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先に出た『夜陰譚』の姉妹編となる作品集。 前作と同様、各種アンソロジイや雑誌掲載作を集めたもの。書下ろしは1作だけだが、5年程度のレンジがあるので、改めて読む楽しみが持てる。
しかし、自分を苦しめた、その兄弟や親や恋人を、主人公は断罪して終わろうとはしないのである。「箱の中の猫」は、未来へと時間旅行する男と、残された女という意味で、菅版「美亜に贈る真珠」(梶尾真治)であるが、はるか遠くへと去っていく彼を、主人公は諦観をこめて見守るばかりだ。なぜ、許してしまえるのか。その答えは、“他者を思いやることこそ成長だ”とする「子供の領分」に見られる。本当の意味での安らぎは、自分 =他者を、許し=信じる瞬間から得られる――著者のこの主張は、本書を揺るぎなく貫いている。 そしてまた、本書で使われるさまざまなSFガジェットが、主人公たちの“思いを支援する装置”として機能している点に注目したい。
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1979年の世界幻想文学大賞受賞作にして、著者の代表作。幻のサンリオ文庫近刊予定作であり、大瀧啓裕による渾身の翻訳でもある。
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『オズの魔法使い』をベースに、主人公(中年のドロシー)が迷い込むファンタジイの世界と、現実世界を交互に対比させた作品。
とはいえ、確かに『オズ』なのだが、そのパロディが主とはいえない。いかにもアメリカンな原色のおもちゃ箱であるオズに対して、襲(かさね)風の複層的な色を持つ生き物(首のない女体の馬、蜻蛉人、鎧の皮膚を持つ人)や風習が頻出する物語は、独特の異質さを感じさせる。抜け殻のような主人公が、「やればできる」という自信を抱く展開は、文字通りに解釈することもできるし(という牧野ファンは少ないでしょうが)、狂気に転がり落ちる救いのない物語とみなすこともできる。
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いまさら言うまでもなく(というのも、本シリーズは最近まで絶版にもならず、30年間連綿と刊行されてきたからだ)、エドワード・エルマー・スミスの元祖スペースオペラ“レンズマン”の新訳である。専門誌アスタウンディングに連載されたのが1937年(当時、SFが単行本でいきなり出る例は少なかった)なので、なんと65年も前のことだ。とはいえ、本シリーズには、今日のスペースオペラで書かれるべき要素が全て凝集されている――宇宙戦艦、ビーム兵器、防御スクリーン、超光速飛行、思考制御、銀河を統べる警察機構、もう1つの文明=超銀河的敵、人類を見守る精神生命、生体と一体化した正義の印“レンズ”などなど。と同時に、正義と敵との妥協はなく、敵の完全な抹殺(皆殺し)しか解決はないとする、殺伐としたアメリカ流論理の根源もここには書かれている。敵側の論理が「結果主義」、「非情な競争社会」、「トップダウン」という、現在のグローバルスタンダード(=アメリカ)社会と酷似している点が面白い。
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昨年末に出た本。上記『銀河パトロール隊』を待って、併せて読んでみた。公認版のレンズマン外伝。いわゆるシェアード・ワールドものといえる。絶版でこそないが、レンズマンやスカイラークが、欧米で「歴史的価値」以上の評判を得ているとは思えない。しかし、日本では、野田昌宏の熱狂的なレビューと、類書に先駆けて60年代黎明期に翻訳された経緯もあり、まだ多数のファンが健在だ(とはいえ、多くは中年か)。
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