99/05/09

村上春樹『スプートニクの恋人』(講談社)
 過去何度か、レビューでも村上春樹を取りあげた。ただし、それは『羊をめぐる冒険』など、一連の羊男の作品群であり、『ノルウェイの森』に代表される一連の恋愛小説は、範囲外としてきた(ファンタジイ臭が少ない)。これは、しかし村上春樹の恋愛小説。
 主人公は小学校の教師、すみれという変わった女性に惹かれている。すみれは親しい友人だったが、彼に性的な関心を示さない。すみれは年上の女性ミュウに激しい恋愛感情を抱いている。ミュウは、過去の体験から、一切の性的な関係を持てない。そしてまた、主人公は、教え子の母親と性的関係にある。殺伐とした“関係”でありながら、これらはどろどろとした印象を与えない。村上春樹流の乾いた描かれ方をする。『ねじまき鳥クロニクル』と同じように、恋人であるはずのすみれは、彼の前から失踪する。しかし、恋愛小説であるが故に、最後に“救済”が置かれている。ファンタジイという意味では、本書もそれらしくはない。現実的な不倫と、奇妙な男女関係、性的体験との対称が、本書のweird love story(ありそうにない恋愛物語)という言葉の意味でもある。
装幀:坂川事務所 装画:EMI

99/05/15

装幀:ミルキィ・イソベ 南條竹則『セレス』(講談社)
 
仙境を舞台にした小説は、昔の『孫悟空』(東映動画とか、手塚アニメとか)を連想してしまうせいか、あまり具体的な描写がなくても共通した絵を思い浮かべることができる。南條竹則の作品の場合も、多くは、そのような水墨画的茫洋さを感じさせるものだ。『セレス』は、しかし、その舞台が電脳の中(サイバースペース)であるが故に、逆にリアリティを持って仙境が描けている。
 中国の天才技術者が開発した仮想現実空間「セレス」、そこには古代中国の都市が再現されている。しかも、仙境を想定した巨大な仮想空間「大セレス」までが作られていた。主人公は、そこで絶世の美女と出会い、恋に墜ちる――この後、物語は『封神演義』の仙術合戦へと展開するのだが、ファンタジイと電脳空間を無理なく結びつけた秀作に仕上がっている。仙術もプログラムなら何でもあり、お話も分かり易く、すいすい読める点がよい。
貴志祐介『クリムゾンの迷宮』(角川書店)
  『天使の囀り』以来の書き下ろし。前作とはがらり変わって、チェス小説風。主人公が目覚めると、そこは見知らぬ荒野で、赤い岩山が続いている。手元にはメッセージを伝えるハンディ・ゲーム機、そして、プレーヤである男女9名が集められていた。ゲーム機の指令を頼りに、殺し合いもが許されるサバイバル・ゲームが始まる。
 ということで、今回は、そのゲームという点が最大のテーマであり、目的や黒幕(何者が何のために仕組んだのか)といった謎解きはほとんどされない。逆に、『プリズナー』ほど設定が謎めいておらず(不条理度が低い)、一応の答えが置かれているために、やや中途半端な読後感が残る。
カバーイラスト:藤田新策

99/05/23

カバーイラスト:畑農照雄,装幀:小倉敏夫 清水義範『三億の郷愁』(朝日ソノラマ)
 
清水義範の再録コレクション。といっても、内容は文庫オリジナルであり、テーマを「時間SF」に絞ったもの。収録作の発表時期では、85年から96年まで10年の幅があるが、読む上での違和感はあまりない。表題作が「三億円事件」の1968年への回帰(タイム・スリップ)、さらに71年、64年、72年と、物語の回帰する時代は60年代後半から70年代前半に集中する(作者の青春時代)。人生をやり直すという意味で、お話のトーンはほぼ同様だ。ちょっと「郷愁」が強すぎるかも知れない。中では、「21人いる!」あたりがもっとも理屈っぽく、時間SF的な話といえる。
井上雅彦『時間怪談』(廣済堂)
 時間SFではなく、時間ホラーである、という編者の主張のもとに編まれたアンソロジイ。過去の事故の現場、凄惨な殺人の現場、あるいは因縁を中心とした繰り返し(時間のループ)――と、これは確かにホラーの要素がある。時間SFは、どうしてもその時間のありように対する、何らかの説明が求められる。ホラーの場合、それはない。本書は、そういう意味で、時間についての怪談というより、技法の一部に時間の混乱を用いた怪談なのである。手段であって、目的ではない。そのためか、技法が似通っている分、全体の印象が薄れるようだ。とはいえ、中では、牧野修「おもいで女」、中井紀夫「歓楽街」が新趣向。
カバーデザイン:木村美奈子

99/05/30

装幀:ハヤカワ・デザイン,装画:長谷川正治 神林長平『グッドラック 戦闘妖精・雪風』(早川書房)
 
前作から15年(物語の設定などは、リンク先のレビューをご参照ください)。前作の終わりを受けての続編という形で、本書は書かれている。ちょうどSFセミナー99で著者へのインタビューが持たれ、SFマガジン7月号にもキャンペーン記事が書かれている。
 前作は、「機械と人間」という意味で、神林SFの集大成的な作品といえた。ジャムという未知なる敵との戦いで、主体は機械であり、人の存在は意味を失っていた。本書でジャムは人に興味を示し、接触を試みようとする。ジャムもまた謎の存在から、一歩正体を垣間見せてくる。しかし、人を超越し得た機械にとっても、矛盾に満ちた人の社会は、やはり不可解なままである。
 本書では、いくつかの新規の要素が取り入れられている。たとえば、機械が複製したコピー人間のエピソードはホラー風といえるし、FAF内部での抗争のように人間的なパワーゲーム風の展開もある。そういう意味では、この新作は従来の枠組みで神林長平を読んできた捉え方の枠にははまらない。また、この枠組みはまだ未完成であり、次作以降を経なければ完成しないものと考えられる。

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