2002/2/3

菅浩江『五人姉妹』(早川書房)

装画:中川悠京 装幀:ハヤカワ・デザイン
 

 先に出た『夜陰譚』の姉妹編となる作品集。 前作と同様、各種アンソロジイや雑誌掲載作を集めたもの。書下ろしは1作だけだが、5年程度のレンジがあるので、改めて読む楽しみが持てる。

  1. 「五人姉妹」臓器提供用に作られた4人のクローンと、オリジナルとの生涯
  2. 「ホールド・ミー・タイト」電脳空間でしか本音を語れないキャリアウーマンの恋
  3. 「KAIGOの夜」労働が意味を失った未来、作られたのは介護されるためのロボット
  4. 「お代は見てのお帰り」大道芸人が集う日に、博物館惑星を訪れた親子
  5. 「夜を駆けるドギー」ネットで囁かれる、愛玩ロボット犬の噂とは
  6. 「秋祭り」隔離され、完璧に管理された農場で、失われた存在を探す主人公
  7. 「賤の小田巻」AIの中に蘇った、大衆芸能役者だった老父の姿
  8. 「箱の中の猫」宇宙ステーションの恋人との時間が、日々離れていったとき
  9. 「子供の領分」人里離れた山中で記憶を失った主人公が味わう試練
 初期の作品での“自分自身”から、他者へ、他人の思いへと、その視点を 広げてきた作者の軌跡を追うことができる。たとえば、兄弟(一番近い血筋でありながら、まったく異なる生涯)、親子(対子供ではなく、対父親)、恋人(焦がれながら自身は常に負い目を感じている)などなど。
 しかし、自分を苦しめた、その兄弟や親や恋人を、主人公は断罪して終わろうとはしないのである。「箱の中の猫」は、未来へと時間旅行する男と、残された女という意味で、菅版「美亜に贈る真珠」(梶尾真治)であるが、はるか遠くへと去っていく彼を、主人公は諦観をこめて見守るばかりだ。なぜ、許してしまえるのか。その答えは、“他者を思いやることこそ成長だ”とする「子供の領分」に見られる。本当の意味での安らぎは、自分 =他者を、許し=信じる瞬間から得られる――著者のこの主張は、本書を揺るぎなく貫いている。 そしてまた、本書で使われるさまざまなSFガジェットが、主人公たちの“思いを支援する装置”として機能している点に注目したい。
 
bullet 『夜陰譚』評者のレビュー
bulletKBS京都のインタビュー記事
京都のローカルラジオ局での番組インタビュー。素顔の写真も見られる(注:リンク元削除)。

2002/2/10

マイケル・ムアコック『グローリアーナ』(東京創元社)
大瀧啓裕訳 Gloriana ,1978
Illustration:小林智美 Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。
 

 1979年の世界幻想文学大賞受賞作にして、著者の代表作。幻のサンリオ文庫近刊予定作であり、大瀧啓裕による渾身の翻訳でもある。
  今年になってからでは、『ダイヤモンド・エイジ』に続く“イギリスもの”。時代はずっと遡って、グローリアーナ(エリザベス1世)治下の16世紀、世界はアルビオン(イギリスの古名)と呼ばれる平行世界の大英帝国に支配され、つかの間の平安を維持している。
 もう1つの大英帝国、といっても、本書の本質が架空歴史ものにあるわけではない。ロンドンに作られた『ゴーメンガスト』(マーヴィン・ピーク)風の大迷宮=重層的に築かれた王宮を舞台に、処女王ならぬ淫蕩にふける王女と、表面的な平和の裏で暗躍する悪漢との、権謀術数を描いた宮廷ファンタジイといえる。大迷宮の部分は、ピーク以来のイギリス好みの設定(たとえば、ニール・ゲイマン『ネーバーウェア』の地下世界も、この大迷宮と似ている)。その設定の奇怪さを別にすれば、お話にそれほどの幻想味はない。
 退廃に満ちた後宮の支配者グローリアーナ、前王の廷臣で流血の過去を恐れる老法官、残虐非道ながら自身の行動を芸術に擬える悪漢と、意外にも、本書の登場人物はムアコックの冷笑的な英雄たちとは、あまり似ていない。それぞれが豊かな感情の起伏を持ち、性格付けも明快である。装飾過剰な宮廷描写と、デカダンな人物の行動のバランスもよい。結末が教訓的なのは、いかにもムアコックといえるか。
 ムアコックは、80年代に主要な初期のシリーズが翻訳された後は、あまり紹介が進んでいない。本書が出るまでの最新刊は、96年に出た『白銀の聖域』(1969)のみ。

bullet ムアコック関係ファンサイトの1つ
各種あるのでその1つ。
bullet ムアコック関係の評者のレビュー
bullet 『ネバーウェア』評者のレビュー
bullet 『ありえざる伝説』評者のレビュー
『ゴーメンガスト』自体のレビューはないので、関連作品のもの。
bullet 『マラキア・タペストリイ』評者のレビュー
訳者によると、ムアコックが本書を書く上で影響を受けた作品とされる。
bullet 世界幻想文学大賞のHP(1979年)

2002/2/17

牧野修『だからドロシー帰っておいで』(角川書店)

