2002/6/2

井上雅彦監修『恐怖症』(光文社)

cover art: Screaming Mad George、カバーデザイン:奥沢潔(パークデザイン)
 

 4ヶ月に1冊のペースで、順調に刊行されている「異形コレクション」第22巻。前回レビューしてから1年6ヶ月が経て、既に3冊が刊行されている。今回のテーマは「恐怖症」であり、単純にいえば「広場恐怖症」「対人恐怖症」等のように使われている精神医学用語。もちろん、そのままタームを織り込んだ作品もあるが、そうでないものも多い。中では、
 飛蚊症(眼球の濁りが虫の動きに見える)が、まるで神経症のように人々に蔓延するありさま、瀬名秀明「眼球の蚊」。政敵をことごとく抹殺した室町の恐怖の魔王、足利義教が恐れるもの、朝松健「荒墟」。人の恐怖を感じられる超能力者の語り、牧野修「斯くしてコワイモノシラズは誕生する」。狐に化かされる原始的で夢のような恐怖、北野勇作「怖いは狐」。女性を苦しめる“管”に対する恐怖の正体、竹河聖「スパゲッティー」などが優れている。
  医学的にはともかく、「恐怖症」から受ける印象は、個人的で他者には理解できない閉じた恐れである。誰にでも、大なり小なりその恐怖はある。しかし、個が外側(他人、社会、風景)を侵食し始めたところ、偏在化する瞬間に物語が生まれる。という意味で、世界をも変貌させる恐怖心の暴走/漏洩を扱った作品のほうが面白く読めるようだ。
 次巻からは、3ヶ月1冊と、さらにペースが上る模様。

bullet 『帰還』評者のレビュー
bullet 『ロボットの夜』評者のレビュー

2002/6/9

ニール・スティーヴンスン『クリプトノミコン2』(早川書房)
中原尚哉訳、Cryptonomicon, 1999
カバーイラスト:佐伯経多&新間大悟 カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン
 

 4分の2冊目。本書ではドイツの暗号“エニグマ”を中心とした物語(エピソードのいくつかは史実)と、フィリピン沖の小さな王国でデータヘブンを築こうとするベンチャー企業の話に交点が生じる。大西洋で発見されたUボートの金塊(大戦中)、フィリピン沖で見つかるUボート(現代)の暗合は何を意味するのか。
 もともと1冊の作品なので、明確にストーリーが切れているわけではない。冗長さもあって、たとえば、主要な人物の性衝動を本人の告白文で書くなどという、(たぶん)無関係なエピソードが挟まれていたりする(これはこれで面白いが)。本書でも顕著だが、有能な登場人物が、無能な政府/体制側に延々と皮肉を開陳する場面が多い。このシニカルさが、史実に微妙な差異を感じさせる効果を上げているようだ。
 6月には4分の3も出るが、この調子ならば完結(7月)を待って一気に読むほうを薦めたい。

bullet 『クリプトノミコン1』評者のレビュー
bullet エニグマ暗号機シミュレータ
 
小林泰三『海を見る人』(早川書房)

Cover Direction & Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。 Cover Illustration:鶴田謙二
 

 これは“世界”の物語である。
 本書はハードSFを標榜しながら、どこかファンタジイの薫りを漂わせている。同じ匂いの根源は、世界構築に対する執念の共通性ではないだろうか。どんな小説でも、 単純な空想だけでは世界構築はできない。何らかの世界律(世界を創りあげる上でのルール)が必要になる。ありふれたルールでは、“驚くべき世界”は生まれない。ハードSFとファンタジイでは、その世界律を構成する道具が違う。しかし、作家が道具を選び抜く執念は同じだ。

 「時計の中のレンズ」“歪んだ円筒世界”から“楕円体世界”へと旅する部族。
 「独裁者の掟」“ブラックホールを抱えた2隻の都市宇宙船”に君臨する独裁者の野望。
 「天獄と地国」“遠心力によって釣り下がった世界”の秘密。
 「キャッシュ」“宇宙船住民の生活をシミュレーションする電脳空間”で発生する異常。
 「母と子と渦を旋る冒険」“ブラックホールと中性子星の連星系”に迷い込んだ異形の人類。
 「海を見る人」“事象の地平線に連なる海の村と、離れた山の村”に住む少年と少女の恋。
 「門」“量子テレポートが可能にした巨大な人類の版図”そこに現れた時空を超える門。

