2014/3/2

コニー・ウィリス『混沌ホテル』『空襲警報』(早川書房)
The Best of Connie Willis,2013(大森望訳)

Cover Illustration:Taiko Matsuo、Cover Design:Hayakawa Design


 コニー・ウィリスのベスト選集を(例によって大部すぎるので)、2分冊とした中短篇集である。分けた関係で、原作とは並びが異なり、ユーモア編/シリアス編となっている。コニー・ウィリスの長編ではこの2つが混交しているのだから、不可分の属性といってもいいかもしれない。収録作が10篇なのに、ヒューゴー/ネビュラ賞の受賞13回という文字通りベスト・オブ・ベスト作品集だ。

 混沌ホテル(1989):文字通りカオスと化した、ハリウッド開催の国際量子物理学会会場
 女王様でも(1992):女性が解放された世界で、自然派を目指す娘と親たちが対立するが
 インサイダー疑惑(2005):詐欺めいたチャネリングで呼び出された人物とは
 魂はみずからの社会を選ぶ(1996):アメリカの国民的な詩人エミリー・ディキンスンが描く『宇宙戦争』
 まれびとこぞりて(2007):無反応な異星人たちを目覚めさせたものとは

 クリアリー家からの手紙(1982):ホロコースト後のアメリカ、主人公が見つけた一通の手紙
 空襲警報(1982):空襲下のロンドンに送り込まれた史学生の運命
 マーブル・アーチの風(1999):ロンドンで開かれた学会参加者の主人公は、地下鉄で起こる異変に気がつく
 ナイルに死す(1993):欧州からエジプトへと旅行するアメリカ人たちが、誰もいない世界に迷い込む
 最後のウィネベーゴ(1988):犬猫が絶滅した近未来、主人公はキャンピングカーで旅する老夫婦を取材する
 
 収録作中翻訳のある短篇集で読めないのは4篇、それも「SFマガジン」やアンソロジイ既訳なので、新訳とはいえ希少性は薄い。そういうことより、本書のメリットは、ウィリス作品を際立たせるパターンを個別に読めることにある。たとえば長編になると顕著に繰り返される擦れ違いドラマが、本書の場合は1つの中編小説でまとまっている。登場人物たちの思いと行動とが少しも一致しないという「混沌ホテル」のテーマは、次の「女王様でも」では娘と親との対話の行き違いに現れ、「インサイダー疑惑」「空襲警報」では事件の現象そのものに象徴的に描き出される。「まれびとこぞりて」の宇宙的な誤解や、「クロアリー家…」「マーブル・アーチの風」に見られる避けがたい真実との出会いなどは、その擦れ違いの1つの結果とも読めるのだ。代表が「最後のウィネベーゴ」であり、犬や猫がおらず、キャンピングカーも廃止される世界(こういう奇妙な未来像もウィリス独特)で、誤解の解決がなんともほろ苦い結末につながっている。

 

2014/3/9

下永聖高『オニキス』(早川書房)


Cover Illustration:丹地陽子、Cover Design:岩郷重力+Y.S


 第1回ハヤカワSFコンテストの最終候補作1篇を収めた作品集。候補作を含む書下ろし5篇からなる。著者は1975年生まれ。

 「オニキス」:時間を書き換える物質により、自在に時間線が変貌する世界を観察する主人公
 「神の創造」:自分の部屋の状態が、そのまま異世界の運命を左右するとしたら
 「猿が出る」:自分だけにしか見えない猿は、次第に進化しているようだった
 「三千世界」:平行世界から旅してきたと称する男に、ある交換条件を示された主人公は
 「満月(フルムーン)」:タイの離島の観光地で想い出す、フルムーンパーティの記憶

 新しいハヤカワSFコンテストの応募枚数規定は100枚から800枚とあり、中編から長編までを同一カテゴリで扱う。しかし中編と長編とでは、必要とされる小説の技法が異なることから、既出の受賞作/候補作とは違う印象がある。候補作「オニキス」はワン・アイデアが際立つ作品だ。時間の改変が無数に起こっているが、通常誰もそれを観測できない(観測者自身も書き換えられるから)。ところが、記憶保持装置を埋め込まれた主人公だけが、変化の前後を記憶できるのだ。いくらでもディック風に書ける話なので、曖昧なまま終わらせず1つの結末を付けた点が優れている。この他では「神の創造」、「猿が出る」がよりアイデアを絞った短編、中編「三千世界」は「オニキス」自身のユーモア編といった内容。最後の「満月」は自身の体験を書いたのだろうか。中編クラスの作品をもっと読みたいところだ。

 

2014/3/16

長谷敏司『My Humanity』(早川書房)


Cover Illustration:USi、Cover Design:岩郷重力+Y.S


 長谷敏司の4つの作品を収めた初短篇集である。この作者の特徴として、まず問題意識が正面に出て、それに小説が付いてくるという印象がある。これほどテーマが重い作品集は近年稀だろう。もちろん、想像力を刺激する魅力的なアイデアや設定があればこそ、成り立つ作品なのだともいえる。

 「地には豊穣」(2003):失われつつある伝統文化すら言語ITPで記述できる近未来
 「allo,toi,toi」(2010):終身刑の小児殺人者に、治療のため仮想人格が植えつけられる
 「Hollow Vision」(2013):22世紀初頭、軌道上で人工知能の奪取を巡るテロが発生する
 「父たちの時間」(書下ろし):廃炉処理専用のナノロボットが環境に漏出し、やがて増殖を始めるが

