2015/4/5

 1935年に生まれ、横浜本牧で育った著者の、70年に及ぶ推理・幻想小説との関わりを描いた自伝である。これまで、同じ出版社から『戦後創世記ミステリ日記』(2006)、『幻想と怪奇の時代』(2007)、『幻想怪奇譚の世界』(2011)が出ている。これらは、主に過去に発表された評論や書評を再編集したものだった。本書でも「ミステリマガジン」連載部分を含むが、全面的に改稿されている。特に大学時代から作家専業になるまでの詳細な半生の中で、大伴昌司や平井呈一らとの関わりは興味深い。大伴昌司については、怪獣図鑑や少年マガジンの図解など、SF関係からの評価が高かったが、もともと怪奇ものに対する思い入れが深かったことが分かる。

 著者は、厳格な父のもとで育ち読書狂だった。戦時下に変わる直前、連載小説『怪人二十面相』に熱中した。集団疎開から帰ると、実家は空襲で全焼、父親は戦後を待たず死去する。その後、新生中学から慶應義塾高校に進学、当時ブームだった文学全集を読みふけり、早川のポケット・ミステリと出会う。大学では、出来たばかりの推理小説愛好会に、映画研究会で知り合った大伴昌司と参加する。顧問は、医学部教授でもあった作家の木々高太郎だった。就職先は今ならば法規違反のブラック企業、勤める傍らSRの会の月刊同人誌「SRマンスリー」に連載を開始する。病気持ちで就職できなかった大伴は、取材力が抜群で誰とでも親しくなることができた。やがて、平井呈一監修を得て日本初のホラー同人誌「THE HORROR」を出し、幻想怪奇文学へと嵌っていく。

 この後、久保書店「マンハント」の連載など、三冊の著作を出した後に文筆業に転身する。著者はSFでいうと、ちょうど筒井康隆、眉村卓らの第1世代と同年代になる。SFと違ってミステリは、1950年代後半頃には一大ブームを形成しており、例えば旧《ハヤカワSFシリーズ》(当初《ハヤカワ・ファンタジー》)が生まれた1957年時点で、《ハヤカワ・ポケット・ミステリ》は、既に300冊近くが刊行済みだった(多い年は80冊を出版)。それだけ需要は増えていたのだが、一方怪奇幻想の分野はマイナーなままで出版も進まなかった。12歳年下の荒俣宏との出会いから、新人物往来社版ホラーアンソロジイ『怪奇幻想の文学』(1969-70/77-78)が出たこと、雑誌「幻想と怪奇」(1973-75)の創刊、さらに国書刊行会《世界幻想文学大系》(1975-86)の編集方針が明らかにされる。平井呈一とは、その出会いから風貌までが詳しい。昨年11月に出た荒俣宏『江戸の幽明』でも、一章(第15章)を費やして、平井と永井荷風とのエピソードが記されている。同人誌で起きたアマチュアのエピソードが、世界有数の叢書でもある幻想文学体系に繋がっていく過程が面白い。

 

2015/4/12

倉田タカシ『母になる、石の礫で』(早川書房)

Cover Direction & Desigh:Tomoyuki Arima、Illustration:Hirotaka Tanaka

 著者は1971年生まれ。文学フリマに出した同人誌が見いだされ、大森望『NOVA2』(2010)や『量子回廊』でデビューしている。本書は第2回ハヤカワSFコンテストの最終候補作5作中の1作で、審査委員である東浩紀が強く推した作品だ。

 いつかわからない未来、アステロイドベルトに独自の思想を持つ移民者たちが住んでいた。彼らは脳だけの存在で、体は生体、機械を区別せず、目的に応じて変化させる。それを作りだすのが、3Dプリンタのような自動生成装置「母」である。物語は、〈始祖〉から作られたが、反発して生きる第2世代〈二世〉の子供たちを中心に描かれる。今しも、彼らの世界は、母星からの侵攻によって脅かされようとする。

