GAINAX統括本部長(肩書きはともかく、事実上の創業者)である武田康廣の自伝的エッセイ。まだ45歳の人間が、なぜ今頃こんな本を出すのかという疑問がまず浮かぶ。事実、そのような感想をネットで見かけることもある。ここで注目すべきなのは、エヴァンゲリオンを前面に出す企画本でありながら、半分以上を占めるのが“SF大会”の話題という点。そしてまた、武田康廣が、20年間で都合4回の日本SF大会を(事実上)主催するという、空前絶後の記録を打ち立てた人物であること。映像系グループの主催者で、活字SFもカバーする最後の世代でもある点。今では互いの分野が広がりすぎていて、両者ともに網羅できるファン/プロが少なくなった。カバーすることにこだわる人間も希少だ。エヴァの切り口だけなら、本書が活字をルーツとしたSF大会から説き起こされる必要はない。第2部の東京編だけで十分なのである。
東京のSF大会系ファン(本書の中では、主に活字系ファンのように書かれているが、当時の大会主催者の多くは、そもそも読書家でも研究家でもない)への反発で始まったSFショーとDAICON3、最大限のショーアップを志向したDAICON4とDAICON FILMの設立までが大阪編。冒頭に置かれた集合写真は、DAICON4(1983)終了時の大阪厚生年金会館だろう。コミケ以前の大会では、活字ファンもアニメファンもひとからげでSFファンだった。全てを集められた史上最大で、かつ最後の大会だったといえる。前年には、幽霊団体委任状による「ファングループ連合会議議長奪取事件」まであって、アングラからスタートした武田康廣は、ファン活動の頂点に上り詰めた。とはいえ、ゼネプロ以外のファンにとって、この行動が暴力と映ったのも事実だ。
3回目のSF大会MigCON(1988)については、評者はあまり知らないし、本書でも簡単に触れられているのみである。SF大会を途絶えさせないため(立候補済みの予定団体が空中分解した)という使命感から短期間で準備された。その後、ゼネプロの解散、アニメは好評でも赤字続きの低迷期、菅浩江との結婚、岡田斗司夫の退社、エヴァによるブレイク、脱税事件、そして4回目の大会、第40回SF大会(2001)主催へと続く。
客観的に見れば、SF大会は単なるアマチュアのお祭りに過ぎない。しかし、著者にとって、SF大会は自身の存在証明として常に存在した。そうであるから、DAICON3以来20周年目に、日本SF大会の主催がある。このようなこだわりや経緯は、筒井康隆のSHINCONとよく似ている。たとえば、DAICON FILMはネオ・ヌルと同じ位置付けと見なせる。
Undocumented な話題は、そういう性格上控えめ。特に東京以降は簡潔に書かれている。菅浩江が山田花子状態だったとかのウラエピソードが、座談会の方に(ほんの少し)書かれていたりする。
|