|
||||||
カプコンのゲームをベースに、ポール・(W・S・)アンダースンが脚色した映画の小説化。牧野修はこれまで何作かのノヴェライゼーションを書いており、そういう意味での目新しさはないものの、『鏡の国のアリス』からの引用をちりばめた構成に期待を感じさせる。
|
|
||||||||
NHKの「少年ドラマシリーズ」(1972-83)のような作品、という注文で書かれ、まさしく意図どおりに出来上がっている。
|
|
||||||
カメ、ザリガニ、ときてイカですか。
|
|
||||||
1月に出た本。前作『信長―』(99年12月、下記)は、信長が両性具有者(アンドロギュヌス)であり、「牛(くだん)」を介してローマ皇帝ヘリオガバルスとつながるという驚天動地の物語であった。
同様に本書では、豊臣秀次が西洋から持ち込まれた錬金術を介して、ジャンヌ・ダルクの戦友であり、錬金術にのめり込んで処刑されたジル・ド・レ(青髭公)に連なるという
、驚異のお話が展開される(そして、ジル・ド・レが、錬金術で蘇らせようとしたものの正体も明かされる)。
|
|
||||||
6月に出た本。大野万紀推奨ということもあり読んでみる。94年高校生でデビューし、小松左京、笹本祐一を師と仰ぐ作家。60年代生まれの世代までは、まあ“ちょっと”若いぐらいといえなくもないが、70年代以降の“かなり”若い世代に属する。01年SF新人賞の、吉川良太郎と同世代になる(ちなみに、02年の新人賞作家は60年代)。 太平洋を渡る大型船舶が、何ものかに襲われ沈められる。主人公たちは、民間会社の深海探査艇パイロットである。探査艇の目的は、深海に眠るメタンハイドレート層の調査。しかし、海に潜んでいたのは、資源だけではなかった。謎の物体は、重武装の軍艦にまで襲いかかってくる。探査艇チームにも、その正体を暴く任務が課せられたが…。 海洋冒険もののオーソドックスなスタイル(未知の現象による船舶の事故)、詳細な描写(メタンハイドレートから深海の様子、船舶のスペックまで)、結末の壮大なSF的説明(本書の表題の意味)が見どころか。ヤングアダルト系ハードSF作家(といっても数は少ない)に共通して見られる特徴といえる。オーソドックスとはいえ、いまどきの作品の中では新鮮に見えるのだから、狙い目として正しいだろう。後半の盛り上げに比べると、最後の説明はやや走りすぎか。
|
|
||||||||||
10月発売予定のコニー・ウィリス渾身の大作。発売前の本を読む経緯は大森日記の8月30日参照。2000枚、サラリーマン的通勤読書時間換算で1週間(約11時間強)を要する。後になるほど加速可能。 たとえばスティーヴンスンのように、物語のどこが幹でどこが枝かすら定かでない作家から比べると、大作とはいえウィリスの作品は極めてシンプルである。あらすじ=物語全体でもある。しかし、その重層感(何重にも塗り固められた緊密なストーリー)は、単純な梗概ではなかなか伝え難い。 認知心理学者の主人公(女性)は、とかく神秘主義に陥りがちな臨死体験(瀕死の状態から生還した患者の多くは、共通した体験=風景の記憶を持っている。それを臨死体験:NDEと称する)に、科学的な意味付けをしようと、体験者のインタビューを続けている。偶然、脳内の活動を画像解析する装置(RIPT)で、NDEをシミュレーションする神経内科医と知り合い、ついには自身を実験台とする…。 ここから、 第1の謎:NDEでかいま見える風景は、「あるところ」だった。 第2の謎:「あるところ」は、なぜか多くのNDEに共通した風景だった。 第3の謎:その風景が選ばれる理由は、生命の「ある作用」との暗合からだった。 それぞれの謎の解明が、第1部から第3部までの流れとなる。そもそも『航路』という題名自体が「謎」そのもの。本書は、マシスン『奇蹟の輝き』のような神秘的なお話ではない。NDEで現出される世界は、幻覚とも現実とも明示されない境界線上にある。その一方、謎の解明が科学ではなく、文学的天啓による点が、作者一流の皮肉とも読めて面白い。さらに、第3部の直前では、こういう設定だからこそ許される大転回が描かれる(こんな調子なので、ネタバレ抜きの紹介が書けません)。第3部は、冒頭で明らかにされた「ある作用の謎」が再発見される倒叙型展開(刑事コロンボのように、犯人が分かっていて、証拠を見つけるドラマ)。ここがクライマックス部分でもある。 登場人物は、概ねコミカルで常識はずれ(映画的で分かりやすい性格付け)。いつものウィリス調だが、物語に余計な緊張が生じず楽しめる。人の死に密接に関連する臨死体験は、死に対する恐怖や悲しみが伴うがゆえに、過度に美化されたり神秘化される。ウィリスの解釈はそのどれとも異なるけれど、死/生への尊厳という意味では共通かもしれない。
|
|
||||||
自選傑作選の3巻目。パロディ編とあるが、具体的な原作に対するパロディは少なく、短歌やジャズなど形式自体を対象にした、実験的なものが多く含まれている。収録作(発表年)と、最初に収められた単行本との関係は以下のとおり。
ツァラトゥストラブームからヒントを得た「火星の―」や、『日本沈没』ブームに由来する「日本以外―」は、一見その作品に関係するかのように見えるが、中身はまったく異なっている。注目すべきは、小倉百人一首のパロディ「裏小倉」が、解釈や意味よりも、短歌の発音を巧妙に別の音に置換したものである点。ポイントは、言葉自身の持つ“音楽”(リズム)になるだろう。無意味な会話の連続「フル・ネルソン」、人の名前の連鎖「バブリング創世記」、さらに「読者罵倒」も、声に出して読み上げれば“音”の緻密さを再認識できるはずだ。 お話でも、風刺でもない独特の世界を知ることができる。
|
|
||||
キングの作品にしては、短く簡潔にまとめられている。登場人物も、事実上1人。離婚した母に、兄(母と仲が悪い)とともに育てられている9歳の少女が、
アメリカ東部のアパラチア自然遊歩道で道に迷い、深い森の奥で、レッドソックスのリリーフ投手トム・ゴードンのラジオ中継を頼りに生き抜く9日間の物語。森といっても、アメリカの森は広大。実は本書の舞台となるアパラチアの森は、アメリカでも最大の原生林なのである。 遊歩道に戻れなくなった少女は、食料や水が尽きてくるにしたがって、何ものかの存在を感じるようになる。それは、彼女を監視し、どこまでも追跡してくる。さまざまな幻覚 =死の象徴も見える。けれど、純白のユニフォームを着たトム・ゴードンが現れ、アドバイスを与えてくれる。トムは、超自然の力にも対抗できるだけのパワーを授けてくれるのである。 ある意味で、見え見えの教訓話のように思えるが、読んでいる間はそうと感じさせない。現代的な悩みを抱える軟弱な少女が、自然に潜む邪悪な存在に勝ってしまうところが痛快。
|