2013/11/3

マックス・バリー『機械男』(文藝春秋)
Machine Man,2011(鈴木恵訳)

装画:関口聖司、カバー写真:Peter Dazeley/Getty Images

 著者は、1973年オーストラリア生まれの作家。HP社勤務の時代に長編Syrup(1999)でデビュー、この作品は2013年に映画化されている。もう10年前になるが、第2長編『ジェニファー・ガバメント』(2003)が映画化がらみで翻訳されたこともある(結局映画にはならなかった)。また、この設定をベースにしたNation StatesというWebゲームが、著者自身により制作されている。さて、5月に出た本書は、ギーク系オタクの牙城WiredのGeekdadというコラム(2011年8月)で絶賛された作品だ

 主人公は、兵器も開発するハイテク企業に勤める研究者。ある日、実験室での事故で片脚を失ったことから人生が一変する。より良い脚は、人の脚を模倣するものである必要がない。高性能なものこそ美しい脚だ。そう分かって以来、欲望は果てしなくエスカレーションしていく。もう一本の脚、腕、胴体。機械への変貌は、会社のマーケティング戦略とも絡み合いながら暴走を続ける。

 ギークというのは社交性のあるオタクと分類される。本書の主人公はそうでもない。博士号を持つ研究室の責任者であるものの、誰とも付き合いがなく孤立している。しかし、義肢装具士の彼女と出会ったことで考え方が変わっていく。主人公は機械化にのめり込んでいくのだが、彼女もその考え方に同調する。ただ、自分を変えようとする主人公と、会社の利益を求める経営者たちとは、目的がそもそも相容れず、最後はサイボーグ同士の戦闘へと連なっていく。主人公の行動は、おそらく大半の人には理解できないものだろう。そもそも、機械になりたいという欲望が分からない。とはいえ、人間の肉体に囚われない価値観では、美しいものの中身もまた変わっていくことは分かる。そういう意味で、本書の結末はハッピーエンドになっているのだ。
 著者が自身のサイトに毎日連載し、読者の反応によって書いていたという、『朝のガスパール』(1992)的なインタラクティヴ作品(出版時に加筆されている)。そのために各章が非常に短く、場面転換が早い。本書の映画化を予定するアロノフスキー監督には、その連載段階で目にとまったようだ。

 

2013/11/10

リチャード・パワーズ『幸福の遺伝子』(新潮社)
Generosity:An Enhancement,2009(木原善彦訳)

Illusration:Masatoshi Tabuchi、Desigh:Shinchosha Book Design Division

 本年4月に出た、アメリカ現代文学の有力作家による奇妙な遺伝子の物語。パワーズは1957年生まれ、1985年の初長編以来、(来年刊行予定の1冊を加えて)11冊の著作があり、日本でも6冊の翻訳が出ている。今や幾多の賞を受けた重鎮だが、物理学と文学を修めた経歴から、書く作品には科学的で多相な視点がある。ある意味、SF的テイストがある。

 主人公は雑誌の編集者。作家だったことがあり、大学で書き方の非常勤講師をしている。学生たちはもはや書物に興味を持っていない。そこにアルジェリア人の女性が現れ、自らの境遇を日記で発表する。しかし、悲惨なはずのお話は、彼らに生きていることの不思議な幸福感を与える。彼女には何か秘密があるのか。

 主人公の作家は、かつて自身が聞いた実話を小説化して評判を取った。けれどそこで描いたモデルから抗議を受け、いつか書けなくなっていた。今では、実話雑誌で素人のでたらめな文章をリライトして暮らしている。アルジェリア人の女性は家族を内戦の中で亡くしているのに、自身の存在だけで周囲を幸福にする。一方、遺伝子情報を独占的に解読するベンチャー企業の科学者=創業者は、幸福感をもたらす遺伝子の存在を予見する。彼女こそ、幸福の遺伝子の所有者ではないか。物語は、主にこの3人の人物を中心に流れていく。面白いのは、この3人ともが強い自意識を持っていない点だ。そもそも幸福感や絶望感など、人の感情が決定論的なものだとはだれも思わない。だが、あらゆるものが遺伝的に決まるのだとしたら、意識=個人の意思など必要なくなるだろう。それは現代SF共通のテーマともつながる。もっとも、本書は“決定的”な結末を、どこにも書いていない。

 

2013/11/17

ピーター・ワッツ『ブラインドサイト(上下)』(東京創元社)
Blindsight,2006(嶋田洋一訳)

