2013/5/5

スティーヴン・キング『1922』『ビッグ・ドライバー』(文藝春秋)
Full Dark,No Stars,2010(横山啓明、中川聖、高橋恭美子、風間賢二訳)

装画:藤田新策、デザイン:石崎健太郎

 2010年に出たキングの中編集。4つの中編を収める。日本版では読みやすさが勘案されて、これまでと同様に2分冊(2013年1月、4月)で出版された。翻訳としては、長編『アンダー・ザ・ドーム』(2009)以来2年ぶりになるが、キング自身はほぼ毎年長編を発表するなど、執筆力に衰えは全く見られない。

「1922」:大恐慌前のアメリカの田舎で、農地の売買から妻を殺害した男と息子がたどった運命
「公正な取引」:夕暮れの道路に佇む、奇妙な占い師に取引を持ちかけられた男
「ビッグ・ドライバー」:急な講演を終えた女性作家は、勧められるままに荒れた近道を通るが
「素晴らしき結婚生活」:
幸福な結婚生活を送る妻は、ある日夫の恐ろしい秘密を知る

 「1922」は、古井戸に埋められた妻が、鼠の眷属を連れて付きまとうお話だ。次の作品「公正な…」では、取引の相手はもちろん悪魔なのだが、癌の余命を伸ばす条件が少し捻られている。「ビッグ…」は、微温ミステリを書く主人公が、強殺犯人にハードな復讐を企てる。「素晴らしき…」の中で、夫に犯罪の償いをさせるため、妻は計画的殺人を犯す。
 さてしかし、これらのお話からは、スーパーナチュラルな要素はほとんど感じられない。あえて、直喩的な表現で書いていないからだろう。原題から想像できるほど、救いのないお話でもない。よりリアルな表現となったのだ。一方、そういう非日常を創る幻想味が薄いため、インパクトが小さくなった。キング的エッセンス(ラヴクラフト的な深い闇)の、無味無臭の上澄みだけを読んだように思えてしまう。同じ印象を村上春樹の最新作にも持ったので、余計にそんな感想を抱いたのかもしれない。

 

2013/5/12

藤井太洋『Gene Mapper -full build-』(早川書房)


カバーイラスト:Taiyo Fujii & Rey.Hori、カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン

 本書は、原型となる電子書籍版(‐core‐と記載されている私家版)が2012年7月に先行発売され、Amazon kindleストアでベストセラーとなったものを増補改訂した決定版(-full build-)である。紙書籍版と電子書籍版が同時刊行された。著者にとって、最初の小説作品になる。震災後の2011年、情動主体で科学的な説明を蔑ろにした報道に憤りを感じたのが、本書執筆の動機になったという

 主人公はフリーの Gene Mapper=遺伝子デザイナーである。著名な種苗メーカの依頼を受け、稲の新種の実験農場で、企業名のロゴを稲自身で描くという仕事を引き受ける。しかし、社運を賭けたその農場で異変が発生する。正体不明の病害で稲が変異しているというのだ。遺伝子に欠陥があるのか、自分の仕事に瑕疵があったのか。その原因を探るため、彼は企業の代理人とともに、調査を協力するハッカーが住むベトナム、農場のあるカンボジアへと飛ぶ。

 日本の電子書籍は、紙を凌駕する規模にはない。ベストセラーでも、紙版と比べれば1桁以上販売部数が少ない。その中で本書は万に近い部数を売った(私家版でこの数字は非常に大きい)のだが、著者の公式サイトにあるインタビュー(YouTube)を聞くと、メディアでの紹介効果が一番大きくGoogleのアドワーズなどを用いた独自のプロモーション結果もあるという。アドワーズでは採算は取れないものの、効果を数値的に把握できる。著者は、もともとプログラミングを仕事にしていて、グラフィックデザインなどでDTPの基本をよく理解している。電子書籍業界の実情も分かったうえで、本書を作っている。最初の私家版で、Kindleを含め8種類のフォーマットを同時に刊行できた(スクリプトによる自動変換を多用)のは、そういったプロフェッショナルな知識があったからだ。
 さて本書だが、発端>近未来の世界観>登場人物の謎の過去>異変の真の原因、と進む展開はスリリングで、その設定の確からしさが印象的だ。文章に無駄がなく、冗長な表現が少ない。何より技術者らしく、データに基づいたロジカルな説明が良い。ただ、本書では真相部分(後半3分の1)でお話を急ぎすぎていて、全体のバランスをやや欠いているように思える。著者は最初の電子書籍版を6か月(iPhoneのフリック入力で執筆した!)、紙版を+1か月あまりで書き上げ(前掲インタビュー)、他にも長編の執筆を進めている(SFマガジン2013年6月号インタビュー)。まだまだ書きたい題材が豊富にあるのだ。次回作にも大いに期待が持てる。

