2002/10/6

平谷美樹『呪海』(光文社)

カバーデザイン:宗利淳一
 

 処女作以来ファンタジイへの傾倒を示してきた作者は、このところ故郷を舞台としたホラーやジュヴナイルで、本来の嗜好を明確に出している。 作者をハードSF作家と定義するのは、そもそも間違いなのである。
 岩手県宮古市近郊の下津町(ちなみに、これは架空の地名)、古くは蝦夷の族長を祭る神嶋神社は、人形供養で観光客を集める平凡な神社だったが、百年に一度行われる大祭には、潮の流れで集積される百年間の穢れを祓うという重要な役割があった。しかし、大祭の予兆は凶相、神社の宮司は主人公に手助けを求める。折りしも、東京からは何かを宿らせた生人形が、大祭を目差して運ばれてくる…。
 本書は純然たるホラー。物語のルールも標準的スタイルを踏襲している。というか、あまりに手馴れた書き方なので、初のホラー長編とは思えない出来といえる。(主人公の)隠蔽された霊的能力、ビジネスライクな京都の陰陽師、不気味な人形たちの群れと、伝奇小説を思わせる舞台設定など読みどころは豊富。難をあげれば、結末の中途半端さか。あえて続編(シリーズ)を意識させる必要などなかったのでは。

bullet 岩手沖の海水温に関するHP
bullet 人形供養で知られる淡島神社 (和歌山県)のHP
bullet 『君がいる風景』評者のレビュー
 

2002/10/13

R・A・ラファティ『地球礁』(河出書房新社)
The Reefs of Earth(1968)、柳下毅一郎訳
カバー画:ジェームズ・アンソール「陰謀」(1890)
 

 同じ年に、長編を一挙3冊刊行して華々しく登場したラファティ。本書は、その中の1冊にあたる。作家デビューは45歳。60年代という、SFの若かった時代では例外的に遅い(副業作家では、ティプトリーのように50代で登場する作家もいる)。まあ、それにしてもラファティを表現するのは難しい。60年代であればこそ、SFにしか分類のしようがなかった作品は、今日の基準でも当てはまる分野が思いつかない。ファンタジイでも冒険小説でもミステリでもなく、マジックリアリズム(ちょっと違う)でも、ジャンルミックス(だいぶ違う)などという単純なものでもない。
 地球のとある田舎町に、異星人プーカの一家が住んでいた。6人の子供と幽霊、大人が3人。しかし大人たちは、強度の地球アレルギーによって狂い(死に)つつあり、地球に適応した子供たちは、地球人を皆殺しにして、世界をより良くしようと計画を練っていた。ある日、町の有力者が殺され、一家の主人が犯人の濡れ衣を着せられる…。
 プーカ人は、独特の詩を唱えることで、相手に呪いがかけられる。死者と生者の区別なく話ができ、地球的な倫理観にはとらわれない。いや、そういう意味ならば、本書に出てくる地球人も常識を持ちあわせていないように見える。しかし、本書が陰惨なお話かというと、ちっともそうではない。
 ラファティを本格的に読み解く場合、さまざまな見方が必要になる。アイルランドの民話(アイルランド語が多数ちりばめられた法螺話)、カソリック信仰の影(悪魔の実在を信じていた)、SFを書き始める動機となった禁酒の影響(大酒喰らいの幻覚)。しかし、おそらくこれらの内容はラファティの無意識にあるものだ。読者がその深みに踏み込む必要はない。上澄みの奇想が楽しめれば十分である。
 はじめてラファティを読まれる方には、まず(入手可能な唯一の)短編集『九百人のお祖母さん』をお勧めする。そこでは、奇想アイデアが、とりあえず1アイデア1作品にまとめられている。長編でも、構造は同じなのだが、1アイデア1章では、なかなか長編としての結構が見えにくい(もともと、結構などないのかもしれない)。地球人の常識である、“一貫したお話”ではないことを、承知の上で読むべきだろう。

bullet 『どろぼう熊の惑星』、『トマス・モアの大冒険』評者のコメント
bullet 『つぎの岩につづく』評者のコメント
bullet 『20世紀SF(3)(4)』評者のレビュー
ラファティに対する言及あり
bullet ラファティ・ファンサイト(英語)
独自評価付リスト、系図などもある。
bullet ラファティ・ファンサイト(日本語)
 

2002/10/20

村上春樹『海辺のカフカ』(新潮社)

