2007/11/4

Amazon『プリズムの瞳』(東京創元社)

菅浩江『プリズムの瞳』(東京創元社)


装画:ヨシツギ、装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 本書は、東京創元社の雑誌「ミステリーズ!」に連載されていた(2003年創刊から4回、中断後05年6月から06年10月号まで隔号5回)連作短編9編を1冊にまとめたものである。専門分野に特化し、人間を凌駕する性能を有したプロフェッショナル・ロボット(ピイ)たちは、しかし社会には受け入れられず、今では画家として放浪するのみ。彷徨の中でさまざまな人間たちが、感情を持たない彼らを媒介として思いを吐露していく。

 レリクト・クリムゾン(2003年6月):公園で見かけたピイは、採取した微量の血液で絵を描くという。
 クラウディ・グレイ(2003年9月):農村で見かけたピイは、老人の独白を引き継ぎ繰り返す。
 ミッドナイト・ブルー(2003年12月):親水公園で見かけたピイは、少年たちの暴力を受け止める。
 シュガー・ピンク(2004年3月):河川敷で見かけたピイは、一人の少女と行動を共にしている。
 メモラブル・シルバー(2005年6月):老人ホームで見かけたピイは、所内の老人たちの話し相手になっている。
 ミラーリング・ブラック(2005年10月):プレイルームで見かけたピイは、客の虐待の対象になっている。
 エバー・グリーン(2006年2月):少年の頃に見かけたピイは、両親の寵愛を受けている。
 トワイライト・パープル(2006年6月):四阿で見かけたピイは、幼少の育て親を思い出させる。
 サティスファイド・クリア(2006年10月):再び老人ホームで、ピイを憎む男と少女が対決する。

 絵を描くロボットというと、アメリカのSF雑誌「F&SF」の表紙を飾ったメル・ハンターや、「ファンタスティック・ユニバース」誌のヴァージル・フィンレイを思い出す。彼らは、荒涼とした遺跡の中で、油彩らしき風景画を淡々と描いているのだが、そこに人の姿はない。人類は滅び去った後なのだ。本書ではその立場が逆転しており、滅びゆく人型ロボットに対する、愛憎を交えた人間たちの葛藤がテーマである。ある者はピイのおかげで人生/幸福を台無しにされたと怒り、ある者はその存在を生き甲斐に感じている。
 ポイントは、このロボットには知能/感情がないということだ。人間がピイから感じ取る苦悩は、ちょうどソラリスの海のように、全て自身の感情の反射/裏返しに過ぎないのである。9つのお話は独立している。ただし、伏線が最終話で収斂する構造を取っており、物語と物語の間に書き下ろされた語り手の正体は…という仕掛けも設けられている。

bullet 『おまかせハウスの人々』評者のレビュー
 

2007/11/11

Amazon『時砂の王』(早川書房)

小川一水『時砂の王』(早川書房)


Cover Design:ハヤカワ・デザイン、Cover Illustration:撫荒武吉

 一読、ジャック・ウィリアムスンの古典『航時軍団』(1952)を思い出した。本書の基本設定には、時間線が無数に分岐生成していくという最新宇宙論がある一方、人類の時間線を巡る2大勢力の激突という古典的なアイデアもないまぜとなっている。後者は『航時軍団』で初めて提示されたものだ。

 26世紀、人類は滅亡の危機に曝されていた。地球を始めとする内惑星群が、未知の自己増殖機械の襲撃により壊滅してしまったからだ。外惑星に逃れた残存勢力は、決死の反撃で拠点を奪回する。しかし、ようやく勝利が見えそうになった頃、恐るべき事実が判明する。敵は時を遡行し、祖先を抹殺しようとしている。人類は人工知性体による軍団を組織すると、過去の防衛に派遣した。目指すは10万年前の原始人類、そして3世紀、卑弥呼の生きる邪馬台国の日本。

 時間線が並行宇宙の数だけあるとすると、人類の勝利する/敗北する時間線は同じだけありそうだが、本書では人類の完全勝利か消滅かが争われる。加えて、巫女から女王へと立ち位置を変えていく卑弥呼と、軍神のような人工知性体を置き、お互いが魅かれ合うという、これも古典的なロマンス小説になっている。ということから、本書はSFが持っていた明快な対照関係(強大な人類の敵と少数の味方、苦悩するスーパーヒーローと成長する少女=ヒロイン)と、瑞々しさの再現を目指した作品といえるだろう。

bullet 『老ヴォールの惑星』評者のレビュー
 

2007/11/18

Amazon『チャパーエフと空虚』(群像社)

ヴィクトル・ペレーヴィン『チャパーエフと空虚』(群像社)
1996(三浦岳訳)

装丁:前橋隆道、カバー写真:山部宏延

 今年4月に出た本。著者は1962年生まれのロシア作家で、これまでに『虫の生活』(1993)、『恐怖の兜』(2005)など4冊の邦訳がある。出身はSFなので、ストルガツキーを思わせる迷宮的な小説が多い。
 
 革命期のロシア、かつての文学仲間と立場を入れ替えた青年ピョートルは、赤軍と白軍の内戦が続く戦場で英雄チャパーエフと出会う。一方、ピョートルは現代ロシアの精神病棟で奇妙な夢を見ている。そこはロシアに進出した日本企業のオフィスのようでもあり、地獄の黎明世界のようでもある。

 牢獄的/精神病棟的なイメージは、ソビエト崩壊(1991年)前も後もロシア作家の中心的なモチーフなのだろうか。ペレーヴィンは崩壊直前にデビューしているためか、本書でもそういった閉塞感を感じさせる展開となっている。とはいえ、チャパーエフは英雄ではあったが、末期のソビエトではジョークのネタだった。精神病者の見るファンタジーの世界も、陰鬱というよりどこかユーモラスである。SF界だけでなく、幅広く一般文学界で認められた(分かりやすい)軽妙さを併せ持っているのが特徴だろう。

bullet 沼野充義のよるメールインタビュー(2006年10月)
 

2007/11/25

Amazon『有頂天家族』(幻冬舎)

森見登美彦『有頂天家族』(幻冬舎)


イラストレーション:平田秀一、ブックデザイン:鈴木成一デザイン室

 9月に出た本。山本周五郎賞を受賞し、もはや国民作家となった森見登美彦ではあるが、本書の世界に揺るぎがあるわけではない。

 京都では、古来より狸と天狗たちが、人間と入り混じりながら生きていた。彼らは巧みに姿を変幻させるため、人と見分けがつかないのである。そんな狸一族の名門下鴨家は、総領の父親が狸鍋で食われてしまってから、どこか抜けたところのある4兄弟たちが助け合ってきた。彼らは叔父の率いる夷川家と狸界の覇権を賭けて対立しているのだが、何せ狸のことであるから、阿呆な事件が次から次へと巻き起こっていく。

 神通力を失い安下宿に逼塞した天狗、元は人間だが天狗の魔力を持つ妖艶な女性、年末に狸鍋を囲む怪しげな金曜倶楽部の面々。京都の街並みは変わらないけれど、前作までの京大生たちとちょっと違う魅力的なキャラクターが豊富に登場する。
 本書の中では「阿呆の血のしからしむるところ」というフレーズが各所に出てくる。ヴォネガットの有名なフレーズ「そういうものだ」は運命に逆らえない諦観から来るものだったが、根が陽気な狸たちは、何事も「阿呆なこと」として片付けてしまうのである。恐ろしい狸鍋でさえ、彼らにとっては阿呆な運命の一つに過ぎない。読んだだけで、これだけ愉快になれる作品は珍しい。

bullet 『夜は短し歩けよ乙女』評者のレビュー