 

2013/5/19

 震災の2周年、3月11日に発売されたのち、主要新聞や各誌の書評欄で多く取り上げられ、著名なレビュアによる高い評価を受けた作品だ。いとう せいこうは専業作家ではなく、小説作品は少ない。SFファンの間で話題になった『ノーライフキング』(1988)や『ワールズ・エンド・ガーデン』(1991)のあと、『去勢訓練』(1997)以降16年間はまったく発表がなかった。そのあたりの書けなくなった経緯と、本書を書くようになった契機は、公式サイトにある対談中に書かれている。

 誰もいない山上の樹に、一人の男が動けずにいる。なぜここに居るのかの記憶はないが、津波に浚われたのかもしれない。男はそこから想像するだけで聞き取れるラジオのDJとなって、さまざまな人々に放送をしているのだ。ラジオでは自分の聞きたい音楽が聴け、男の独白を聞くことができる。そして、リアルタイムの声となって反響が返ってくる。

 ケヴィン・ブロックマイヤーに『終わりの街の終わり』(2006)という作品がある。そこでは、死者の街と、生者の世界(この世)との関係が描かれている。相互に依存関係があり、生者の思い/記憶こそが死者の世界を成り立たせているという。もし生きているものがいなくなり、記憶を語り継げなくなると、死者たちも存在できない。『想像ラジオ』を聴く人々は、震災の死者たちである。しかし、生きている人々の中にも、声を聞き取れる人がいる。予期しない突然の死に巻き込まれた死者たちだが、耳を傾け語り掛けることが、彼らだけでなく生者の救済になるのかもしれないと本書は結んでいる。

 

2013/5/26

ジェイムズ・S・A・コーリイ『巨獣めざめる(上下)』(早川書房)
Leviathan Wakes,2011(中原尚哉訳)

カバー・イラスト:富安健一郎、カバー・デザイン:ハヤカワ・デザイン

 著者のジェイムズ・S・A・コーリイは、ダニエル・エイブラハムとタイ・フランクという、1969年生まれの作家の合作ペンネームだ。エイブラハムは、ドゾア&マーチンの合作『ハンターズ・ラン』の執筆者でもある。本書は受賞こそしなかったものの、ヒューゴー賞ローカス賞の最終候補にもなり、《エクスパンス・シリーズ》(人類世界の「拡張」という意味)第二部(2012)、第三部(2013予定)と書き継がれている。

 土星から小惑星帯へ氷を運搬するタンカーが、救難信号に偽装された何者かの罠に捕えられ、船ごと爆破される。生き残った副長はこの犯罪を暴くべく証拠をネットに流すが、その結果、微妙なバランスを保っていた内惑星系と小惑星帯との関係が崩れていく。戦争の気配が忍び寄る中、背後では恐るべき犯罪が進行しようとしていた。

 正義感溢れる副長は、しかし、十分な証拠もないまま戦争の火種を公表してしまう。もう一人の主人公である小惑星人の刑事は、行方不明の女性を調査するうちに精神を病み、その女性の幻影を見るようになる。彼は女性のアドバイスに従って、犯罪の真相に迫ることになる。およそ200年後の未来、人類は地球、火星、小惑星帯、最遠の天王星までに広がっている。広大な外惑星帯には億を超える人類が住んでいるが、圧倒的な較差のある内惑星と戦っても得るものはない。ただ、政治的にはどちらの陣営も一枚岩ではない。さまざまな勢力や、コントロールできないテロリストを抱えているからだ。人口100万を超える小惑星を巻き込む事件は、そんな背景で生じるのである。近未来の太陽系が、その距離間と経済的背景/必然的に生じる政治的駆け引きなどにより、リアルに描き出されている。そこに、いささか問題のある登場人物を配して、物語に起伏を与えているのだ。気になるのは、悪役の存在感が希薄すぎる点だろう。ちょっと出番が遅すぎる。