2014/10/5
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7月に出たカート・ヴォネガットの未発表作品集。ヴォネガットの本は、伝記『人生なんて、そんなものさ』(2011)や、過去の翻訳の電子書籍版が多数出版されるなど、絶え間なく出ているようだが、新刊としては2009年の絵本『お日さま
お月さま お星さま』(1980)以来5年ぶりとなる。しかも、内容は1950、60年代に書かれたまま、出版されずに終わった未発表短篇ばかりである。6年前に出た『追憶のハルマゲドン』も同様だが、それにはノンフィクションも含まれる。
「耳の中の親友」:地味な技術者だった夫が発明した小さな箱は聞く人の話し相手になってくれるものだった
「FUBAR」:大企業で閑職に追いやられた主人公は、新人秘書を得たことで考え方を変えていく
「ヒポクリッツ・ジャンクション」:ベストセラーを書いた妻と不仲な夫の家に防風窓セールスマンが訪れる
「エド・ルービーの会員制クラブ」:元ギャングの店で、見てはいけないものを見た夫婦に降りかかる災厄
「セルマに捧げる歌」:それまで冴えないと思われていた少年が書いた恋人にささげる一曲
「鏡の間」:女性失踪事件の嫌疑で、催眠術師の家を訪問した二人の刑事は奇妙な説明を受ける
「ナイス・リトル・ピープル」:結婚記念日の夜、気弱な夫はペーパーナイフに潜む小さな人を目撃する
「ハロー、レッド」:かつて町を去った男が八年ぶりに戻ってきた。誰もが口にしない公然の秘密とは
「小さな水の一滴」:女性歌手の指導をしながら次々手をつける男が、ある日出会った一人の女
「化石の蟻」:ソ連の田舎町で見つかった穴から、階層化された蟻の社会が発見される
「新聞少年の名誉」:殺人事件が起こる。重要参考人のアリバイを覆すには少年の証言が重要になるが
「はい、チーズ」:服役した偽の精神科医が持ちかけてくる、恐るべき完全犯罪の顛末
「この宇宙の王と女王」:お伽噺風に語られる、裕福な家庭の恋人同士が知る現実の残酷な一面
「説明上手」:下町の診療所を訪れた要領を得ない夫は、医師に妻の不妊について説明を求める
ヴォネガットの活躍舞台は、高級スリック誌だった。粗悪なパルプ紙ではなく、光沢紙を使ったサタディ・イヴニング・ポスト、コリアーズ、コズモポリタン、アーゴシーなどの大判小説誌である。今では、こういうカテゴリーの雑誌はなくなった。発行部数が非常に多かったため、毎月短篇1作を売るだけで、十分生活ができたようだ。そのため、自分の意見か編集の意向なのかはともかく、ずいぶん選別を行っている。余裕がありすぎて、本書を読んでも売れ残りとは思えないし、特に欠点があるようにも見えない。小道具や社会的な背景が古びても、人間は相変わらずだから問題ないのだろう。ヴォネガット的とは何かによって評価も変わるが、結末が少し明るい「FUBAR」「エド・ルービー…」「セルマ…」「小さな…」「新聞少年…」「この宇宙…」と、ビターなこれら以外の作品に分かれる。中では、ストレートな「ナイス・リトル・ピープル」と「説明上手」にブラックなインパクトがあるし、「ハロー、レッド」と「はい、チーズ」の最後の捻りに感心する。
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2014/10/12
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7月に出たカレン・ラッセル初の短篇集。著者の翻訳作品は、去年に長編『スワンプランディア!』(2011)が出ているのだが、そこに描かれた世界は「アヴァ、ワニと格闘する」など、本書に原型があるとされる。
「アヴァ、ワニと格闘する」:フロリダで、ワニとの格闘ショーを行う私設ワニ園に残された二人の姉妹
「オリビア探し」:海に消えた妹を探すために、廃船の沈む入り江に潜る兄弟たち
「夢見障害者のためのZ・Z睡眠矯正キャンプ」:睡眠に何らかの障害を持つ子供たちが分類され集められる
「星座観察者の夏休みの犯罪記録」:海亀が卵を産む海岸に集う、天文好き少年と妹、不良、知的障碍者
「西に向かう子どもたちの回想録」:牛車に揺られながら西を目指す家族と、それを引くミノタウロスの父
「イエティ婦人と人工雪の宮殿」:スケートリンクには、未成年者禁止の〈ブリザード〉という時間帯がある
「貝殻の街」:巨大な巻貝を展示する施設で、貝の中に閉じ込められた少女と管理人
「海のうえ」:動かなくなった船を使った洋上老人ホームに、ポランティアの少女がやってくる
「ナンバー00/422の概要」:少年合唱団の歌声により〈雪崩〉を起こす村で、遭難した少年たちの運命
「狼少女たちの聖ルーシー寮」:狼として育った少女たちを、シスターたちが人間に教育する寮
念のために書いておくと、本書のほとんどの作品には明確なオチなどはない。ただ、リアリズムから離れた奇妙な設定と、その奇妙さを日常として生きる少年少女たちが多様に登場する。「海のうえ」だけ老人が主人公だが、最初の短篇に出てくる姉妹の祖父と同じ名前で呼ばれている。さまざまな動物たちが現れる。ワニ、カニ、羊、海亀、牛(ミノタウロス)、アカエイ、そして狼、これらの存在は作者が育ったフロリダの自然に由来するようだ。著者の作品の原書には、動物の絵が描かれることが多い(ワニ、狼、最新作はコウモリ)。自然でありながら、本書に出てくる超自然的=非日常的な現象の象徴でもある。我々はもはや自然の中では生きていないから、それだけで不思議さが際立って見える。登場人物たちも同様だ。自然に生きたから、かえって現代社会に生きる場がないのである。
