2016/1/3

ゾラン・ジヴコヴィッチ『12人の蒐集家/ティーショップ』(東京創元社)

ゾラン・ジヴコヴィッチ『12人の蒐集家/ティーショップ』(東京創元社)
Twelve Collections and the Teashop,2005(山田順子訳)

装丁・コラージュ:柳川貴代

 ジヴコヴィッチ(=ジフコヴィッチ)は1948年旧ユーゴスラビア生まれのセルビア人作家、2007年からベオグラード大学の教授職にある。2011年に黒田藩プレスより、本書収録の「ティーショップ」を含む小冊子で紹介されたことがある。本書は12のオムニバス短篇から成る「12人の蒐集家」に、上記短編を加えた作品集である。

 1.すべてが紫に塗られたケーキショップ、2.自分の爪を収集する男、3.日々の死を語る老人、4.自分の写真の蒐集家、5.電話の向こうから交渉を持ちかけてくる夢の蒐集家、6.ことばの蒐集家が買った詩集、7.書き終えた小説に書き込まれる何ものかのメッセージ、8.規律を重んじる元郵便局長は新聞の切り抜きを蒐集、9.夜中に病人の患者を訪ねる男の目的、10.趣味のない退職者はスパムメールの蒐集を始める、11.誘拐犯は自由と引き換えにあるものを要求する、12.コレクションのコレクターはあらゆるものを集めていた

 蒐集家たちのアイテムは、あまり具体的なものではない。単なる感情や概念だったり、物理的な形がなかったりする。つまり、本来は蒐集できないものなのだ。それにどんな代償が支払われるかが、物語の趣向となっている。ほぼ同様のプロットの繰り返しになるため、12編の印象には似かよったものも出てくる。とはいえ、他の東欧作家のような陰鬱さのないライトな感性という、ジヴコヴィッチの持ち味は良く分かる。執拗に言及される「紫色」に対するこだわりが気になるところだ。意外な語り手が現われる「ティーショップ」も面白い。

 

2016/1/10

村田沙耶香『消滅世界』(河出書房新社)

村田沙耶香『消滅世界』(河出書房新社)

装幀:高柳雅人、写真:HASEO

 村田沙耶香は1979年生まれ、第46回群像新人文学賞を始め、第31回野間文芸新人賞、第26回三島由紀夫賞を受賞した文学の俊英なのだが、前作『殺人出産』(2014)では、殺人が合法化された未来社会で道徳的価値観の変容を扱った。本書ではその設定を取り入れながら、夫婦関係やセックスの変貌を扱っている。

 近未来の日本、夫婦は性的な結びつきのないパートナー関係となっている。子供は人工授精され生まれる。恋愛は家庭の外、愛人を作ることがあたり前だ。そこでも、セックスは稀なものとなっている。夫婦関係がぎくしゃくした主人公は、千葉で行われる大規模な社会実験に参加するが。

 著者の描くのは、戦後すぐに人工授精が一般化した並行世界。未来といっても、今の日本の延長線上にはない道徳観で支配されている。そこでは恋愛、セックス、結婚、出産という社会習慣が変化している。人口減を食い止めるため、制度化された人工授精が当たり前になり交尾=セックスは必要ない。夫婦間の性行為は、近親相姦=犯罪と見なされるようになる。恋愛のような、不安定で生理的/動物的な衝動は、家庭外で処理される。しかし、その恋愛対象は2次元キャラが多くなる。獣のような肉体関係は、不潔なものと忌避されるからだ。そして、千葉の実験都市では、親子関係すら別種のものとなっている。

 村田沙耶香の未来像は、今の基準から見ればディストピア社会となる。しかし、ここに住む人々は、制度を全体主義とも強制とも受け止めない。むしろ、自然であたり前のものと考えている。家庭は安定のためにある。そこは煩わしい恋愛や性衝動から解き放たれた、ある種のユートピアだからだ。

 政治的でも経済的でもない、家庭やセックスなど、極めて個人的でミニマムな社会規範の変貌が、(良し悪しを問うのではなく)結果的に人間の社会全体を変動させ、人の心を変えてしまうという、示唆に富んだ作品でもある。

 

2016/1/17

若島正編『ベスト・ストーリーズI』(早川書房)

