2002/5/5

牧野修『傀儡后』(早川書房)

Cover Direction & Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。 Cover Illustration:藤原ヨウコウ
 

 著者初の連載長編小説(SFマガジン掲載)。20年前、大阪北部に隕石群が落下し、以来立ち入ったものが誰一人生還できない“ゾーン”が形成される。周辺地帯からは、麗腐病と呼ばれる奇妙な病気が発生し、発症者は未帰還ゾーンへ引き寄せられていく。ゾーンの周辺には、奇怪な人物たちも集ってくる。服飾デザインの天才少年、弟を亡くした探偵=病理学者、皮膚接触型の麻薬を扱うヤクザ、隠然たる影響力を誇る2人の老人、ゾーンの支配者傀儡后。そして、執拗に繰り返される皮膚感覚の意味。
 近未来の大阪を舞台にしているようだが、著者のエッセイなどを読むと、これはもうひとつの現在を描いているようでもある。たとえば、お話にある「20年前」を今から起算すると80年代になり、著者の作家活動の原点がある。
 主要な登場人物の1人が服飾学園の生徒であったり、傀儡后の手下が<クチュール>と呼ばれたりする。肉体の表面を覆う服、着ぐるみとなった皮膚、皮膚そのものの麻薬性など、体を覆うものに対する執拗な繰り返しが、本書の全般を構成する大きな特徴となっている。同じような作品である、ベイリー『カエアンの聖衣』やマシスン「服こそ人なり」よりも、(発想は似ているが)感覚的な深みに近づいているようだ。中身ではなく表面こそがすべてとする概念は、京都SFフェスティバルのパネルでも、著者自身によるナイロン(ストッキング)に対するフェティッシュとして語られていた。
 もう一つの特徴は、本書の中に横溢する神林長平的なもの(登場人物)や、山田正紀的なもの(ほとんど解決不可能と思える巨大な謎の追求)にあるだろう。言い換えれば、著者のあらゆる原点が含まれていることになる。あえて結末をつけず、破天荒な展開を目指したという物語は、他の諸作に較べても混沌に満ちており、終幕で得られたもの(父親と息子との葛藤)が一体何だったのかの謎を一層深めている。

bullet 著者のファンサイト
bullet 大阪府守口市周辺の地図
半径5キロ以内は特別危険指定地域。守口市は小林泰三の勤務先だが、意味があるか否かは不詳。中央から左下方向(5キロ圏の境界付近)が大阪城公園にあたる。とはいえ大阪の地形はさほど重要ではない。
bullet 『忌まわしい匣』評者のレビュー
bullet 『病の世紀』評者のレビュー
bullet 『呪禁官』評者のレビュー

2002/5/12

北野勇作『どーなつ』(早川書房)

Cover Direction & Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。 Cover Illustration:西島大介
 

 本書は、かつてSFマガジン誌上で公募されていた、第16回ハヤカワ・SFコンテスト(1990)の応募作「Dancing Electric Bear」がベースになっている(この賞は、翌年に森岡浩之、松尾由美らを輩出した後、92年で中断された)。
 冒頭、百貨店の屋上でゲームに興じる男の子が描かれる。少年は父親に連れられてくる。そこは、半径5キロのドームに閉じ込められた世界である。中に入るためには、ゲームマシンと同化して進入経路を「知る」必要があった。けれど、ゲームの度にゲーマーの脳は変質していくと噂されている。屋上のペットコーナーにはアメフラシがいる。
 そして、
  2.台地にある倉庫で働く、人工知熊とその乗り手、
  3.火星改造のため、アメフラシを研究する科学者、
  4.社長室に逃げ込む、展示物である脳、
  5.異星人と戦う基地を描く番組と、セットを作る会社、
  6.落語(あたま山)を演ずる科学者、失われた関西の記憶、
  7.社長室での団体交渉、脳だけの社長、
  8.引きこもりの熊の乗り手、その子供である男の子、
  9.あたま山を目指す熊、異星人との戦い、
 10.ヒトでなくなるものを作ることで、達成できる惑星改造、

