新☆ハヤカワ・SF・シリーズでのベストセラーとなった『紙の動物園』(2015)に続く、古沢嘉通編ケン・リュウ短編集の第2弾である。ショートショート級の短い作品から、中編までを含めた全16作を収録する。編訳者によると、前作以降の新作からと、アメリカで出たケン・リュウ短編集との相違を少なくするという2点に配慮したという(日本版が先に編まれた関係で、本国版の一部が未訳で残っていた)。本書では、表題作を含む13編が初訳になる。著者は精力的に中短編を発表しており、その傍ら中国SFの翻訳紹介も進めている(2作がヒューゴー賞を受賞した)。コンベンションでの発信も積極的で、いまもっとも動向に目が離せない作家だろう。今月開催のローカルコンベンションHal-conにも姿を見せた。
烏蘇里羆(2014):1907年、機械馬を伴い朝鮮国境の山塊深くを探検する、日本人研究者が見た巨大なウスリー熊の正体
草を結びて環を銜えん(2014)*:17世紀の明代末期、満州族に包囲された揚州で、機知を武器に逆境を切り抜けようとする遊女
重荷は常に汝とともに(2012)*:巨塔が残る惑星ルーラには百万年前に滅びた文明があったが、彼らの言葉を解釈する手だては少なかった
母の記憶に(2012)*:不治の病に罹った母は、準光速で飛ぶ宇宙船に乗ることで、家族の未来に立ち会おうとする
存在(2014)*:脳卒中で療養している家族を介護するなかで、主人公が感じとる悔悟と葛藤(存在=プレゼンス)
シミュラクラ(2011):本物からコピーされたある種の模倣人格=シミュラクラの発明者と、普及に反対する娘との葛藤の行方
レギュラー(2014)*:エスコート嬢の殺人事件を調べる探偵は、犯人が行った奇妙な行動に別の事件との共通点を見出す
ループのなかで(2014)*:主人公は、無人攻撃機の操縦者で精神を病んだ父親を教訓に、完全に人を介さない無人攻撃方法を考案するが
状態変化(2004)*:自分の魂を冷凍庫に保存する社会で、主人公は新しく入社した男に思わぬ恋心を抱いてしまう
パーフェクト・マッチ(2012)*:すべての人々が、人工知能ティリーのアドバイスに従って生きている社会
カサンドラ(2015)*:正義のスーパーマンが存在する世界で、主人公は予知夢を視ることができた
残されし者(2011)*:ほとんどの人々が電脳化されて消えたあと、ほんの少しの集団だけが文明の残滓を食って生き残っていた
上級読者のための比較認知科学絵本(2016)*:宇宙からの信号を捉えるため、永久に宇宙へと旅立つ母
訴訟師と猿の王(2013)*:揚州に口だけで難局を乗り切る主人公がいた。その背後では猿の王(孫悟空)の声が聞こえる
万味調和―軍神関羽のアメリカでの物語(2012)*:19世紀のアイダホ準州に住んだ中国人たちが語り聞かせる、中国の古典関羽の物語
『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」(〈パシフィック・マンスリー〉誌二〇〇九年五月号掲載)(2014):
巨大飛行船が健在な並行世界の現代、長距離輸送を生業とする中国人・アメリカ人の夫妻に同行するジャーナリストが書いた紀行文
*:初訳
本書の作品にはいくつかのパターンがある。一つは中国の物語「草を結びて環を銜えん」「訴訟師と猿の王」で、揚州大虐殺(満州族=後の清国による都市住民の虐殺で、死者20万とも80万ともいわれる)の時代の一断面を切り取る。また、「万味調和」はアメリカ西部開拓期に、中国から肉体労働者として大量に送り込まれた中国人たちを描いている。日系人強制収容より半世紀以上前のお話だが、当時の中国人差別(家族の呼び寄せや、現地での結婚まで禁止された)は、はるかに過酷だった。ただ、これらは告発ではない。時代を生きたであろう人々の、鮮やかな点描が深い印象を与える。「存在」「シミュラクラ」「ループの中で」は、今ではありふれたガジェット(テレプレゼンス、AR、ドローンAI)と、それに翻弄される家族の心情を描いたものだ。スチームパンク風の「烏蘇里羆」「『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」」では、後者の中国人妻が語る思いと物語の混淆がすばらしい。
アイデアという点では、ケン・リュウには誰もが驚くような奇想はないだろう。しかし、そこに加えられた主人公たちの思いには、他の作家が成しえなかった深みがある。父と子、母と子、妻や子どもと自分に対する思いは東洋的で、アメリカと中国を知るケン・リュウだからこそ書けたSFといえる。表題作「母の記憶に」は、別視点から書かれた「美亜に贈る真珠」(梶尾真治)である。「美亜…」では時間飛行士を訪れる恋人はあくまでも客観的視点で描かれたが、本作では主人公の一人称なのだ。変わらない母親に対し、子が思うさまざまな情念が心を打つ。