ドラキュラものの3作目。前作(1918年の第1次世界大戦)からの続編なので、てっきりヒットラーの第2次大戦かと思っていたのは、評者の浅はかさ。そのあたりを匂わせながらも、40年後の冷戦下、1959年のローマへと舞台は飛ぶ。
今回は、戦後の主役である映像フィクションを潤沢に並べ上げている。『サスペリア』、『サンゲリア』といったイタリアン・ホラー、各種フェリーニや、007のボンドまで登場(しかし、パロディらしく格好だけの無能なボンド)、
趣向としては二番(三番?)煎じなのに、マンネリを感じさせない。
本書の場合、主人公はドラキュラではない。バンパイアの3人の女性たち、彼女らが吸血鬼殺しの犯人を捜しながら、ローマの奥底に潜む魔物(これも映画が題材)と遭遇する物語である。
無数の映画ネタが引用される(巻末の注釈を参照。これは労作)。評者も断片的にしか知らないけれど、雰囲気を理解する程度で十分。本質的というより、表面的な対応関係にあるからだ。作者は、オタク的知識を“目的”としていないのである。過剰な薀蓄はむしろ“結果”だ。そもそも、キム・ニューマンのドラキュラは、現代史を置き換えるものではなかった。現実世界にドラキュラという名の楔が打ち込まれ、歪んだ隙間からさまざまなフィクション(ホラー/SF/ミステリ、小説/映画)があふれ出し、史実と交じり合うというスタイルの面白さで出来上がっている
(アニメと実写のハイブリッドのようでもある)。何度か書いたが、このサービス精神こそがシリーズの本質といえる。
なぜ1959年か。前年にテレンス・フィッシャーの映画『吸血鬼ドラキュラ』が公開され、59年に原題でもある「ドラキュラのチャチャチャ」(どんな曲だったのかは不詳)がヒットしたからだろう。
関係ないけど、この表紙の綴りは間違ってますね。
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