 と、合計10のエピソードで物語は構成されている。これらは、お互いが微妙な矛盾を抱えながらつながりあっている。
 北野作品は「どこか、なつかしい作品」と称されることが多い。ただ、評者にはこの「なつかしさ」というのは、海岸(須磨海岸か飾磨の遠浅の海岸か)に転がっている、錆びた自転車のスポークのように思えてくる。要は、60年代SFに多く見られた、ニューウェーヴ(NW)の雰囲気である。錆びた自転車の持ち主は誰で、なぜここにあるのかを考えても、答えのない、どうでもいい謎の世界。細切れで、時間的因果関係もクライマックスも崩壊した世界。SFファンの心の故郷は、何も50年代SFばかりではない。さらに、NW的で“ドラマチックではない”世界と、独特の閉塞感を伴う70年代の世界との接点をも感じさせてくれる。まるで20世紀SFの60-70年代編のようでもある。

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著者の公式サイト

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虚航船団パラメトリックオーケストラの公式サイト

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ハヤカワ・SFコンテストのリスト
1961-64年(眉村卓、豊田有恒、半村良、筒井康隆、小松左京ら)、74年(かんべむさし、山尾悠子ら)、79-92年(野阿梓、神林長平、大原まり子ら)の3つの時期に分かれる。

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『かめくん』評者のレビュー

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『ザリガニマン』評者のレビュー

 
武田康廣『のーてんき通信』(ワニブックス)

表紙イラスト:青木光恵
 

 GAINAX統括本部長(肩書きはともかく、事実上の創業者)である武田康廣の自伝的エッセイ。まだ45歳の人間が、なぜ今頃こんな本を出すのかという疑問がまず浮かぶ。事実、そのような感想をネットで見かけることもある。ここで注目すべきなのは、エヴァンゲリオンを前面に出す企画本でありながら、半分以上を占めるのが“SF大会”の話題という点。そしてまた、武田康廣が、20年間で都合4回の日本SF大会を(事実上)主催するという、空前絶後の記録を打ち立てた人物であること。映像系グループの主催者で、活字SFもカバーする最後の世代でもある点。今では互いの分野が広がりすぎていて、両者ともに網羅できるファン/プロが少なくなった。カバーすることにこだわる人間も希少だ。エヴァの切り口だけなら、本書が活字をルーツとしたSF大会から説き起こされる必要はない。第2部の東京編だけで十分なのである。
 東京のSF大会系ファン(本書の中では、主に活字系ファンのように書かれているが、当時の大会主催者の多くは、そもそも読書家でも研究家でもない)への反発で始まったSFショーとDAICON3、最大限のショーアップを志向したDAICON4とDAICON FILMの設立までが大阪編。冒頭に置かれた集合写真は、DAICON4(1983)終了時の大阪厚生年金会館だろう。コミケ以前の大会では、活字ファンもアニメファンもひとからげでSFファンだった。全てを集められた史上最大で、かつ最後の大会だったといえる。前年には、幽霊団体委任状による「ファングループ連合会議議長奪取事件」まであって、アングラからスタートした武田康廣は、ファン活動の頂点に上り詰めた。とはいえ、ゼネプロ以外のファンにとって、この行動が暴力と映ったのも事実だ。
 3回目のSF大会MigCON(1988)については、評者はあまり知らないし、本書でも簡単に触れられているのみである。SF大会を途絶えさせないため(立候補済みの予定団体が空中分解した)という使命感から短期間で準備された。その後、ゼネプロの解散、アニメは好評でも赤字続きの低迷期、菅浩江との結婚、岡田斗司夫の退社、エヴァによるブレイク、脱税事件、そして4回目の大会、第40回SF大会(2001)主催へと続く。
 客観的に見れば、SF大会は単なるアマチュアのお祭りに過ぎない。しかし、著者にとって、SF大会は自身の存在証明として常に存在した。そうであるから、DAICON3以来20周年目に、日本SF大会の主催がある。このようなこだわりや経緯は、筒井康隆のSHINCONとよく似ている。たとえば、DAICON FILMはネオ・ヌルと同じ位置付けと見なせる。
 Undocumented な話題は、そういう性格上控えめ。特に東京以降は簡潔に書かれている。菅浩江が山田花子状態だったとかのウラエピソードが、座談会の方に(ほんの少し)書かれていたりする。

bullet 著者のページ
GAINAXサイト内の著者日記ページ
bullet DAICON3,4関係についてのInfinite Summer記述
その他、筒井康隆SHINCONの記述は冒頭よりお読みください。

