徳間書店から出た新しい文庫のレーベル「徳間デュアル文庫」に、日本SF新人賞作家3人が入っている。今回は新顔(佳作入選)の2作を読んでみた。 青木和『イミューン』(徳間書店) いじめを嫌って郊外の進学校に進んだ主人公は、1学年上の友(フユルギ)を得る。彼もまた事件を起こしたはみだし者だった。やがて2人は奇妙なパワーを持つ仲間たちと知り合い、自分たちも力に目覚めるが…。 人間社会を汚染する謎の「敵」と、それに対抗する「リジェネレーター」が組織した超能力青少年――で始まる物語は、意外にも敵との戦いではなく、自身のパワーの秘密を探るミステリ風に展開する。主人公は、フユルギとの葛藤に翻弄される。 さて、一般では、“古代から続く巨大な悪と対抗する謎のグループ”に焦点が移らず、青春ドラマに終始した点を問題視する見方が多い。しかし、設定自体は極めてありがちなもので、これを書くことで独自性が増すとは思えない。キャラクターが際立つフユルギとの友情ドラマあるからこそのSF新人賞だろう。ただ、それにしては400ページ700枚は、ヤングアダルトならば2冊分に相当する。もっと簡潔にまとまるお話だと思われる。 杉本蓮『KI.DO.U』(徳間書店) 父と幼くして別れた娘が、ある日死んだはずの父親からメールを受信する。さらに、彼女はヒューマン型コンピュータ「アマネ」を受け取る。 と、この後は、謎の私設軍隊と国防軍、戦闘用サーバント、謎の調査員(美形)が入り乱れてのスラップスティック風に展開する(といってもコメディではない)。アマネは、ルパン3世そっくりな喋りの美形。 正直なところ、本書で登場する人々は、セリフから行動に至るまでほとんどデタラメに近い。にもかかわらず、一貫したドライブ(父親やアマネに対する強迫観念に近い思慕)に突き動かされて、物語を完結させている。という意味では、お話を超絶したところに魅力がある。小谷真理と大原まり子が対談(チャット?)で述べているように、やおい的な倒錯により、すべてを説明することもできるだろう。 この文庫の“デュアル”は、活字とビジュアルの融合を意味しているという。もちろんそれ以外に、一般文庫読者とヤングアダルト読者の融合をも狙っている。新たなSF専門誌「SF JAPAN」(季刊?)の編集方針には、かつての「獅子王」(朝日ソノラマ)風の雰囲気が感じられたりする。とはいえ、このシリーズ自体は、中規模以上の書店ならば、ヤングアダルトに分類され、一般文庫棚には置かれない。一般は捨て、高齢化してきた(注)ヤングアダルト読者を獲得する目的がある。ハルキ文庫などとは明確に路線が違う。ただし、新人賞受賞作『M.G.H.』は、一般向けの体裁だったから、まだ徳間書店内でも、この賞の位置付けが十分できていないのかもしれない。 (注)かつてSFで新人デビューするなら35歳までと言われていた。最近は、ヤングアダルトであっても、この基準はもはや意味を持たない。佳作の2人は共に30代後半。 |
今週は、徳間とはやや路線の異なる(といっても、本そのものの外観はそっくり)ハルキ文庫のSF書下ろしから2冊を読んでみた。 林譲治『侵略者の平和(第一部)』(角川春樹事務所) シミュレーションノベルの出身者で、谷甲州ファンのマニアックなライターにして、宇宙小説作家でもある著者の、さまざまな趣向を凝集したシリーズ第1作が本書。 「那國」文明圏から50光年、そこに無人探査機が発見した文明世界エキドナがあった。大船団を派遣した那國の調査隊の前に、不可思議な遺跡が見つかる。一方、エキドナには、異星人到来を予知する者たちがいた…。 作者の経歴を見て推測できるように、ハードSF的なガジェットを鏤めた兵器(ただし、あくまでも我々が納得できるテクノロジーの延長線上にある)が登場する一方、権謀術数とユーモアが混ざり合う、和風スペースオペラの雰囲気も出ており、悪くない後味を残す。もっとも、本書はプロローグで終っている。本来、もう少しまとまったところで読みたい内容。 高瀬彼方『カラミティナイト』(角川春樹事務所) 著者には、講談社ノベルズに5冊の著作がある。何れも宇宙物やシミュレーション風の戦国時代小説(『天魔の羅刹兵』)だったはずで、本書のような学園物は初。 