 もちろん、前例がないわけではない。デイヴィッド・I・マッスン「旅人の憩い」などは、「海を見る人」と同じアイデアで書かれた作品といえる。しかし、事象の地平線に沈み込む少女を見つめる老人と、時間経過の相対論的相違の描写には、 類作にない必然性が感じられる(もちろん通常の光では見られない光景なので、超光というガジェットで説明される)。
 “宇宙”のどこかに存在する、とカバー惹句にあるが、本書の場合、既存の“物理宇宙”を意味しない。蓋然性の宇宙である。とはいえ、評者が連想したのは、 グレッグ・イーガンなどよりも、むしろ山尾悠子の宇宙(たとえば腸詰宇宙)だった。純粋な想像力で創造された道具を、物理的に説明したと言い換えてよいかもしれない。

bullet 『ΑΩ』評者のレビュー
bullet 『夢の棲む街・遠近法』 (山尾悠子)評者のレビュー
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2002/6/16

半村良『飛雲城伝説』(講談社)

カバー装画・デザイン:横尾忠則
 

  「伝説」と名付けられた半村良の著作は、本書を含めて17冊あるが、大半は70年代の初期作品であり、伝奇ものの原点といってよい。「伝説」は、90年代になってから、再び何作かが書かれている。本書は、1995年から97年に書かれ、未完のまま終わった4部作を1冊にまとめたもの。4部作目は、雑誌連載のみで単行本未収録だった。
 戦国時代と思われる日本の辺地に、胡桃野と呼ばれる国があった。その村に住む名主狩原家の長女鈴女は、並外れた才覚と美貌を武器に、まず地元飛雲城の城主に就く。民衆の意を重視する政策は、近隣の民の支持を生み、国は瞬く間に強大な勢力を得るようになる。やがて、都の注目を浴びた鈴女は、征東軍への参加を下命される。だが、反逆者である東北との接触の中で、古代神話が蘇り、神々の戦いが誘発されていく…。
 本書のあらすじの奇抜さは、解説で清水義範が詳しく述べている。要約すると、

  1. 架空の戦国お姫様伝が、
  2. 権謀術数の政治ドラマに変貌し、
  3. 現実の戦国時代とリンクしたシミュレーション戦記となって、
  4. 天皇家に象徴される大和神話対、土着の東北神話という、ファンタジイそのものとなる。
    (ファンタジイ大賞『クロニカ』の後半と似ている)。
 しかも、第4部は未完のままである(全体の1割を占めるだけ)。ただ、伝奇小説は終わらない、という“信念”は、奥能登の祖父の旧家で国枝史郎らを読みふけって以来、著者の物語に対する基本を成す考え方なのだ。たとえ、半村良が生きていたとしても、本シリーズには、たぶん終わりはなかっただろう。未完=未完成とは考えず、無限の彷徨を楽しむのが肝心。
 
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bullet 『虚空王の秘宝』評者のレビュー
bullet 『能登怪異譚』評者のレビュー
  

2002/6/23

ヴァーナー・ヴィンジ『最果ての銀河船団(上下)』(東京創元社)
中原尚哉訳、A Deepness in the Sky, 1999
Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。 Cover Illustration:鶴田謙二
 

 上下併せて1200ページにもなる大作。
 ポイントはいくつかある。宇宙の貿易商人チェンホー文明と、未知の科学力を有するエマージェント文明の対立。250年に35年だけ光を放つ奇妙な変光星の謎。唯一の惑星で栄える蜘蛛族の発展。――まず前2者の船団が、蜘蛛族の文明から独占利益を得ようとして、ついに戦争状態に陥る(戦闘は一瞬で終了する)。勝負はエマージェントが制するが、双方共に多大な損傷を受ける。 敵側の領袖は、融和を装う冷血漢、貿易商人側は若手の船主が傀儡に仕立て上げられる。一方、蜘蛛族は無線通信の発明段階から、優秀な科学者にも恵まれ急激に進歩する。原子力による暗黒期の克服、ロケット、航空機、情報ネットワーク、そして核爆弾、核ミサイルの発明…。
 道具立ては極めて豊富である。ブリンの推薦文のとおり、現代スペースオペラの要素は十分にそろっている。しかし、前作『遠き神々の炎』(1992)と同様、本書からも混沌とした印象を受ける。エマージェントの陰謀がいつ明らかになるのか、無能の老人と見られていた人物の正体は誰か、船主と奴隷化された女性との葛藤、蜘蛛族の学者と将軍の対立等々、重要な筋立てが並列に置かれているために、相互作用があまり感じられないからである。もちろん、1200ページを維持しようとすると、本筋とは関係のない多くのエピソードが不可欠だ。本当なら、これらエピソードに強弱をつけて、主たるテーマを強調する必要があるだろう。 そもそも何がテーマなのかが曖昧。異形の蜘蛛族とのファーストコンタクトなのか、文明間の軋轢と権謀術数なのか、個人対個人の駆け引きが書きたかったのか。 