2002/5/19

スティーヴン・キング『アトランティスのこころ(上下)』(新潮社)
白石朗訳、Hearts in Atlantis, 1999
装幀:新潮社装幀室
 

 そのころ、アトランティス大陸はまだ沈んでおらず、人々はみなアトランティスの言葉を喋り、アトランティスのこころを宿していた――もちろん、本書は何万年も昔を描いた物語ではない。舞台は1960年代、 しかし、時代を生きた人々にとって、それぐらい“昔”の時代だった。
 本書は、5つの中短編からなる作品集である。構造的には、主人公たちの少年時代を描いた最初の中篇(1960年を描く)、中篇に登場した人物たちのその後を描く4つの短編(1966年、83年、2つの99年)から成っている。
 父を亡くし、母親に育てられた11歳の主人公。彼の住むアパートに、ある日一人の老人が越してくる。老人は、彼に本の楽しみを教えてくれる。シマック(ちなみに本書で紹介されている『太陽をめぐる輪』は、初期長編で未訳)、『蠅の王』(ゴールディング)、『呪われた村』(ウィンダム)…。しかし、老人は奇妙な頼みごとをしてくる。街にやってくる“下衆男”たちの兆しを探し出せ、というのだ。物語は、老人と少年との交歓を軸に、少女の初恋や、年上の中学生による暴行事件を交えて、ようやく大人の入口に立った主人公の期待と不安を描き出す。その不安は、実は下巻全体を覆いつくすヴェトナムの暗雲を予兆させる。 たとえば、大学生になった少女の運命、少女を暴行した中学生の運命、少女の友人だった少年の運命は、すべて戦争に覆いつくされる。そして1999年、主人公は再び故郷の町に帰ってくる。
 ヴェトナム戦争は、過去の文化を根こそぎ葬り去った。本書上巻は、その前の時代(アトランティスが沈む前の時代)を色濃く反映している。キングのファンタジイ《暗黒の塔》シリーズを匂わせているが、他のキングの作品と同様、物語に大きな影響を与えるほどではない(暗喩と見なしても問題ない)。下巻の諸作は、戦争の切迫感と運命の過酷さを強調している。そもそも、本書がなぜ 《暗黒の塔》と関係があるのかというと、同シリーズがアメリカの60年代以降の現代史と、密接に関連しあっているからである。
 ちなみに、映画版は、主に本書の第1部(1960年)と、最終章(1999年)を描いたものと思われる。

bullet 著者の公式HP
bullet 映画(ワーナー本社)の公式HP
bullet 『ジェラルドのゲーム』評者のレビュー
その他、コメントは多数ありますが、検索をご利用ください。
bullet 『デスぺレーション』『レギュレーターズ』評者のレビュー
bullet 『いかしたバンドのいる街で』評者のレビュー
bullet 『骨の袋』評者のレビュー
bullet 『ザ・スタンド』評者のレビュー

