2007/6/3

Amazon『擬態』(早川書房)

ジョー・ホールドマン『擬態 カムフラージュ』(早川書房)
Camouflage,2004 (金子司訳)

カバーイラスト:木嶋俊、カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン

 凡そ7年ぶりのジョー・ホールドマン新訳である。前作『終わりなき平和』(1997)は98年のヒューゴー賞ネビュラ賞キャンベル賞の三冠を得た。本書は2005年のネビュラ賞・ティプトリー賞のダブル受賞作である。28作の著作がある中で受賞作も多いのだが、その中でもベスト級が翻訳されてきた。

 太平洋の深海で未知の物体が発見される。それは地球上ではありえない密度を持っており、どのような手段でも傷つけることができない。一方その物体から遥か古代に海へと旅立ったエイリアンがいた。それは自身の姿を有機体や無機物まで自由に変移させることができる。やがて、人類の存在に気づいたそれは、一人の人間の姿を借りて社会の中に紛れ込み、20世紀の戦争を体験する。2019年、それと未知の物体は再び出会うことになる。
 
 本書は800枚程度しかなく、最近の大作主義とは一線を画している。変幻自在のエイリアンの立場から書かれており、別のエイリアンや科学者たちの描写もあるものの、登場人物自体そう多くはない。ここでホールドマンが描こうとした主体は、非人間が人間を知り次第に感情を身に付けていく過程だ。お話の最期では女性に成りきり、恋愛感情まで知ることになる。どのような期待をこめて読むべきか、ホールドマンに対する先入観もあって難しいが、実は25年前に書かれた『さらば ふるさとの星』(1981)でも本書と通底する内容が既にある。エイリアンが“大人”になっていく話と見るべきかもしれない。

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bullet 『終わりなき平和』評者のレビュー
bullet 『さらば ふるさとの星』評者のレビュー
 


2007/6/10

Amazon『Self-Reference ENGINE』(早川書房)

円城塔『Self-Reference ENGINE』(早川書房)


Cover Direction & Design:岩郷重力+Y.S

 いくらSFが一般化しているといっても、第104回文學界新人賞を受賞した作家の受賞第1作が、なぜ早川書房のJコレクションで出るのか。そのあたりの事情は、ネット上でも各種書かれているけれど、2005年9月から昨年初めにかけて書かれた本書は、締め切り時期の関係で小松左京賞に応募され最終候補となるも落選。下読みをした大森望の推薦でJコレクションに持ち込まれる。その出版にいたる合間に書かれた短編「オブ・ザ・ベースボール」は文學界新人賞を受賞する。ある種の偶然ともいえるが、ポテンシャルなしで受賞できるほど甘い賞でもないだろう。それくらい、著者円城塔の作風は文学とSFの境界にあるということなのだ。

 本書はプロローグとエピローグに挟まれた18の短編から構成されている。未来から撃たれた女の子、蔵の奥に潜むからくり箱、世界有数の数学者26人同時にが発見した2項定理、あらゆるものが複製される世界、究極の演算速度を得た巨大知性体、謎に満ちた鯰文書の消失、無限の過去改変が可能な世界での戦争、祖母の家に埋められた20体のフロイト、宇宙を正そうとする巨大知性体たちの戦争、巨大知性体を遥かにしのぐ超越知性体の出現、過去改変は妄想だと主張する精神医、誰にも解明できない謎の日本語、知性体を飛躍させるために考えられた喜劇知性体、知性体を崩壊させた理論の存在、祖父との時空的問答を楽しむ孫娘、巨大知性体が滅びた顛末、海辺に佇む金属体エコー、超越知性体を動かし巨大知性体を滅ぼした要因。
 
 さて、本書はSelf-Reference ENGINE(自己参照機械)=ある種の人工知能によって語られた物語ということになっている。フレデリック・ポール『マン・プラス』(1976)もそうだが、直接思い出すのはやはりレム「GOLEM XIV」(1981)になるだろう。ただし、法螺話風の語り口はカルヴィーノ『レ・コスミコミケ』(1965)を思わせるし、幻想の質はボルヘスかもしれない。理科系の著者的には小松左京賞が近そうだが、内容的には日本ファンタジーノベル大賞が適切とした菊池誠教授説(著者の大学先輩でもあるためアドバイスを求めた)が正しい。結局そういった各種要素をハイブリッドに混淆した点をまず評価すべき作品である。

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bullet 「GOLEM XIV」を含む『虚数』評者のレビュー
 


2007/6/17

Amazon『すべての終わりの始まり』(国書刊行会)

キャロル・エムシュウィラー『すべての終わりの始まり』(国書刊行会)
Japanese Original Collection of 20 Short Stories,2007(畔柳和代訳)

装幀:中島かほる、装画:南桂子「しだの中の鳥」(1975年)