Cover Illusration:加藤直之、Cover Desigh:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 誰でも、「見えている(視野の中にある)のに見えていない」経験はしたことがある。意識しないから見えないのだ。ところが、まったく逆に、「(物理的な障害などがあって)絶対見えるはずのないものが見える」という現象がある。これが、本書ブラインドサイト(盲視)の本来の意味だ。「述べられていることにはほとんどあらゆる点で同意できないが、それでも一読をお勧めする」と、テッド・チャン言ったことで有名になった作品でもある。ここで「同意できない」とあるのは、チャンの作品にたびたび登場する「意識や人と、それ以外のものとの境界」などといったメインテーマにおける相違点だろう。

 2082年、突如地球は6万余にも上る流星雨を浴びる。それは何者かが放った探査衛星と思われた。発信源とみられるカイパーベルトの見えない天体に向かって、最先端技術を満載した宇宙船が派遣される。船の船長は人工知能、リーダーはヴァンパイア、機械化された生物学者と四重人格を持つ言語学者、ロボット兵士を駆使する軍人、そして脳の半分を持たない統合者からなるチームだ。そこに巨大な構造物が現れ、人類の言葉で語りかけてくる。

 世にも奇妙なクルーたちだ。人類の天敵ながら、卓越した知性を買われたヴァンパイアを含め、彼らはすべて物理的/遺伝子的に改造された人間たちなのである。そしてまた言語を巧みに操る異星人は、人類との共通点を持たないことが分かってくる。意志疎通は可能なのか、そもそも意志というものの実体はどこにあるのか。根源的な謎を追及する形で物語は進む。登場人物たちの設定、異星人の存在自体が、著者の主張を裏付けるように作られている点に注意する必要がある。エイリアンとの接触という意味で、訳者はレムの『ソラリス』との類似を指摘していたが、むしろ『砂漠の惑星』(1964)を思わせる展開だろう。知性らしきものはあるけれど、それが意識的なものか、自動的なものかが分からないからだ。

 

2013/11/24

ジギズムンド・クルジジャノフスキイ『未来の回想』(松籟社)
Воспоминания о будущем,1929(秋草俊一郎訳)
カバーデザイン:西田優子

ウラジーミル・ソローキン『親衛隊士の日』(河出書房新社)
День опричника,2006(松下隆志訳)
装丁:木庭貴信(OCTAVE)

 並べてみるのもどうかと思うのだが、今週は対照的なロシア新旧作家の2中編である。
 クルジジャノフスキイは、昨年初めて日本版の作品集『瞳孔の中』(松籟社)が、今年になって『神童のための童話集』(河出書房新社)が出るなど注目の作家だ。19世紀に生まれ、ロシア革命を経て1950年に亡くなっている。政治的に迫害されたわけではないものの、ソビエト時代は幻想的な小説の評価は低く、書籍の刊行はなかった。死後1980年以降にようやく再評価、1920年から40年にかけて書かれた短編が次々と刊行され、世界的に知られるようになったという。時間旅行をテーマにした『未来の回想』は、作品集の表題にも選ばれる代表作である。

『未来の回想』:主人公は少年時代に時計に惹かれ、やがて、「時間と空間の不整合」を基に独自の時間理論を打ち立てる。だが、理論を実証する時間切断機=タイムマシンの組立は、ドイツとの戦争とロシア革命という障害の前に頓挫する。革命後、資金を集めた主人公は、装置を稼働させ未来へと旅立つが。

 クルジジャノフスキイの文章は非常に独創的だ。そのまま読むと文脈を追いきれず、迷宮に踏み込んだような戸惑いを感じる。これは翻訳のせいというより、地の文章自体の特徴なのだろう。ウェルズ『タイムマシン』を作中で批判し、時間と空間とを切り離した独自の時間理論を構築するなど、論理にこだわる点も注目すべきだろう。
 一方のソローキンは、昨年出た『青い脂』で、従来の文学系だけではなくSF系までを含む、幅広い読者に一躍再注目された作家である。性/宗教/政治と、あらゆるタブーを打ち破る破壊的な作品が特徴だ。悪夢のソビエト時代をイメージする前作に続く本書は、破天荒なロシアの未来/現在を見せてくれる。

『親衛隊士の日』
:2028年、ロシアでは帝政が復活し、叛旗を企てるものたちを排除する強大な親衛隊組織が作られる。彼らはその権力を武器に、腐敗した官僚や貴族たちまで次々と処刑する。ロシア皇帝と教会に忠誠をつくし清廉潔白を唱える隊員だったが、その裏側ではあらゆる悪徳が正当化されているのだった。

 ソビエトの呪縛が解けたはずのロシアなのだが、その代わりにロシア正教やロシア帝国といった過去の亡霊が蘇ってくる。そういった権力者たちは、表の顔と腐敗した裏側とを巧みに使い分けている。強大なロシアというのは、実は中国勢力下の幻想にすぎないという皮肉も込められており、いかにもソローキンらしい。『青い脂』よりもコンパクトな作品で、クルジジャノフスキイとは一転、こちらは極めて軽快で読みやすい。