98/08/02
村上栄次編『瞳の中のアリアドネ』(星群の会) 長い歴史を誇る京都の星群の会が出しているオリジナル・アンソロジイ。毎年おおよそ1回刊行され今年で18冊目になる。井上祐美子や水野良らを産んだという意味で歴史的なグループである。とはいえ、最近の活動にはあまり目立ったものは見られない。外部に出てくるもの自体は、本書のようなアンソロジイのほかに会誌もあるのだが。さて、本書には5つの短編が収められており、中では標題作がやはり最上だろう。東京と異世界とが繋がり、その交流の中で生まれた超能力者の少女が、壊滅した異世界を訪れる…、しかし、この設定ではちょっと短すぎる。オリジナル・アンソロジイとしての編者の個性が見えないのも、残念な点である。 |
堀晃主宰『ソリトン7号、8号』(SOLITON) こちらは、ASAHIネットの筒井康隆主宰フォーラムからはじまり、かつてのネオ・ヌルのスタイルを踏襲した投稿型の同人誌である。期間限定(今回の8号で終了)、主宰者が作品の採択を判断するところまで同じ。ASAHIネットのパスカル文学新人賞などは、驚くべき水準の内容だったので、本書も近年希に見る水準であるには違いない。ネットワーク(ディスプレイ表示文化)から活字(印刷文化)という逆の流れながら、自己満足が主体のカラオケ化したホームページより、活字の厳しさの方が本質、とする主宰者の意見は否定できない。本欄も、であるが、そもそもHPで長文を読む人はいない。従って、内容も簡略化、浅薄化されてしまうのである。同人誌で得られる反響と、HPの刹那的な反響も違いが大きい。 中では、「タイムトンネル掘り」「未来花」など、SFに印象が残る。「羽衣」はこの言葉のテンション持続に驚く。 |
98/08/08
『ホラーウェイヴ01』(ぶんか社) GODZILLAを契機に、怪獣特集を組む雑誌は多い。本誌は、初のホラー小説専門誌。といっても、雑誌形式の単行本である。編集長東雅夫が、そもそも「幻想文学」を主宰する才人であることから、用途特化された本誌にも期待が集まる。冒頭の菊地秀行同人誌風特集は、軽いノリで面白い。とはいえ、ぶんか社のPR誌的な一面が目立ちすぎるのはどうか。長編の一部分だけを載せる(連載ではなくあくまでも冒頭部の部分掲載)というのもちょっと。 |
『SFマガジン9月号』(早川書房) さて、こちらは老舗SFマガジンの怪獣特集号。例によって、SF関係者は理屈っぽく、上記のホラーウェイヴに比べればなんともひねくれた内容(エッセイ、座談会)となっている。「怪獣映画は非科学的、非論理的であり、SFではない。SF小説にも怪獣小説はない」という主張も見え隠れる。人によっては、これこそが“正しい態度”であるが、SFを衰退させたのは、結局この狭量さ故である。しかし、SF関係者の原体験が怪獣映画であることは間違いがない。小説自体は、SFファン(?)のホラー系作家(朝松健、小林泰三、牧野修ら)の作品ながら、ホラーウェイヴのものより面白く読める。 |
98/08/12
貴志祐介『天使の囀り』(角川書店) ネタバレを防ぐために、参考文献も載せなかったという、ホラー大賞作家の最新作。とはいえ、実際のネタ自体は本書の半ばで明らかにされており、その謎解きだけが主眼ではない。この作者が『黒い家』等で見せた執拗な描写力は、本書のような、バイオホラー風の作品にも形を変えて活きている。瀬名秀明よりも的が絞られ、分かりやすく読めるとも言える。 アマゾンの奥地へと探検に向かった5人の男女が、帰国後異様な行動を見せた挙げ句、つぎつぎと自殺する。しかし、無関係に見えた死因には共通した特徴があった…。 前作が、関係筋より単なるサイコパス・サスペンスだとの謗りを受け、今回一転好評なのは、題材の奇想さによる。必ずしもユニークではないが、バイオでこのネタは新鮮かつ根源的グロテスクさがあり、人によっては嫌悪感も増すだろう。 |
98/08/23
ニーヴン&パーネル『神の目の凱歌』(東京創元社) 『神の目の小さな塵』から20年! とまあ、続編は書かれたわけで、それはそれで結構なことであった。前作は奇怪な異星人と、人類帝国のアナクロさが程よく交じり合い、独特の味があったので、今回も期待したが、考えてみると、ロシア聖教にくら替えしたソ連とか、人口爆発のあまり戦争を繰り返す異星人とかの設定自体、今の世の中と良く似てしまっていて、ニーヴン&パーネルが偉大だった、というより、時代が暴走して追い抜いてしまったと思われる。そのため、このお話も、モート人(異星人)の不気味さが消え去り、単純な権謀術数と宇宙戦争アクションの小説に縮退してしまった。しかも、異星人のアナロジイが、アジア人やらアラブ人やらに見えやすくなった分、マイナスに感じられる。アメリカではこの方が分かりやすいのでしょうがね。 |
98/08/30
藤田雅矢『蚤のサーカス』(新潮社) 第7回ファンタジイ大賞優秀賞作家にして、京大SF研出身の唯一の作家(翻訳家や、評論家はおおぜいいますがね)が、『糞袋』(1995)以来の書き下ろしを発表しました。本書は、もう一つの70年代(というより、60年代後半)を描いた、ある種の『何かが道をやってくる』(ブラッドベリ)と読めます。とはいえ、それは結末のほんの一部分で、大半は著者の昆虫(採集)や、自然に対する考え方の蘊蓄が占めています。ある意味で、人間こそ自然と謳った『糞袋』と同様のテーマといえるのではないのでしょうか。 しかし、本書の60年代後半描写には、ほとんど50年代に近いものがあり、もう少しその理由が読みたかったような気がします。 |