カバーイラスト:SMO カバーデザイン:Rodeo
 

 『オズの魔法使い』をベースに、主人公(中年のドロシー)が迷い込むファンタジイの世界と、現実世界を交互に対比させた作品。 とはいえ、確かに『オズ』なのだが、そのパロディが主とはいえない。いかにもアメリカンな原色のおもちゃ箱であるオズに対して、襲(かさね)風の複層的な色を持つ生き物(首のない女体の馬、蜻蛉人、鎧の皮膚を持つ人)や風習が頻出する物語は、独特の異質さを感じさせる。抜け殻のような主人公が、「やればできる」という自信を抱く展開は、文字通りに解釈することもできるし(という牧野ファンは少ないでしょうが)、狂気に転がり落ちる救いのない物語とみなすこともできる。
 受動的で無気力に過ごす中年女性に、ある日義母から赤い靴が贈られる。その靴を履いて、買い物に出かけた彼女は、突然見知らぬ町に降り立ち、オズを探す旅に立ったことを知る…。
 本書の主人公は、結末で「サザエさん」を歌いながらもとの世界に帰還する。なぜサザエさんなのか。アニメのサザエさんは、あれだけ現実から乖離したドラマを描いているのに、高い視聴率を誇っている。この“非現実”(=逃避)こそが人気の要因なのだろう。牧野修は、狂気に転落するホラーと、異世界逃避のファンタジイとの等価性を本書で実証した。 あとがきで、ファンタジイの持つ「日常からの逃避効果」(癒し効果)について記してもいる。我々も薄々感じている強度の逃避願望を露わにするところに、著者の凄みがある。

bullet 『オズの魔法使い』あらすじ
各種あるのでその1つ。
bullet 『オズ』の地図
参考になるかもしれません。
bullet 『呪禁官』評者のレビュー

2002/2/24

E・E・スミス『銀河パトロール隊』(東京創元社)
小隅黎訳 Galactic Patrol ,1950
Illustration:生頼範義 Cover Design:岩郷重力+WONDER WORKZ。
 

 いまさら言うまでもなく(というのも、本シリーズは最近まで絶版にもならず、30年間連綿と刊行されてきたからだ)、エドワード・エルマー・スミスの元祖スペースオペラ“レンズマン”の新訳である。専門誌アスタウンディングに連載されたのが1937年(当時、SFが単行本でいきなり出る例は少なかった)なので、なんと65年も前のことだ。とはいえ、本シリーズには、今日のスペースオペラで書かれるべき要素が全て凝集されている――宇宙戦艦、ビーム兵器、防御スクリーン、超光速飛行、思考制御、銀河を統べる警察機構、もう1つの文明=超銀河的敵、人類を見守る精神生命、生体と一体化した正義の印“レンズ”などなど。と同時に、正義と敵との妥協はなく、敵の完全な抹殺(皆殺し)しか解決はないとする、殺伐としたアメリカ流論理の根源もここには書かれている。敵側の論理が「結果主義」、「非情な競争社会」、「トップダウン」という、現在のグローバルスタンダード(=アメリカ)社会と酷似している点が面白い。
 本書は400頁足らずしかないのに、無数の惑星やさまざまな異星人が登場し、エピソードも豊富だ。新訳により日本語の古めかしさは消えた。客観的に見れば、お話の1つ1つはシナリオの域を出ず、小説という面からは、極めて不完全なものである。けれど、多くの欠点を持っていても、それが単なるアナクロに終わらず、原初的なSFの魅力を残しているのは、血のつながった“祖形”であるが故だろう。

bullet 『ドラゴン・レンズマン』評者のレビュー
デイヴィッド・カイルによるレンズマン外伝。
この他、日本ではアニメ版レンズマンもあった(1984-85:全25話)。アリシアとエドア(エッドール)の時空的対立という壮大な構想が削られたバージョンのため、活字SF系では不評だった。
 
古橋秀之『サムライ・レンズマン』(徳間書店)

Illustration:岩原裕二 Cover Design:高木信義
 

 昨年末に出た本。上記『銀河パトロール隊』を待って、併せて読んでみた。公認版のレンズマン外伝。いわゆるシェアード・ワールドものといえる。絶版でこそないが、レンズマンやスカイラークが、欧米で「歴史的価値」以上の評判を得ているとは思えない。しかし、日本では、野田昌宏の熱狂的なレビューと、類書に先駆けて60年代黎明期に翻訳された経緯もあり、まだ多数のファンが健在だ(とはいえ、多くは中年か)。
 本書の時代設定は、オリジナル版『第2段階レンズマン』後、『レンズの子ら』前の世界のようだ。とはいえ、レンズマン未読の読者でも、『銀河…』さえ読んでいれば違和感はないだろう。
 『ブラックロッド』で知られる古橋秀之だけあって、小説になっていないオリジナル・レンズマンとは、その点比べものにならない。オリジナルの主な登場人物は ほとんど登場する。ヒーローはサムライこと、デフォルメされた武士道を身上とするニヒルな独立レンズマン(グレー・レンズマン)、ヒロインは小惑星鉱夫を勤め、多数の孤児を育てる肝っ玉ねえちゃん。究極の敵も、単なる宇宙海賊ボスコーンではなく、不気味さがパワーアップされた不死身のマッドサイエンティスト。その上、偏執狂的な正義の使者キムボール・キニスンが、人情味のある、おどけた上司に描かれている。小説の盛り上げ方にも、新旧には大きな差がある。本書の絶体絶命型クライマックスと、『銀河…』の結末を比べてみればよい。
 ただし、本書の背景にある世界がレンズマンであるかないかで、その空気に触れてきた読者に与えるインパクトも異なるだろう。読者には、初期のファンだけでなく、『スターウォーズ』や『ヤマト』、『ガンダム』以降の世代すべてが含まれる。レンズマン世界の出来については議論があろうが、階層化された宇宙の秘密は、単なる宇宙もの以上の厚みを作品に与えてくれるからである。

bullet 『ブラックロッド』評者のレビュー
bullet 作者のHP

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