 キャロル・エムシュの作品集が出るのは、わが国ではこれが初めてである。初期3短編集から7編(1974/1989/1990)、最近の2短編集(2002/2005)から13編が採られた日本版オリジナル。ここに収められた作品は本邦初訳作品ばかりで、(意図的か)30〜40年前に紹介された既訳の作品は含まれていない。

 「私はあなたと暮らしているけれど、あなたはそれを知らない」(2005):屋根裏部屋に密かに同居する私とあなたの生活
 「すべての終わりの始まり」(1981):クリンプと呼ばれる異星人と共同生活する私
 「見下ろせば」(1990):捕らえられた空を飛べる種族(我々)と地上でその姿をあがめる人々
 「おばあちゃん」(2002):超人的な英雄だったおばあちゃんと孫娘である私との生活
 「育ての母」(2001):私が育てている小さな(知性ある)生き物
 「ウォーターマスター」(2002):山のダムに住み、村の水利を支配する彼と私と出会い
 「ボーイズ」(2003):男だけの部族の一員である我々は、女だけの村を襲って少年を奪い取る
 「男性倶楽部への報告」(2002):男性倶楽部への入会を喜ぶかつて女だったわたくし
 「待っている女」(1970):空港で飛行機を待つ私は次第に縮んでいく
 「悪を見るなかれ、喜ぶなかれ」(2005):優生学上の交尾相手を、強制的に割り当てられた私の逃避行
 「セックスおよび/またはモリソン氏」(1967):肥満体のモリソン氏に性的興味を持つ私
 「ユーコン」(1989):法律上の亭主を捨て熊の彼と同衾する彼女
 「石造りの円形図書館」(1987):円形図書館の遺跡を掘り出す私が見る夢
 「ジョーンズ夫人」(1993):同居する二人の女性のひとりが、老人に見える奇妙な生き物を見つけ出す
 「ジョゼフィーン」(2002):老人ホームから抜け出した、かつて軽業師だったジョセフィーンを追う私
 「いまいましい」(2002):山中で発見されたUMA(未確認の原人?)を探す私
 「母語の神秘」(1989):綴り間違いから現代言語学シンポジウムの基調講演者に招待された私
 「偏見と自負」(2002):古典的な彼と彼女の関係(『エマ』等で知られるジェイン・オースティン作品へのオマージュ)
 「結局は」(2002):誕生日に子供たちから逃げ出す老いた私
 「ウィスコン・スピーチ」(2005):2003年のWisCON(フェミニストSF大会)でのスピーチ内容
 
 本書の大半は女性の一人称で語られる。男語りの「ボーイズ」「ジョゼフィーン」「いまいましい」でも、男の視点というより、その相手である女や得体の知れないものに重点が置かれている。三人称になるとさらに少なく「ユーコン」「偏見と自負」(オースティンの邦訳では「高慢と偏見」)になるが、これも客観的な観点が必然とは思えない。そういった執拗なまでの“私/個”へのこだわりと、揺れ動く想念によるさまざまな言動が特徴になっている。私が喋りかけているのは第三者である読者なので、当然真実が語られるとは限らない(従って、解釈は単純にはできない)。キャロル・エムシュが小説を書き始めたのは40台前後、本格的となると50台を過ぎていた。赤十字を介した従軍経験(第2次大戦直後)や良人との死別など、経験を経たベテラン作家の作品からは“女性性”に対する不可思議さと同時に、深い洞察力を感じとれるのである。

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bullet 宮脇孝雄のレビュー(底本の一部となった第3短編集)
 


2007/6/24

 第8回日本SF新人賞受賞作。ジャン=ジャックとは、18世紀の思想家ジャン=ジャック・ルソーのことであり、本書では18世紀の革命(フランス革命)と20世紀の革命(五月革命)とを照応させるキーとして、このルソーが使われる。

 ある島に男女の孤児たちが集められた。五月革命が挫折した年、ルソーに憑かれた日本人医師が彼らを理想の子供に育て上げようとする。しかし、孤立した島での生活は次第に奇怪な幻想の渦の中に取り込まれて行く。
 
 物語は、概ね2種類の視点で語られる。1つは校長と呼ばれる日本人医師が「J・D」に宛てた手紙、もう1つは島の孤児である少年の独白。少年は「アンジュ」と呼ばれる少女に魅かれ、島からの脱出に憧れる。ただ、本書の場合明白な筋書きというものはない。ここで書かれた手紙は矛盾に満ちているし、主人公が見る島のありさまは夢の中のように現実味がない(天を貫く塔や、漂着した幽霊船、パリ五月革命を思わせる学園内の権力闘争)。加えて、著者は文藝的な暗喩(例えば、J・Dはジャック・デリダであったりJ・D・サリンジャーであったりする)をちりばめており、何が真実かは曖昧なままだ。新人賞の選考で本書を強く推したのは田中啓文や浅倉三文だったが、彼らの先鋭的な小説(特定作家に囚われないある種のパスティ−シュ)にも含まれる混沌が本書の特徴となっている。

bullet 日本SF新人賞のサイト