2011/5/1

Amazon『翼の贈りもの』(青心社)

R・A・ラファティ『翼の贈りもの』(青心社)
The Last Astronomer and Other Stories,2011(井上央編訳)

Illustration:後藤啓介、Direction & Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 青心社から発売された、ラファティの日本オリジナル短編集である(なぜか記載の原題と表題が異なるが、本書には相当する原書がない)。発売直後に一部ネット系書店から在庫がなくなり、(もともと発行部数/仕入部数も少なかったのだろうが)ラファティ人気の高まりを再認識させる大きな反響があった。ラファティは、昔から良く売れたわけではない。翻訳も絶版が多いのである。

「だれかがくれた翼の贈りもの」(1975):翼をもつようになった、ごく少数の人々が歌う妙なる調べ
「最後の天文学者」(1979):宇宙飛行士が火星で見たありえない出来事とは
「なつかしきゴールデンゲイト」(1958):昔を回顧するある酒場で、男が拳銃を向けたもの
「雨降る日のハリカルナッソス」(1978):いつでも雨が降りやまない陰鬱な町の名
「片目のマネシツグミ」(1979):小さな弾丸の中に作られた極小の宇宙
「ケイシィ・マシン」(1977):あらゆる酒場に設けられた、ケイシィ・マシンの生み出すものとは
「マルタ」(1958):ろくでもない男の妻であるマルタと呼ばれる女の秘密
「優雅な日々と宮殿」(1974):莫大な寄付金を繰り返すある男が、最後にたどり着いた行先
「ジョン・ソルト」(1959/1984):各州を巡業し、奇跡を起こす男の隠されたからくり
「深色ガラスの物語」(1980):ネアンデルタール人が知っていた、ステンドガラスに封じ込められたもの
「ユニークで斬新な発明の数々」(1983):自己回帰する世界で得られた究極の発明とは

 上記には、国内では随一の研究家でもある編訳者が、タルサ大学のライブラリ(原稿のアーカイブを持つ)で直接調査した執筆年を入れている。ラファティの場合、書いてもすぐに売れなかった作品が多いからだ。200頁余りに厳選された11編が収められている。全部で原稿用紙400枚程度の分量しかないため、どの作品もごく短い。それだけに、ラファティのエッセンスが込められている。翻訳者(浅倉訳、柳下訳と本書)の違いもあってか、本書からはより抽象度の高い、哲学者めいたラファティが読み取れる。ホラ噺の彼方に広がる、例えば表題作「…翼の贈りもの」の抒情性や、巻末「ユニークで…」の論理性など、これまでになかった新鮮なラファティが感じられるのである。

 

2011/5/8

Amazon『アンダー・ザ・ドーム(上)』(文藝春秋)Amazon『アンダー・ザ・ドーム(下)』(文藝春秋)

スティーヴン・キング『アンダー・ザ・ドーム(上下)』(文藝春秋)
Under the Dome,2009(白石朗訳)

装画:藤田新策、装幀:石崎健太郎

 スティーヴン・キングが書いた中でも、『ザ・スタンド』(1978)、『IT』(1986)に次いで3番目に長いとされる、3600枚余の大長編である。

 メイン州のキャッスルロックに程近い田舎町チェスターズミル。何の変哲もないこの小さな町に、ある日異変が発生する。町をすっぽりと覆う、半径10キロに及ぶ不可侵のドームが出現し、外部との物理的な接触が断たれてしまったのだ。電波やわずかな空気は通るものの、人や車の往来は不可能、既知の兵器では穴をあけることすら叶わない。しかし、変化はそれだけではなかった。閉じ込められた人々の中で、わずかな時間の間に不和の種がまかれ、やがて冷酷な独裁者が出現するのだ。