 「地には豊穣」では、ITPという脳のふるまいを記述する言語が登場する。これは、長編『あなたのための物語』で登場した設定だ。脳に蓄積された記憶/経験の集大成である文化そのものも、人工的に書き込むことができる。書かれた文化は、伝統的文化と等価なのか、違いに意味があるのか。「allo…」も同様だ。小児性愛による殺人者の書き換えは、脳内に奇妙な人格を生み出してしまう。その声は犯罪者自身の歪んだ願望なのか、それとも良心なのか。「Hollow…」は長編『BEATLESS』と同じ設定の宇宙編。シンギュラリティ(人間の知性)を超えた人工知能が現存する世界で、人間にはどういう居場所が与えられるのか。一方で「父たちの時間」は、原発の廃炉に使われるナノロボットによる環境汚染という、現代の福島をデフォルメした設定で書かれている。最後の作品は、子供を顧みない科学者の逃避と、暴走するナノテクとを対比的に描いており、著者の新境地と読めなくもない。

 

2014/3/23

藤井太洋『オービタル・クラウド』(早川書房)


装幀:ハヤカワ・デザイン、写真:(C)NASA/SCIENCE PHOTO LIBRARY/amanaimages


 藤井太洋の新作書下ろし長編。前作が比較的地味な設定で書かれたお話だったのに対し、本書は舞台が一気に世界全域(東京、テヘラン、セーシェル、シアトル、デンバー、宇宙)にスケールアップされたことが特徴だ。テクノスリラーという惹句にある通り、物語のスコープは直近のロケット工学と、現在考えられうるIT技術の範囲に収まる。また、表題「軌道をめぐる雲」には、複数の意味が込められているようだ。

 2020年末、民間宇宙船による初の有人宇宙旅行が行われている裏で、奇妙な現象が報告される。それはイランが打ち上げ、軌道を周回するロケットの“2段目”が、自律的に軌道を変えるというありえない現象だ。流星の情報を流すウェブ・ニュース主催者、天才的プログラマ、サンタ追跡作戦中のNORADの軍曹、CIAの捜査官、情報が隔絶された中で苦闘するイランのロケット工学者…世界に散在する彼らは、やがて1つの事件に巻き込まれていく。そして、ネットを自在に操る事件の首謀者が浮かび上がってくる。

 6年後の世界なので、国際政治の情勢は今現在と大きく変わらない。イラン、北朝鮮と悪役の顔ぶれも同じだ。ただし、本書は国家と国家の争いを描いているわけではない。民間宇宙船のベンチャー起業家と娘、直観力に優れた小さなネットニュースのオーナー、廉価なラズベリーで並列システムを組む女性ハッカー、宇宙に憧れるインドネシア人ら米軍関係者、現象を発見するアマチュアの資産家、中韓国語を自在に操る凄腕のJAXA職員、巧妙にITを駆使する工作員などなど、ほぼ全員が極めて個人的動機で行動を決めている。そういった個性/個人が、衝突/合従し合うドラマなのだ。昨今、宇宙人とのコンタクトの夢は後退したかもしれないが、ここでは巨大システム=国家抜きで、“近い宇宙”に挑もうとする実現可能な夢が描かれている。

 

2014/3/30

イアン・マクドナルド『旋舞の千年都市(上下)』(東京創元社)
The Dervish House,2010(下楠昌哉訳)

装画:鈴木康士、装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。


 2年前に出た『サイバラバード・デイズ』は短篇集だったから、本書はイアン・マクドナルド《新世界秩序三部作》からの初翻訳長編になる。三部作の舞台は、近未来のインド、ブラジル、トルコだ。本書はジョン・W・キャンベル記念賞英国SF協会賞を受賞(三部作すべてが同賞を受賞)したほか、ヒューゴー/ローカス/クラーク賞の最終候補作にも選ばれている。物語は、2027年トルコのイスタンブールで始まる。

 修道僧(ダルヴィーシュ)の館とは、オスマン帝国時代の僧院だった建物のこと。古ぼけた建物は安アパートとなっており、その周辺にはさまざまな人々が住み着いている。魔物を見るようになる自爆テロに行き合わせた男、玩具のナノロボットを自在に操る少年、弾圧を経験したギリシャ人老経済学者、刹那的な天然ガス取引に明け暮れる男、伝説の蜜人を探す画廊の女、就活に苦労する田舎出の娘。やがて、混沌としたイスタンブールの街中で、彼らは巨大な陰謀の渦に巻き込まれていく。

 上下600頁(原稿用紙1400枚相当)、6人の登場人物とその周辺の人々を含め、およそ40余名がひしめく大作。三部作では、歴史はあるが近代化が遅れた新興国が舞台となっている。そこでは、宗教/伝統が折り重なったしがらみと、外国から流入する最先端の情報が混じり合い、軋轢によるカオスを生み出している。ここで、イスラム神秘主義教団による旋舞の儀式(邦訳の意味)、トルコのEU加盟前に起こった民族事件は重い歴史を、カジュアルなナノテクや、デリバティヴとベンチャー起業による一攫千金は軽薄な最先端を意味する。そして両者を結びつけるのが、魔物や蜜人を巡る騒動である。そういう形で、イスタンブールの時間的/空間的な重層性が象徴的に表現される。本書の主人公はイスタンブールそのものなのだ。