カバー撮影:大高隆、装幀:新潮社装幀室
 

 村上春樹の最新長編にして、(この著者では当然ながら)ベストセラー。ファンタジイの要素を色濃く反映する物語である。文藝評論の立場からは、既に多くの論考が出ているので、ここではもちろんSF読者的視点でのレビューとなる。
 15歳の主人公は、学校にも家庭にも居場所がなかった。彼はある日家を出、四国高松の郊外にある私設の図書館にたどり着く。図書館には、中性的な魅力を持つ司書と、中年の女性館長がいた。そこで寄宿する彼の前に遠い過去の幻影が姿を見せる。一方、60年余り前の不可思議な事件で、あらゆる記憶を失い、かわりに猫と話せるようになった老人がいた。老人は、形もなく名前もない超自然的存在に導かれ、少年の近くまで旅をする。扉を開き、ある邪悪な存在を呼び出すために…。
 “邪悪な存在”というのは、村上春樹の他の作品でも垣間見える悪の象徴。著者がラヴクラフトやスティーヴン・キングに精通していることは、昔から知られているが、そこでの純粋な悪=邪悪な存在と、ほぼ等価なものと考えて良いだろう。つまり、全く妥協のない異質なもの、そもそも人類とも無関係な悪である。それらと、幼い少年を捨てた母、子を顧みない父(両親に対する思いは、少年の空想の中にしかない)という現代家庭の暗黒面や、父に教え込まれた「オイディプスの呪い」(父殺しと母との姦淫)に拘束される主人公の心理により、物語は構成されている。
 さて、本書が教訓的なお話かといえば、たぶんそうではない。 成長の物語というより、空虚さを満たすものを探求する物語である。老人と少年は最後まで交わることがない。すれ違ったまま、けれども、それぞれ別の意味で満たされて終わるのである。

bullet 『海辺のカフカ』公式サイト
新潮社による期間限定サイト(期限2002年12月)
bullet 『ダンス・ダンス・ダンス』評者のレビュー
bullet 『ねじまき鳥クロニクル』評者のコメント
bullet 『スプートニクの恋人』評者のレビュー
 

2002/10/27

飛浩隆『グラン・ヴァカンス』(早川書房)

Cover Direction & Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。
 

 著者10年ぶりの作品にして、初の単行本、処女長編。出版忽ち話題沸騰、傑作との評価も高い。
 数値海岸――そこは、仮想空間に構成されたリゾートである。“長い夏休み”と名付けられた区界は、永遠の夏にまどろむ港町を演出する。町にはさまざまな役割を担った人工知性体(AI)が、ゲストの到来を待ちながら生活を送っている。しかし、千年もの間、ここを訪れた観光客はいない。一体、数値海岸の外では何が起こっているのか。なぜ、彼らの世界が維持されているのか。そんなある日、一人のAIが、風景の“綻び”に気がつく…。
 “AI”といっても、ここで書かれているのは、類作でイメージされている、プログラムとしての人工知能とは異なるものだ。彼らは、人間そのものであり、自覚的に自らの役割を解明し、やがてリゾート自体の矛盾点を知る。 電脳空間の扱いも、サイバーパンク以来の伝統的スタイルとは違う。敵の侵入を防ぐ“結界”の張り方や、魔物と等しい変幻自在の存在など、魔法の要素を取り入れた舞台である。時間を食い荒らす化け物といえば 、スティーヴン・キングの『ランゴリアーズ』だが、この世界もランゴーニという仮想空間の外から来た侵入者に食われていく。電脳空間が食われるという発想はユニークだろう。
 本書で重大な役割を果たす「ドリフトグラス」(流れ硝子)は、ディレーニイが書いた、60年代を象徴するほろ苦い青春SF。リゾートに忍び寄る破壊者は、バラード『コカイン・ナイト』を連想する。 世界のありさまは、サイバー・スペースの原型ともいえる、ヴァーナー・ヴィンジ『マイクロチップの魔術師』に似ている。何箇所かで、ニュー・ウェーヴを思わせるとの指摘があるが、こんな言葉の使い方に、レトロなSFを感じるのかもしれない。

bullet 『飛浩隆作品集』のサイト
同人誌版作品集。著者が本書を書くきっかけとなった。
bullet 『コカイン・ナイト』評者のレビュー
bullet 『マイクロチップの魔術師』評者のレビュー
bullet Jコレクションバナー
 

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