 表紙には(意図的にそう描かれた)普通の男女のイラストがあり、確かに本書の主人公たちの会話はそんな感じだ。しかし、〈二世〉の外観は全く異なる、まさに異形の生き物なのである(誰もがサイボーグ/キカイダー)。彼らは親世代〈始祖〉によって、目的を持って設計された(世代によって別品種となる)。3Dプリンタも、独立した機械ではなく彼らに内蔵されている。ジェンダーの区別は、もはやない(誰でも母になれる)。こういった、人間を遥かに超越した異質な社会を、ある意味ふつうの少年少女たちに投影するところが本書のポイントなのだ。そのままでは、意思疎通どころか対話すら描写不可能な存在だ。著者の現職は漫画家、イラストレータとあるが、もともとエンジニアだったのか、マンガはITの実相を捉えていて相当高度だ。直接ではないが、そういった背景もある。

 

2015/4/19

 近未来サスペンス2題。といっても、内容的には全く異なるものだ。藤井太洋『アンダーグラウンド・マーケット』は、アングラ=裏社会に流通する仮想通貨を巡る物語である。「小説トリッパー」2012年12月号掲載作を大幅に書き直し、前日譚を加え単行本化したもの(どちらも、電子書籍版の分冊が先行して出ている)。一方の機本伸司『未来恐慌』は、本来なら『未来のつくりかた』となるべきもの。近未来の破綻した日本を描くのだが、恩人である小松左京に対するオマージュを前面に出した作品となっている(著者は、第3回小松左京賞でデビュー)。

『アンダーグラウンド・マーケット』:東京オリンピックを2年後に控えた2018年の東京、不足する労働力を補うために大規模な移民政策が実施され、アジア各地からの移民が多数暮らすようになった。一方、高額な税が課せられる表社会を避けて、政府が制御できない仮想通貨とその流通を保証する決済システムが構築される。主人公たちは、収入も仕事も仮想通貨に関わる、アンダーグラウンドのITエンジニアなのだ。そこには、システムを利用しようとするさまざまな人々が登場する。
『未来恐慌』:2030年のウェブ万博に向けて開催準備を進めるチームは、スーパーコンピュータによる未来予知をメインテーマに据えていた。メンバーには若手の未来学者、官庁から出向してきた女性リーダー、大手IT企業から来たクールな美女と冴えない主人公、そして公募で選ばれた女子高生がいる。しかし、シミュレーションされた未来は明るいものではなく、迫りくる破滅を予言したものだった。

 著者と山形浩生との対談でも語られているように、『アンダー…』は日本の近未来に出現するアジア移民が溢れる社会で、仮想通貨による裏の経済システムが息づく様が描かれる。わずか3年後にそこまで変わるかという疑問はあるものの、ITだけで成り立つ仕組みなら十分あり得る。そもそも現代は、1年後すら見通せない不透明な時代なのだ。雑誌掲載版と比べると、いくつかの前提を設けながら登場人物や移民社会の背景が丁寧に加筆されており、物語の説得力が増している。アングラ=犯罪/悪とネガティブに捉えるのではなく、新しい可能性として描いた点が面白い。
 機本伸司の新作は近未来が舞台とされているが、実は1970年の大阪万博が隠れたテーマになっている。その企画には、小松左京(岡本太郎がプロデューサーだったが途中退任、小松はサブながら実質プロデューサー)も強く関係していた。1970年時点でも、未来に対する不安(科学技術は必ずしも幸福を招かない)は社会の中に内在していた。本書では未来学者の“大竹”准教授や、未来の意味を語る“中松”老人などが登場する。大竹は暗黒の未来を予見し苦悩するが、中松はあるべき「未来のつくりかた」を晩年の小松左京の思想を汲みながら語るのだ。気弱な主人公とエキセントリックな少女という、著者お馴染みの登場人物も楽しい。

 

