観念小説のようで、そうでもない。解説を除くと、これほど分かりやすい話はない。

神林長平『猶予の月』(早川書房)
 これはもう、なかなかの観念小説。究極の神林小説で、読み出した当初は、このまま1500枚も続くのかと恐怖した。途中からさすがにトーンダウンしたが。

巽孝之『現代SFのレトリック』(岩波書店)
 巽先生の文章は、やはりまとまった一冊で読むのがよい。分かりやすいし、読みやすくもある。文庫解説なんかには向かないだろう。さまざまなところに書かれた(いわば)雑文の集合なのだが、そうは感じさせない。

ルディ・ラッカー『セックス・スフィア』(早川書房)
 が売れている。セックスとつくと中高生がよく買うのだそうだ。ポルノは買いにくい、でも読みたい、という層のすきま商品ということか。

ジョン・ソール『風が吹くとき』(東京創元社)
 はまだ読んでいません。

大原まり子『エイリアン刑事』(朝日ソノラマ)
 をいまごろ読む。三〇過ぎてから鬼気迫る作家というと、やはり新井素子に大原まり子である。ほとんど狂気≠フ世界を描いている点が共通している。本書も、「孤独感と愛に満ちたブレードランナー」とでもいうような内容。

なぜか今ごろ大会(HAMACON)の招待を受ける
 なぜかなと思ってプログレスを読むと、招待ゲスト500(げ!)名とある。ただ考えてみれば、宿泊費はゲスト持ちなのだ。大会のふところは痛まない。リゾート大会時代からこう変った。DAICON5の頃は、宿泊費も大会が負担して苦しんだもんだ。いったい一般参加者は何人くるのだろう。企画に関係ないゲストがあふれたのでは、困るのではないか(こういうのを、生ゴミゲストという)。まあしかし、せっかくのお申し出、ありがたく参加させていただきましょう。

ライバー
 が結婚した。八拾壱歳。結婚なんていつでもできる。

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