グレッグ・イーガン『順列都市』(早川書房) まあなんというか、近年まれに見る注目作であることは間違いがない。 かつてベイリーが登場したときは、基本的に小説は破天荒だが、アイデアもまた破天荒ということで、それなりのバランスが取れていたように思える。イーガンにも同様の傾向を感じる。しかしながら、本書のアイデアの破天荒さは、思弁的な背景を持つものであり、単に“バカSF”“奇想SF”と言い切れない特異さがある。 脳をスキャンして作られた人間の<コピー>、仮想環境「オートヴァース」下でシミュレートされる生命――これらは全て架空のもの、あるいはプロセッサに寄生するプログラムやデータに過ぎない。だが、コピーやシミュレートされた生命自身が、無数の可能性の中で“実在”を確定できるとするなら…。本書は、ヴァーチャルなシミュレーションと現実との相似性を描いた凡百の作品の究極に位置する。もはや、既存の電脳空間SF全てを、凌駕してしまっているともいえる。 難点は、上記アイデアが羅列的、説明的に並べられている点。これは読みにくい。そのあたりの課題は、瀬名秀明氏もSFマガジンのレビュー(99年12月号)で指摘している通り。ただ、説明の過剰さは『ブレイン・ヴァレー』とも似通っている。後者のほうが、小説として多少は読みやすいがね。 |
藤崎慎吾『クリスタルサイレンス』(朝日ソノラマ) 本書は、ホラーでもミステリでもオカルトでもない、文字通りの“完全SF”または、“純粋SF”であるといえる。 主人公は女性で考古学者。そんな彼女のもとに、政府から奇妙な依頼が舞い込む。火星で発見された、古代生命の異物を調査してほしいというのだ。21世紀中庸、人類は人口増の続く地球を見切り、火星への植民を推進しているが、地球の政治情勢を反映した紛争が絶えない。そこに現れた古代の遺物は、政治的混乱と未知の物理的パワーを顕在化する…。 石の花クリスタルフラワー、ネット上に散在する“仮想”人格、人類ドームを襲う重力異常、重力波の奏でる音楽と、これらSFでしか描き得ないガジェット。その上登場人物は、SFでしかありえない設定で性格付けがなされている。最大の謎=異星人の遺跡も、SF流に明快に解決されている。故に、本書は“完全SF”小説なのである。文章も破綻なく、物語も破綻がない。既存の諸作との類似性も少ない。オリジナルである。処女作とは思えない出来。 あえて難点を挙げるならば、まさにこの完全性の打破なのであり、読み手を不安にさせる驚愕度の不足だろう。とはいえ、これら全てを処女作に求めるのは贅沢。 梅原克文以来、藤崎慎吾もまた『宇宙塵』誌出身者である。柴野流錬金術は健在。宇宙塵いまだ死せず。 |
岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』(角川書店) ホラー大賞受賞作を含む短編集。「ぼっけえ、きょうてえ」については、以前も書いた。今回は、書き下ろしの作品や「幻想文学56号」でのインタビュー記事も読めたので、あらためて触れてみたい。 表題作は、明治の時代に娼館で語られた、一人の女郎の奇怪な半生の物語。同様に、収められた他3作も、明治期でのコレラの流行、貧しい瀬戸内の漁村、小作の少女と牛等、“貧困”がテーマとなっている。妖怪ものではなく、貧乏が恐怖、といった感触であるが、実際この時代の貧しさは、われわれの日常の常識を超えた“ホラー”だったことも事実だろう。荒俣宏が「プロレタリア文学も、今読めばホラーだ」と言っているのと、まさに通底する。 そしてまた、作者はインタビューで、もう一つのポイントとして「被差別者」を挙げている。「ぼっけえ…」で地域が特定できるような書き方をしたのも、ある意味で確信犯だった可能性が高い。このことがどのような波紋を呼ぶのかは分からない。しかし、扱うからには中途半端な書き方は禁物と思われる。 |
恩田陸『象と耳鳴り』(祥伝社) 本書は、恩田陸のミステリ短編集。別の作品で出てくる関根兄弟の親父、関根多佳雄が主人公。ほとんど証拠にもならない手がかりを元にして、事件の真相を解き明かす。これ自体は、ミステリの普通のスタイルだろうから、さほど珍しさはないかもしれない。とはいえ、本書の場合、事件でもなく(事実ですらないことを)、全くの状況証拠から解明してしまう(でっちあげてしまう?)ので、なんともアクロバティックといえる。12編も入っているので、やや無理を感じるものもあるが、まあ、SFファン的理屈主義者でも概ね楽しむことができるだろう。 |
エレン・ダトロウ篇『魔猫』(早川書房) 猫を題材にした17編を収録する、書き下ろしオリジナル・アンソロジイ。SFでは猫は天才というパターンが多いが、ホラーなので基本的に猫は魔物というトーン。編者の意図も「暗くて独創的な」作品集である。本書に収められた猫たちは、神秘的+超自然的なものではなく、主人公の心境を投影+拡張するアンプのような存在である。ということからしても、過去の怪談の持つ陰鬱さとはまた違った、現代人の暗黒面を猫に象徴しているといえるだろう。作品の中では、猫を描くペンキ屋A・R・モーラン「天国の条件」、火事の現場に現れる黒と白の猫たち、スーザン・ウェイド「白のルークと黒のポーン」、いかにもキング的な殺戮猫「猫と殺し屋」、最後はタニス・リー「顔には花、足には刺」(この作品だけリー独特の寓話風世界で書かれている)が、印象に残る。 |