2015/4/26

ケン・リュウ『紙の動物園』(早川書房)
The Paper Menagerie and Other Stories,2015(古沢嘉通編・訳)

カバーイラスト:牧野千穂、カバーデザイン:渡邊民人(TYPEFACE)

 古沢嘉通による日本オリジナル版。著者の短篇集はこれまで中国、フランスでは出たが、肝心のアメリカではまとめられていなかった。本書と同じ表題を付けたものが、ようやく11月に出るようだ(収録作品は異なる)。ケン・リュウは1976年生まれの中国作家。11歳で家族と共に渡米、以降プログラマー、弁護士を経て2002年作家デビュー。この多彩な経歴が作品に生かされている。「紙の動物園」は、ヒューゴー/ネビュラ/世界幻想文学大賞の三賞を受賞した唯一の作品なので、大きな話題を呼んだ。また中国SF作家の紹介も多く手がけ、劉慈欣の作品《三体》がヒューゴー/ネビュラ賞候補に挙がるなど、翻訳の技量にも定評がある。

 紙の動物園(2011):中国から嫁いできた母は英語も話せなかったが、折り紙の動物に命を吹き込めた
 もののあはれ(2012):破局した地球から脱出した恒星船で航行を揺るがす重大事故が発生する
 月へ(2012)*:亡命を求める中国難民が、弁護士に語る迫害の真相とは
  結縄(2011)*:雲南の山中、文字を持たない少数民族では、縄を結ぶことで記録が作られていた
 太平洋横断海底トンネル小史(2013)*:日米を結ぶ海底トンネルで働く一人の抗夫の語る話
 潮汐(2012)*:月が次第に近づく中、塔を嵩上げしながら潮汐を凌ぐ人々
 選抜宇宙種族の本づくり習性(2012)*:宇宙に住むさまざまな種族が考える、書くことと本の在り方
 心智五行(2012):遭難した脱出艇は、記録にない植民星で原始的な文明と遭遇する
 どこかまったく別な場所でトナカイの大群が(2011):未来、多次元に広がった世界での両親との関係
 円弧(2012)*:荒んだ人生を歩んだ少女は、やがて一つの出会いから不老不死の手段を手にする
 波(2012)*:何世代も経て飛ぶ恒星間宇宙船に、断絶していた地球からのメッセージが届く
 1ビットのエラー(2009)*:偶然が運命を決める、チャン「地獄とは神の不在なり」にインスパイアされた作品
 愛のアルゴリズム(2004)*:自然な会話をする人形を開発した女性は、次第に精神を病んでいく
 文字占い師(2010)*:1960年代国民党下の台湾、文字からその意味を教えてくれた老人の運命
 良い狩りを(2012):西洋文明が侵透する中国で、住処を追われた妖狐が見出した居場所とは
 *初訳

 本書には、テッド・チャンの短篇との関係が言及された作品が2つある。「1ビットのエラー」と「愛のアルゴリズム」だ。後者は「ゼロで割る」の影響を受けたとある。ただ、冷徹な「理」に勝つテッド・チャンに対し、ケン・リュウは「情」に優る書き方をする。結果的に作品の印象は大きく異なる。例えば、表題作は中国花嫁の悲哀(日本でもあったが、事実上の人身売買)、「もののあはれ」は悲壮感漂う最後の日本人を描いている。類型的と見なされても仕方がない設定を、あえて情感によって昇華しているのだ。「太平洋…」の日本帝国下の台湾人、「文字占い師」の二・二八事件(台湾在住者に対する国民党政府の弾圧事件)、「良い狩りを」の英国が統治する香港などなど、これらは史実の重みを背景に負いながら、物語を「情」に落とす装置ともなっている。自身が20世紀の中国を知る東洋人で、作品を総べるオリエンタリズムに違和感がないことが強みといえる。これらは、最新長編などのファンタジイを幅広く受容してもらう際に、大きなアドバンテージとなるだろう。

 
 

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