 本書のアイデアでは、小松左京などSFサイド(「物体O」)だけでなく、ホラーでも無数の小説が書かれてきた。これらを読んで分かるのは、ドーム=閉鎖空間に人間が幽閉されるという設定で、作品を書くことの難しさだ。なぜ人々の間に不和が生まれるのか、なぜ平時の秩序が簡単に壊れ、異常な警察国家が生まれるのか、裏稼業に手を染めるケチな中古車ディーラーがなぜ独裁者に変貌するのか、これらに必然性を持たせるのが大変難しい。だからこそ、1976年に構想を得てから、30年もかかって本書は書かれることになる(著者のあとがき)。さてしかし、評者が本書から連想するのは、同じアイデアで書かれた既存作品ではない。ジョージ・オーウェル「動物農場」(1945)である。オーウェルは社会主義の理想と欺瞞をこの作品(ソビエト革命にかかわった人々を、農場の動物になぞらえた)に込めたのだが、キングは、アメリカ社会やアメリカ的民主主義の矛盾を、ホラーに凝集したと見做すことができるからだ。両者に共通するのは、人間というものは、社会的規範や主義主張とは関係なく、非常に感覚的な動物なのだという点だろう。見え透いた嘘に騙され、腕力のある者に盲目的に従うのである。

 

2011/5/15

Amazon『アレクシア女史、倫敦で吸血鬼と戦う』(早川書房)

ゲイル・ギャリガー『アレクシア女史、倫敦で吸血鬼と戦う』(早川書房)
Soulless,2009(川野靖子訳)

カバーイラスト:sime、カバーデザイン:中島慶章

 全米図書館協会は毎年たくさんの賞を発表しているが、その中でアレックス賞は、中高生(12歳から18歳)向けに書かれた作品から選ばれる賞だ。本書は2010年の受賞作である。

 19世紀のロンドン、この世界では吸血鬼族と人狼族は人と共存しており、お互いの権益を守るための警察機構まで備えられている。主人公は、“魂がない”(=ソウルレス)が故に、魔力を封じる能力を持つ者として知られていた。ところがその平穏が破られる。正体不明の吸血鬼が出没、あるいは行方不明となる事件が頻発する。一体犯人はだれか、その目的は何なのか。

 吸血鬼が実在するもう一つの現代史といえば、キム・ニューマンのドラキュラ三部作などが有名だ。また、本書がスチーム・パンクであるという部分は、結末付近に登場する謎解きと関係する。とはいえ、そういう並行歴史ものや、ビクトリア時代の科学が本当のテーマではないだろう。大柄でグラマラス、イタリア人の血を引き、肌も浅黒いオールドミス(26歳)の主人公と、身分の高い伯爵ながらスコットランド育ちの田舎者人狼とのロマンス小説、というのが本書の重要な筋書きなのであり、ロマンティック・タイムズのようなロマンス小説専門サイト(ハーレクィン・ロマンスで始まるこの分野は、もはや単一のカテゴリではなく、SF/ホラー/ファンタジイの一部までを包含する一大市場に成長している)で評価されるポイントとなっている。

 

2011/5/22

 講談社の社内ベンチャーである星界社(副社長の太田克史は、尖鋭的な文芸雑誌「ファウスト」や講談社BOXの編集長としても知られていた)では、昨年9月からサイト上で小説やコミックの公開を始めていたが、本書はリアル書籍の形態をとる最初の成果物の1つ。サイトで公開された小説は、フリーで全文が読めてDRM(著作権保護機能)もないなど、意欲的な試みがなされている(ただし、著作権フリーではない)。フリーの電子版と、有料のリアル版を共存させようとしているのだ。

 25世紀、人類は太陽系全域に拡散し、木星圏と土星圏に分かれ互いに覇を競っていた。不幸な結果に終わった地球外生命との接触の後、内惑星圏は彼らに奪われてしまったのである。宇宙を航行するための手段は、異星人由来のテクノロジーから生まれたものだ。しかし、その推進/防御システムは、特殊な才能を持った若者によってしか扱うことができない。10代20代の若年者が軍の高官を務める中で、保たれていた軍事的均衡が破れようとしていた。折しも、両軍の艦隊が遭遇し交戦となる。

 和製スペースオペラでは、田中芳樹の《銀河英雄伝説》(本編1982-87)という巨人が存在するため、20年以上を経ても国家対国家以上のスケールで描かれた対抗作が出てこない(銀英伝は、そもそも宇宙版『三国志』だ)。という意味では、『星海大戦』はそういったレベルを志向した作品であるといえる。直情的な若い将軍が出てくるのも、人の寿命が短かった古代の英雄時代を再演する書き方ができるので、面白い設定ではある。ただ残念ながら本書自体は、お話のプロローグ相当部分である。もう少しまとまってから評価すべきだろう。続編は、本書の内容を含めて星界社のサイトで、随時読むことができる。

 