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bullet 著者のHP
現在は、サンディエゴ州立大学コンピュータ・サイエンス学科の名誉教授。もともと作家は副業。このHPも作家活動とは無関係。
bullet 『マイクロチップの魔術師』評者のレビュー
bullet 『遠き神々の炎』評者のコメント
  

2002/6/30

筒井康隆『自選短編集1 近所迷惑』(徳間書店)
 
カバーデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
 
 ドタバタをテーマにした自選短編集。昔からの読者にとって、筒井康隆=ドタバタという印象が強いが、意外にも、これまで同テーマの短編集はなかった。全9編の大半は初期作品(66-74)で、1作だけが80年代中期作である。時期が集中しているためか、文体にも大きな隔たりは感じられない。収録作を年代順に並べ替えると、以下のようになる(番号は本編の収録順序)。

 7.慶安大変記(発表年1966/12) 収録作品集『アルファルファ作戦』(1968)
 8.アルファルファ作戦(1967/8) 『アルファルファ作戦』(1968)
 1.近所迷惑(1967/10) 『アルファルファ作戦』(1968)
 9.アフリカの爆弾(1968/3) 『アフリカの爆弾』(1968)
 5.欠陥バスの突撃(1970/1) 『馬は土曜に蒼ざめる』(1970)
 3.経理課長の放送(1971/12) 『農協月に行く』(1973)
 6.自殺悲願(1973/4) 『農協月に行く』(1973)
 4.弁天さま(1974/9) 『ウィークエンド・シャッフル』(1974)
 2.おれは裸だ(1986/2) 『原始人』(1987)

 さて、これら初期作を読み返して分かるのは、筒井康隆流ドタバタの完成度の高さである。ドタバタが確立する以前には、たとえば『幻想の未来』(宇宙塵連載1964、文庫化1971)のような、幻想色が濃厚な作品が多く書かれていた。この非現実世界の描写力が、そのままドタバタの構造を支えている。ここでいう“構造”とは、幻想のベースとなるワン・アイデアを、非現実の方向へ果てしなくエスカレーションしていく手法そのものである。本書での収録作には、時事ネタを扱った作品が少ないので、純粋な構造を楽しむには最適といえる。ファンならおなじみの作品ばかりだが、観点を変えて再読するのも面白いだろう。

bullet 『愛のひだりがわ』評者のレビュー
  
佐藤哲也『妻の帝国』(早川書房)
 
Cover Direction & Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。 Cover Illustration:山本里士
 

 佐藤哲也の書き下ろし長編小説。前作からは6年ぶりになる。ジョージ・オーウェル『1984年』の影響下で書かれた本書は、しかしイデオロギー批判小説ではない。
 ある日、“民衆の意志”を感じ取る人々があらわれはじめる。それは、民意でも多数決でもなく、ただ“ある”ものである。主人公の妻もまた、その意志を感じ取り、誰とも知らぬ部下たちに指令を送り始める。妻は、民衆の意志を体現した国家における、最高指導者なのである。けれど、民衆意志はしだいに変貌し、ついには粛清と飢餓に喘ぐ終末的状況を迎える…。
 ソ連や北朝鮮型の社会主義が世界に蔓延する可能性は、もはやほとんどない。それでは、今なぜ『1984年』なのか。 オーウェルの『1984年』は、特定の社会主義システムへの批判として解釈されている。しかし、描かれた世界は、実際はイデオロギーに必然的なものというより、人間の本質に準拠したものである。我々が信奉する民主主義イデオロギーの中にも、“民衆の意志”は存在する。それが暴走を始めたとき、世界は現実の基盤を一切失って崩壊する。誰にも制御はできない。1つのキーは、独裁者が何の変哲もない1人の妻である点だろう。
 本書では、現実が幻想的な民衆国家に飲み込まれていく奇妙な過程、民衆国家が(ソルジェニーツィン的)収容所=監獄国家へと転落していく過程が描かれている。ファンタジイ作家であるからこそ、いま本書のような作品が問えるのである。ラストは、ちょっと蛇足か。

bullet 『ぬかるんでから』評者のレビュー
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