中学時代にいじめから不登校になった女子高生と、明るく大雑把な親友、何人も人が死んだといわれる謎の少年、この3人の周辺で起こる事件は、しかし、女子高生が書き溜めていたファンタジイ小説と深く関連しあっていた。 力を持ちながら悩みぬく主人公、というのは、昨今の流行なのか結構目に付く(上の『イミューン』もそう)。本書の場合、主人公がSF・ファンタジイファンで、HPに小説を載せているとか、周囲の人物の個性にメリハリを利かせたりとかで、印象の暗さや重複感(登場人物が皆同じに見える現象)を押さえ、お話作りに成功している。オヤジ世代でも問題なし。とはいえ、ここまで書いて続編に続くというのはよろしくないが。 |
名作シリーズのエピソードばかりを集めた書き下ろしアンソロジイというと、どこかキワモノめいて聞こえる。そもそも、このような試み自体、別に珍しくはない。日本でも、ファンタジィやミステリ分野で編まれたことがある。しかし、編者シルヴァーバーグは、「シリーズ」にいくつかの制限をつけて、中身の意義を高めようとする。たとえば、 (1)単に1つの物語を書き伸ばしただけのシリーズは含めない。 (2)シリーズの各編で、前作にない新たなる発展(新発見)がある。 (3)時々の流行(メディア)に左右されない確固とした世界を持っている。 などなど結構厳しい。今週は2分冊の1冊目。 ロバート・シルヴァーバーグ『遥かなる地平1』(早川書房) 巻頭を飾るのは、アーシュラ・K・ル・グィンのハイニッシュ・ユニヴァース。といっても、ル・ヴィンの場合、個々の作品をシリーズと認識する必要性がそもそもない。作品を読めば、独特の世界観に直ぐ立ち戻ることができるからだ。人種戦争に翻弄される辺境の惑星で、自身の立場に苦しむ大使館長官の物語。 ジョー・ホールドマンは『終わりなき戦い』の雰囲気をよく伝える中篇。『終わりなき平和』などよりは、ずっとホールドマンらしい。 オースン・スコット・カードの場合は、「エンダーシリーズ」中の軽い1エピソードといえる裏話風のお話になっている。 ブリンも、最近の大作を読み通すのは大変なので、手軽な本作は貴重である。 シルヴァーバーグ(ローマ帝国が2000年にわたり続く世界)とナンシー・クレス(遺伝子改変で眠りを知らない新人類と、旧人類が対立する世界)は、まだ邦訳がないシリーズだ。全貌は不明であるが、それほど難解な設定ではない。単独で十分読めるだろう。 総じて、『70-80年代主流SF傑作選』とでもいえる印象を受ける(シリーズの発表年は必ずしも、その年代ではないが)。 |
今週は、先週の続き。 ロバート・シルヴァーバーグ『遥かなる地平2』(早川書房) さて、2分冊目は、ダン・シモンズの「ハイペリオン」(SFのエッセンスを凝集した壮大なスペースオペラ)、フレデリック・ポールの「ゲイトウエイ」(見知らぬ世界に通じる異星人の宇宙船基地)、グレゴリイ・ベンフォードの「銀河の中心」(機械知性と人類との果てしなき戦い)、アン・マキャフリイの「歌う船」(少女の頭脳を持つサイボーグ宇宙船)、グレッグ・ベアの「道」(時空間を越える無限のトンネル)と、これらの大半は日本でも人気のシリーズばかりだ。 共通する特徴は、何れもが単独の中篇となっている点だろう。シリーズの設定を使いながらも、1エピソードではなく、完結した物語を構成している。同時に、シリーズの雰囲気―ハイペリオンの派手な舞台装置や、歌う船のクラシックなSF設定など―も失われてはいない。中では、ベアがホジスンの『ナイトランド』(注)を下敷きにするという新趣向を取り入れており、注目に値する。超科学の生み出した時空のトンネルと、出現したナイトランド(もともと終末期の地球を意味する)の組み合わせは、なかなか新鮮である。 1、2を通して、本書は単に各シリーズの紹介や入門を意図したものではなく、“本気”のオリジナルアンソロジイとして機能していることがわかる。
(注):ウィリアム・ホープ・ホジスン『ナイトランド』(荒俣宏訳、月刊ペン社:妖精文庫収録)は、設定の特異さで注目された作品。これは本書のベアを読めば凡そ想像できるものだ。『ナイトランド』自身は上下2巻にわたるものの、他のホジスンの作品と比べて冗長である。 |