2002/5/26

スティーヴン・キング『小説作法』(アーティストハウス)
池央耿訳、On Writing A Memoir of the Craft, 2000
装幀:菊地信義
 

 昨年10月に出た本で新刊ではない。上記『アトランティスのこころ』とも関係するので、触れてみたい。『小説作法』とあって、ハウツー風に見えるが、本書の半分以上を占めるのは、自身の作家生活(幼年時代は、『アトランティス』そのもの。作家になってからの苦しみは『骨の袋』)に関する記述である。いかに書いてきたか、いかに作家になったか、作家とはいかにあるべきかが記載されている。
 キングは、「構想」を重視しない。ここでいう「構想」とは、作品のプロットやシノプシスに相当する部分であり、本来ならば小説の骨格にあたる。第一に考えるべきは、登場人物の行動の動機と会話である。会話が生き、人物が生きてくれば、物語が自動的に動き始める。そういった考え方であるから、「主題(テーマ)」も重要ではない。
 作家には、2つのタイプがあって、厳密なプロットを固めてからでないと書けない作家もいる。このタイプの作家の作品は、人物やストーリーが平板になりがちだ。何せ、あらかじめ見えたお話を辿るだけなのである。登場人物が自走すると、作家も先が見えなくなる。意外性が高まる。
 キングの述べる文章を書くポイントとは、たとえば、

 本をできるだけ読む、毎日一定の時間以上を書くことに充てる。
 文章は簡潔に、副詞(-ly)=装飾的表現は控える。表現の違いは文脈で反映する。
 初稿は、時間を置いてから10%は刈り込む。
 再稿時に、初稿の背後に潜む「主題」を見つけ出し補強する。

等々である。考えてみれば、これらは他の作家や文章読本でも、触れられているものばかりである。しかし、キングの長大な作品を構成するシンプルな理念に、まず注目すべきだろう。設計図がなくても、お話をドライブする設定さえ整っており、人物が(創造された個性に従って)行動すれば、結果的に壮大な「構想」と「主題」を有した作品が出来上がる。小説のボトムアップ式創作法というわけだ。個々の注意点は十分参考になる。ただし、このまま実践してキングになれるわけではない。特に、自分の書いた初稿から「主題」を見つけ出す洞察力、登場人物の言葉に生命を与える才覚は、凡人にはないものだ。
 

ニール・スティーヴンスン『クリプトノミコン1』(早川書房)
中原尚哉訳、Cryptonomicon, 1999
カバーイラスト:佐伯経多&新間大悟 カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン
 

 もともと1冊の本を4分冊化した第1巻。これだけで800枚ある。一気にというのも大変なので、出るたびに読め、という小川隆の忠告に従う。
 著者の他の作品と同様、さまざまな情報がミックスされた複雑な作品。キングではないが、スティーヴンスンもまた「構想」ではなく、人物の自走に任せた小説の書き方をするため、本書のように多数の人物を配した作品はまとまりがつけにくい。とはいえ、暗号という「主題」だけは、はっきりしている。
 第2次大戦直前、プリンストン大学で学んだローレンス、アラン(チューリング)、ルディは、やがて大戦が始まるとともに、米英独各国で暗号解読のプロジェクトに従事するようになる。日本軍のインディゴ(紫)、ドイツのエニグマは解読されるが、解読の事実を相手に疑わせることは禁物だった。さまざまな情報インプットを操作しながら、仮想の暗闘が繰り広げられる。一転、舞台は現代に飛び、情報の集積基地を巡るベンチャー企業と、既存勢力との情報戦が展開する。この2つの接点はどこにあるのか…。
 暗号は、純粋にアルゴリズムに基づく技術であり、本来ならば、日常生活には何の役にも立たない。抽象的な(まさしく)机上の論理である。しかし、軍事/政治的には意味がある。暗号解読に大規模な資金が投入され、本書のように、オタク数学者が重要な役割を担う。情報に価値がつく現代では、暗号はリアルな事物並みに有用になってきた。ウェブブラウザでも、暗号化通信機能は標準だし、個人メールの暗号化もすぐそこだ。
 イギリス、アメリカ、中国(上海)、フィリピン、現代と第2次大戦下の太平洋、ヨーロッパをめまぐるしく行き交いながら、物語はスタートする。以下4巻を順を追って紹介していきたい。
 ちなみに、本人は否定しているが、このような小説の書き手をサイファー(暗号)パンクと呼ぶ(らしい)。

bullet 『クリプトノミコン』著者自身によるFAQ
bullet 『クリプトノミコン』(書籍)の公式HP
bullet 『ダイ ヤモンド・エイジ』評者のレビュー
bullet Wiredによる作品紹介記事(翻訳)
ネタバレを一部含みます。
 

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