2011/5/29

Amazon『ブラッドベリ年代記』(河出書房新社)

サム・ウェラー『ブラッドベリ年代記』(河出書房新社)
The Bradbury Chronicles: The Life of Ray Bradbury, 2005(中村融訳)

Jacket photograph :Ralph Nelson

 1920年生まれのブラッドベリは、今年で91歳を迎える。同世代である第1世代の作家たち、アシモフ(1920-92)、クラーク(1917-2008)、ハインライン(1907-88)、親友だったフォレスト・J・アッカーマン(1916-2008)らが次々と世を去る中で、脳梗塞を患うなど苦しみながらも、なお旺盛な文筆活動を続けている。本書は、そのブラッドベリの出生から、2004年ナショナル・メダル・オブ・アーツ(米国政府が選定する文化功労賞、年に10名未満が選ばれる)授与までを描いた伝記である。著者のサム・ウェラーは1967年生まれのジャーナリストでブラッドベリの心酔者、伝記嫌いのブラッドベリを説得して膨大なインタビューを敢行(インタビュー集も別途刊行)、本書を書きあげるに至った。

 レイ・ブラッドベリは、シカゴにほど近いイリノイ州ウォーキガンに生まれた。20年代の典型的なアメリカの田舎町、けれど、この街こそ、無数の作品の原風景/メタファーを育んだところだ(墓場、湖、魔術師、平原、カーニバル、アイスクリーム)。大恐慌下、定職が得られない家庭は貧しかったが、幼いころから映画の魅力に取りつかれ、コミック バック・ロジャースに入れ込んだ。一家は仕事を求めてアリゾナ、そしてカリフォルニア/ロサンゼルスへと転居する。ハイスクールに入ると、レイは本格的な創作意欲に駆られるようになる。週に1作の短編を書く、これは生涯の日課になった。その頃アッカーマンらSFファンたちと出会い、やがて、「フューチュリア・ファンタジア」を出す。E・R・バローズなど作家との親交も得る。彼は大学には行かず、図書館を膨大な情報インプットの場に使う一方、街頭で新聞を売って生計を立てた。公正な批評を下す仲間たちにも恵まれ、最初の短編がパルプ雑誌に売れたのが1941年。処女出版(1947)がかなう前、専業作家には遠かったが、レイの短編は一般誌にも載るようになる。ラジオドラマ向けの台本(リンク先の第61話など)も書いた。1950年『火星年代記』、翌年『刺青の男』が出ると、一般誌を含め多くの注目を浴びる。映画の脚本に本格的に取り組んだ作品が、1953年の『イット・ケイム・フロム・アウター・スペース』だ。同年、当時の赤狩りと検閲を批判した『華氏451度』を出版、30年間に450万部売れるロングセラーに成長する。そのころ、敬愛する監督ジョン・ヒューストンから『白鯨』の脚本執筆の依頼を受ける。実はこの経験は、監督の悪意に悩まされる苦しいものだったのだが。ブラッドベリのイメージを決定づけた『10月はたそがれの国』が55年、『たんぽぽのお酒』が57年、ロッド・サーリングに反感を抱きながら《トワイライト・ゾーン》の一部脚本に協力、62年にはニューヨーク万博(1964-65)アメリカ館のプログラム脚本作成と、その地位を確立していく。

 こうして改めてブラッドベリの生涯を読んでみると、1960年前後には、既に『白鯨』(1956)の脚本を書くなど、ジャンルSF以外で大きな実績を上げていたことが分かる。それで直ちに裕福になれたわけではないが、一般的なSF作家たちとは一線を画していた。ラジオ、映画、万博、演劇と手がけるありさまは、小松左京や筒井康隆らの十数年後の体験を先取りしているようでもある。著作は広く青少年に読まれ、後の宇宙開発、コミックや映画など文化創造を促す動機になった。国民作家なのであり、そういった地位にあるのは多数の米国作家の中でもほんの一握りだけだ。本書はあくまでもブラッドベリを中心に描かれている。伝記であるからにはそれが当り前なのだが、ブラッドベリを取り巻く時代状況など、客観的な視点がもう少し欲しいところだ。実際本書は、一部(中西部の作家を対象にした賞)を除いて、大きな賞が取れなかった。最相葉月による星新一の伝記などに比べて、そこが物足りない点だろう。