若島正編『ベスト・ストーリーズI』(早川書房)
Best Stories I:Br'er Rabbit Ball and Other Stories

装幀:早川書房デザイン室

 若島正編集による新しい『ニューヨーカー短篇集』である。「ニューヨーカー」はアメリカを代表する週刊誌で、「都会人のための都会小説」を載せるまさに都会的、アメリカ中産階級を象徴する雑誌だった。今となっては、ニューヨーカーと聞いて小説を思い浮かべる人も少ないだろう(帯に小さく記載があるのみ。本書の表紙にも謳われていない)。

 第1巻は「ニューヨーカー」創刊から1950年代までの約30年間から18編が選ばれている。表題作は、大リーグで採用された“飛ぶボール”について、皮肉っぽく書かれたエッセイだ。ベタな批判ではなく、独特の可笑しさが込められている。それは他の小説やエッセイにおいても同じで、不眠の理由、世界を征服出来る発見、浮気の言い訳、笑いの研究、逆転した出自の差、主婦の葛藤、手紙の主、ホームズ物への言及、飲酒癖のある父親と子、内省的な夫の過去、帰省した娘と継母、ヘミングウェイの数日間の(舐めるような)日常、埋葬された黒人、パーティで出会った老人、解雇された男の犯した盗み、キャリアのある女が見染めた取得のない男、田舎の別荘に住む美しい姉妹たちなどなど、一面的ではない人々の機微が描かれる。

 大半は、1930~50年頃の中産階級が主人公だ。ただ、ミドルといっても都心にメイド付きの家を持てる階層なので、我々がイメージする日本的な中産階級ではない。それぞれ仕事を持ち、遊んで暮らせるほどの資産はないが、アメリカの繁栄を支えていた人々だ。その、明暗が描かれている。

 今から47年前、1969年に常盤新平編『ニューヨーカー短篇集』が全3巻で出た。評者が持っていたのは、かなりあとの1983年版だが、9刷になっていた。ロングセラーだったことが分かる。本書はその存在を前提に編まれたものだ。当時の収録作は39~35編(作家)にもなり、本書の倍近くの分量だった。

 とはいえ、もう「ニューヨーカー」も創刊90年となる。常盤新平版からも半世紀が経っており、都会小説の中身も大きく変貌しているだろう。今回は、歴史的変遷、傾向が分かり(かつ未訳の)代表作品が俯瞰できるよう工夫されている。また、作品に最適という観点で編者が選んだ翻訳陣が豪華で、片岡義男を始めとして、岸本佐知子、木原善彦、佐々木徹、柴田元幸、谷崎由依、中村和恵、藤井光、古屋美登里、桃屋美佳、森慎一郎らが担当している。

 「ニューヨーカー」には、SFやファンタジイ系の作品はあまり載っていない。他の高級スリック雑誌「エスクァイア」や、「プレイボーイ」の方が多かったように思う。それでも、本書収録のE・B・ホワイト、シャーリイ・ジャクソンらにその雰囲気は感じとれるし、特に50年代SFとシンクロする同時代性も伺える。デビュー前のティプトリーが本名で寄稿したのも本誌である。 


2016/1/24

企画協力・日本SF作家クラブ『あしたは戦争』(筑摩書房)

企画協力・日本SF作家クラブ『あしたは戦争』(筑摩書房)

カバーデザイン:YOUCHAN

 ちくま文庫から文庫オリジナルで出た、「巨匠たちの想像力」をテーマとする再録アンソロジイ(全3巻)の1巻目。サブタイトルに「戦時体制」とある。日本SF作家クラブに所属するフリー編集者の中野晴行が編纂し、作品のセレクトには作家クラブも協力したようだ。