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2014/10/19
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昨年完結したオリジナル・アンソロジイ《NOVA》が第34回日本SF大賞特別賞や、第45回星雲賞自由部門を受け好評だったこともあり、新たなシリーズ《NOVA+(プラス)》となって再スタートした。今回は、日本SF大賞の過去の受賞者と、第34回の最終候補者を集めたベスト盤になっている。
宮部みゆき「戦闘員」:毎日の散歩を日課にしている老人は、奇妙な監視カメラの存在に気がつく
月村了衛「機龍警察 化生」:機龍を擁する特捜部は、ある研究所にまつわる企業機密に関わることになる 藤井太洋「ノー・パラドクス」:タイムゲートにより時間旅行が可能になった社会で起こるパラドクスの真相 宮内悠介「スペース珊瑚礁」:スペース金融道の三作目、主人公はナノサイズの寄生体に憑りつかれる 野崎まど「第五の地平」:平面の草原を脱し、三次元からついに五次元世界の覇権を目指すチンギス・ハーン 酉島伝法「奏で手のヌフレツン」:太陽や月が地面を跛行する閉じた世界で、音楽を目指す主人公 長谷敏司「バベル」:中東で人の行動解析プログラムを開発する主人公は、ソフトの別の応用法に気がつく 円城塔「Φ(ファイ)」:138文字しかない宇宙が、1文字ずつ縮小し、ついには空集合となる
宮部みゆき、月村了衛は、長編のプロローグを思わせる結末のない終わり方だ。藤井太洋は、とても良く考えられたタイムトラベルもので、その理屈部分に重点がある。宮内悠介は本書中唯一笑える作品、野崎まどはジンギスカンによる数学小説といった奇想性が特異、酉島伝法はデビュー作を強化した腸詰宇宙を描き、長谷敏司は今現在のテロの脅威とビッグデータとを結びつけ、円城塔は無へと収束する小説を書いて、それぞれ著者らしさが明瞭に読み取れる。中では、時間旅行をここまで複雑に書いたのは初めてと思われる「ノー・パラドクス」と、山尾悠子的宇宙を酉島流に昇華した「奏で手のヌフレツン」が印象的だ。
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2014/10/26
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ブランドン・サンダースンの《嵐光録》(ストームライト・アーカイブ)の1巻目(の3分冊1冊目)。著者については、すでにハヤカワ文庫FTから『エラントリス(上下)』(2005)や、《ミストボーン(9分冊)》(2006-08)の第3部までが翻訳されている。本書もハードカバー1000頁を超える(原稿用紙で約3000枚)大冊であり、全部の翻訳が揃うのは来年6月の予定だ。著者がもっとも自信ありと述べるシリーズ。2011年の英国デイヴィッド・ゲメル・レジェンド賞のベストファンタジイノベル、ホイットニー賞(モルモン教会によるノージャンルの文学賞。オースン・スコット・カードと同様、著者も信徒)を受賞している。全10部の構想があり、既に第2部まで出ている。
〈光の騎士〉が去ってから4500年、嵐の吹き荒れる世界ロシャルでは、破砕平原を囲んで王国諸侯の軍隊と、異種族の敵軍とが一進一退の戦闘に明け暮れている。巨大なヤドカリ様の生物が生成するエネルギー元素を、お互い奪い合うという果てしない戦いだ。王国軍には破砕剣、破砕鎧という強力な武器があるが、数は限られ戦いの帰趨を決するほどではない。医師を志しながら奴隷に落ちた戦士、一族の没落を防ごうとする娘、予言を夢に見る貴族戦士、ロボットのように命令を聞く暗殺者と、対照的な登場人物たちが姿を見せる。
著者は1975年生まれ。ミドルスクール時代に、《ダールワス・サーガ》のバーバラ・ハンブリー初期作Dragonsbane(1985)を読み、他にロバート・ジョーダン、メラニー・ローン、デヴィッド・エディングスやアン・マキャフリイ、オースン・スコット・カードらから、多大な影響を受けたという。何れも多少SF寄りとはいえ、トールキン風の異世界を舞台とする典型的なハイ・ファンタジイである。大学在学中からプロの編集者たちと接触し、卒業後には前記作品やロバート・ジョーダン《時の車輪》の遺志を継いだ公式続編(2009-13)を書いてベストセラーとなるなど、順調に文筆活動をスタートさせている。本書は、執筆に10年余を要した。詳細な社会制度(政治と軍事を司る男、読み書き学問は女の役割。目の色による支配階級と平民階級の区分けという身分制)、異形の生物(家畜化された甲殻類、空飛ぶウナギ)などの設定、世界構築の背後に隠された謎、団結を促す不吉な夢、安定を覆す迫りくる破滅の予兆、関連を持つらしい出自がさまざまな登場人物と、まさに定石通りの道具立てで出来上がっている。まだ、それら要素が置かれただけなので、既存の諸作と並べて論じる段階ではない。残り3分の2を読んでからだろう。
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