2000/04/01

筒井康隆『エンガッツィオ司令塔』(文藝春秋)
 最新短編集。主に「文學界」掲載作が収録されている(このうち半分は断筆時の書き溜めだという)。
 標題作は、薬物検査の被験者となった主人公が妄想する、毒電波を発信する存在“エンガチョ司令塔”を指す――ということでも明らかなように、本書の大半は、作者名から連想されるスラップスティック風ドタバタ劇である。昔の筒井流と思って(帯にあるように)懐かしむ読み方もできるだろう。
 しかし、筒井康隆の断筆宣言が、言葉を失うことに対する作家としての抗議だったことでも分かるように、まず本書に満ち溢れるコトバの多様性・音感に注目する必要がある。ドタバタ自体は、作者デビュー当時の時代そのものなので、2000年の今現在では(いくら現代風に塗り替えられていても)、往時の斬新さを欠くかもしれない。けれども、数多くの実験作を経た今だからこそ、表面的な物語よりも、言語感覚の冴えが遙に鋭くなっている事がわかるはずだ。
装画:百鬼丸,装丁:石崎健太郎

2000/04/08

装画:藤田新策,装幀:坂田政則 スティーヴン・キング『いかしたバンドのいる街で』(文藝春秋)
 2分冊で翻訳されたキングの最新短編集(その1)。もともと全部で20篇の作品が収められていたものだが、本書はそのうちの11編となる。一部の作品「ナイト・フライヤー」(新潮社・1989年)「スニーカー」(早川書房・1990年)等は、それぞれアンソロジーの標題作として紹介済みでもあり、まったくの新作ばかりではない――といっても、これらも既に10年以上が過ぎている。あらためて読む意義はあるだろう。
 アイデアとしては、SFやバンバイヤものが少々、狂気に犯されていく家や人々とそのヴァリエーションがメイン。つまり、キングの作品の割合をそのまま反映しているといってもいい。標題作「いかしたバンドがいる街で」は、田舎道を走る間に奇妙な街に迷い込んだ夫婦の物語で、そこには“いかしたロックンローラー”たちがいるのだ。「ナイト・フライヤー」もいいが、これがやはりベストか。
岬兄悟・大原まり子編『リモコン変化』(廣済堂出版)
 バカ本最新刊。バカなSFだけを集めるという趣旨だけで、6冊が出たのだから立派というべきか。下品と分類される下半身・下ネタ・差別ネタは、恒例のごとくあり、その中に社会風刺ネタが混じるのが特徴となる。ネタの軽薄さで顰蹙を買っている(?)田中啓文も、この中ではノーマル(少なくとも、評者の大学の後輩でもあるので、批判はしませんがね)。本書の中では、かんべむさし「書斎からの旅」が、ステープルドン風の奇想SF。
カバーCG:岬兄悟

2000/04/15

カバーイラスト:加藤直之,カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン ロバート・J・ソウヤー『フレームシフト』(早川書房)
 ソウヤーの最新作。昨年の『スタープレックス』と3年前の『ターミナル・エクスペリメント』とでは、そもそもの印象が異なるのだが、この2作がソウヤーの代表的な顔といえる。本書は後者の流れを汲む“普通小説SF味”といったところか。
 フレームシフトとは何か――遺伝子の配列の組み合わせに、1つの異物が混じると、以降の配列は全てずれてしまう。ずれた遺伝子配列は本来の意味を失うため、機能を果たせなくなる。しかし、奇妙な例外を生むこともある…。不治の遺伝病に苦しむ主人公と、ずれた遺伝子をもつ妻、体外受精、遺伝子検査を商売の材料にする保険会社と、まさに遺伝子尽くしでお話は進む。『ターミナル…』もそうだが、実際のところ、謎解きはSF的とはいえない。このままSFX抜きのTVドラマになっても、違和感はないだろう。
 物語のもう一つの縦糸は、ナチス強制収容所の元監視員を追求する過程である。本書の場合、悪党はいつまでたっても悪党だ、という単純な描かれ方であり、葛藤に類するものはない。けれども、本来のナチ戦犯追及は、犯人が、たとえ後の時代でどのような善行を積もうが、決して過去の償いと認めない、という執拗なものだ。そのような暗黒面は、ソウヤー向きではないが。
恩田陸『月の裏側』(幻冬舎)
 売れ行きも好調なホラーの話題作。フィニイの古典SF『盗まれた街』(ボディ・スナッチャー)との暗合が、本書の文中で言及されている。
 街の1割が濠で占められる九州の箭納倉(やなくら)に、主人公の音楽プロデューサーが訪ねてくる。ここには大学の恩師が住んでいた。しかし、元教授は、街で起こっている奇妙な事件について、なかなか口を開こうとしない。
 ある日隣人がいなくなる。突然の失踪で、誰も行方を知らない。けれど、数日、数週間後、前触れもなく帰宅している。不思議なことに、その間の記憶は一切失われている…。
 さて、これがリアリズムか、というと全くそんなことはない。『象と耳鳴り』でもそうだったが、本書は主人公たちのシュールな会話で成り立っているといってもよい。事件を追う新聞記者や、異変に早くから気付いた旧家の主人なども登場するのに、彼らの行動や発言は、さらに非現実的=シュールなのである。このペースが、実は恩田陸流の物語構築術なのだ。ホラーは通常、日常からの異変を全て恐怖=悪と見なす。本書がそうでないのは、そもそものノーマルさの描き方に異なる基準があるからだろう。
 お話は最後になって、ようやくパニック小説的な展開を見せる。パニック部分は、リアルであるためか、やや矛盾が目立つ。
装幀:鈴木成一デザイン室,装画:藤田新策