・小松左京「召集令状」(1964): 赤紙を受け取ったものが次々と行方不明になる
・山野浩一「戦場からの電話」(1976): 主人公にかかってきた別世界からの電話
・筒井康隆「東海道戦争」(1965): 大阪と東京が理由もないまま戦争を始める
・手塚治虫「悪魔の開幕」(1973): 独裁的な首相の暗殺を命じられた男の行動
・海野十三「地球要塞」(1941): 3大陣営に分かれた世界で密約や謀略が渦巻く
・江戸川乱歩「芋虫」(1929): 手足を喪った戦傷者とその妻の生きざま
・今日泊亜蘭「最終戦争」(1965): サイゴンに現われた独裁者そっくりの男
・辻真先「名古屋城が燃えた日」(1980): 名古屋空襲の夜に起こった事件の真相
・荒巻義雄「ポンラップ群島の平和」(1991): 異星で保たれる平和をもたらす仕組み
・星新一「ああ祖国よ」(1969): アフリカの小国が突如日本に宣戦布告する

 戦前の2作を除くと、主に60~70年代にかけて書かれた作品が多い(荒巻義雄は、英訳のみの単行本未収録作)。大戦後20年が過ぎ、戦争を知らない世代が大人になった頃になる。しかし、戦中派はまだ社会の中枢を占め、ベトナム戦争も続いていて、いつ平和が覆されてもおかしくないという不安が残っていた。

 小松左京や手塚治虫は、まさにそういう忍び寄る戦争の怖さを描く。筒井康隆は戦争を望むのは大衆自身だとし、海野十三は軍事翼賛小説の裏で永久に続く戦争を示唆する。山野浩一は世界的なゲリラ戦争を、今日泊亜蘭は中国が台頭した際のパワーシフトを、星新一は曖昧な安全保障の矛盾を予見する。江戸川乱歩と辻真先は、戦争の醜悪さを象徴的に描く。また、荒巻義雄は平和を保つには社会構造の変革が必要と説く。

 戦争をテーマとした日本SFのアンソロジイには、集英社から出た『イマジネーションの戦争』(2011)がある。戦争の概念を、より広い範囲で捉え直したアンソロジイだ。それに対して、本書の戦争はより現実の戦争に近い。先祖返りのようにも見える。わずか4年の間に、時代がより不安な方向に変わったことを意味するのだろう。


2016/1/31

円城塔『プロローグ』(文藝春秋)

円城塔『プロローグ』(文藝春秋)

装画:寺田尚樹(テラダモケイ)、装丁:鶴丈二

 本書は「文學界」に連載された長編で、11月に単行本が出たもの。同時並行して「SFマガジン」に連載され、10月に書籍化された『エピローグ』と対を成す作品である(最下段のリンクを参照)。同じ話を純文学とSFで書いたが、『プロローグ』は期せずして『エピローグ』をメイキングする私小説(リアルな著者が訪れた地名と関係する描写がある)となったのだという。この発言を含む、本書をテーマとした大森望との対談が、1月29日に電子書籍化されている。ワンペアの両作を読み解く鍵にもなるだろう。

 まず言葉を同定する、日本語だ。次に文字セットの漢字を「千字文」から決め、スクリプトをRubyに、人物の姓名を「新撰姓氏録」から決める。次に設定を決め十三氏族が登場する。21ある勅撰和歌集を分解し、舞台を河南と設定し、小説の分散管理を構想する。次に和歌集を素材に語句のベクトルを統計分析し、世界が許容する人の容量を決める。最後には、全ての章に使用された漢字と語句の統計分析を行う。

 版元の紹介文とはだいぶ異なるが、使用されるツールを並べていくと上記のようになる(これで全てではない)。

 小説を機械で自動生成するという試みは、過去から 現在までいくつもある。残念ながら成果は途上で、文学のシミュラクラ(本物そっくり)レベルにはまだ届かない。その一方で、小説を統計的に読み解いて、新しい解釈を加える論考も存在する。

 本書は計算機の書いた小説ではない。逆に、さまざまなツールを駆使して、(ある程度)自動的に小説を書こうとする試みだ。ツールの吐き出す定量的なデータの中には、とても興味深いものがある。あいまいさがない分、本質的な何かが分かったような気になれる。ただし、それが何かかは定かではないが。

 文藝評論家のレビューでは、そういうツールの面白さがほとんど触れられていない。本来解析のための道具=ソフトを触媒とした「創作」は、そもそも実感できない発想なのだろう。実際にソフトを書く=コーディングしているのがポイントで、とてもリアルなのである。

 論文ではないので考察がない。考察の代わりに物語が置かれている。確かにそういう意味で、ありのままの現実=自動出力から派生した私小説といえる。