佐藤哲也の書き下ろし長編小説。前作からは6年ぶりになる。ジョージ・オーウェル『1984年』の影響下で書かれた本書は、しかしイデオロギー批判小説ではない。
ある日、“民衆の意志”を感じ取る人々があらわれはじめる。それは、民意でも多数決でもなく、ただ“ある”ものである。主人公の妻もまた、その意志を感じ取り、誰とも知らぬ部下たちに指令を送り始める。妻は、民衆の意志を体現した国家における、最高指導者なのである。けれど、民衆意志はしだいに変貌し、ついには粛清と飢餓に喘ぐ終末的状況を迎える…。
ソ連や北朝鮮型の社会主義が世界に蔓延する可能性は、もはやほとんどない。それでは、今なぜ『1984年』なのか。
オーウェルの『1984年』は、特定の社会主義システムへの批判として解釈されている。しかし、描かれた世界は、実際はイデオロギーに必然的なものというより、人間の本質に準拠したものである。我々が信奉する民主主義イデオロギーの中にも、“民衆の意志”は存在する。それが暴走を始めたとき、世界は現実の基盤を一切失って崩壊する。誰にも制御はできない。1つのキーは、独裁者が何の変哲もない1人の妻である点だろう。
本書では、現実が幻想的な民衆国家に飲み込まれていく奇妙な過程、民衆国家が(ソルジェニーツィン的)収容所=監獄国家へと転落していく過程が描かれている。ファンタジイ作家であるからこそ、いま本書のような作品が問えるのである。ラストは、ちょっと蛇足か。
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