2000/04/22

装幀:重原隆 牧眞司『ブックハンターの冒険』(学陽書房)
 SFマガジンの連載などでおなじみ、フリーランスの編集者/ライターとして知られる牧眞司の著作第1号。アマチュア時代から数えれば、この人との付き合いも長い(詳細はTHATTA参照)。確かにプロフェッショナルの単行本という意味では“初”かもしれませんが、あまりそのような初々しさは感じられませんね。とはいえ、本を探求する行為は、経験と蓄積が生きる分野。四拾なら、まだ若手といってもいいでしょう。
 ということで、本書の構成を見ると、個人的な遍歴を含め、SF/異色作家系(かつ、それほど大昔の本ではない)海外作家の作品紹介を中心とした内容となっている。異形コレクションの好評ぶりからもわかるように、ある意味で、時代の流れにも乗った選択である。
 本をコレクションする人は、何らかのポリシーに従って行動している。一般人にとって、古本コレクターなど変人の一種であるため、行動が常軌を逸していればいるほど喜ばれる(?)わけである。しかし、牧眞司は、単に探求の過程を書いただけではなく、対象とした本のお話としての魅力についても十二分に触れているため、読み手の幅を広げている。まあ、難を挙げるとするならば、そのことが本書の外観では分からないことか。
月森聖巳『願い事』(アスペクト)
 アスペクトから新規に創刊されたホラーノベルズの一冊。作者(ホラー作家として再デビュー前は、伊東麻紀として知られていた)がお茶の水女子大学SF研究会OGということなので、松尾由美川上弘美阿部敏子らと同様の、いわゆる“恐るべきお茶大”と呼ばれるグループの一人になる。
 精神科医の主人公の下に、旧家の娘が診察に訪れる。物静かで禁欲的な少女だったが、その裏側にはさまざまな人格たちが多重に潜んでいた…。という、発端でわかる多重人格(解離性同一性障害)物と、呪われた母親、ファンタジイ作家だった作者自身の怨霊とも読める妖精憑きなどなど、物語の多重性も面白い。
 ただし、たとえば、多重人格の人格同士の交信ができていたり、主人公の役割が唐突に変わるなど、お話が混乱している部分もある。
CoverDesign:高橋秀宣

2000/04/29

カバーイラスト:加藤直之,カバーデザイン:矢島高光 ジェイムズ・P・ホーガン『ミクロ・パーク』(東京創元社)
 ホーガンの新作。最新テクノロジイの勉強の成果ということで、昨年の『仮想空間計画』に匹敵する。今回のテーマは、いわゆるマイクロ・マシンで、SFでいうところのナノテクまでには至らない。その分、非常に現実的な設定でもある。
 神経とマイクロ・マシンを直結する技術を開発した、ベンチャー企業オーナーを父に持つ主人公は、独自にマシンに工夫を凝らすハイテク・オタクでもある。彼は、日系の友人とともに、昆虫並みの大きさのマシンを使うテーマ・パークの技術開発をしていた。ところが、彼らの裏側で、それを狙う陰謀が進行していた…。と、ありがちなハイテク・サスペンス風に物語は進む。前作と同様、技術描写は破綻がなく楽しめるし、盛り上げもまずまず。予定調和的な結末も、『トイ・ストーリー』のようなファミリー映画だと思えばこんなところか。ホーガンとはいえ、もっと、一般向けの売り方をすべきなのかもしれない。

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